2018年1月30日火曜日

110歳のパソコン生活

介護付有料老人ホームの広報誌で知ったが、広島の施設に110歳の男性が元気にお住まいになっている。広島県の最高齢者だそうで、表紙を飾っている笑顔の写真はいかにも元気で屈託がない。写真の背景は本棚、自作のファイルらしいのがたくさん見える。

記事によると冊子だそうだ。自宅をデイサービスに開放して「お話し会」というサロンをひらいている。そこで冊子を元にして「人の幸せを祈ること」を毎月話しているのだそうだ。既に著書『109歳の幸福論』が出版されていて、いま2冊めに取り掛かっている。奥様は5年前に99歳で亡くなられた。施設の食事がおいしいと喜んでいられるから、この方の健康は本物だ。若い頃は軟式テニスで鍛えた。いまの日課はスポーツ観戦とパソコンだそうだ。

たくさんの冊子はパソコンの成果だ。良い話を聞いたら実行しなくてはいけないというのがモットーだそうだ。聞いた話をパソコンに入力して人に伝える材料にするのは老人のパソコン利用としてとりつきやすい。それならワープロと同じじゃないかといっても、いまはもうワープロはない。扱いがより複雑なパソコンの時代になって、すでに世紀も変わっている。この方、山下さんがパソコンを始められたのはすでに80歳半ばだろうか。

むかし、梅棹忠雄さんがカナタイプを推奨されたようにアウトプットの利点を会得されていたのだろう。アウトプットは材料を整理して文章にまとめ、情報として伝えたり、さらなる情報として蓄積することだ。近頃流行りの認知症予防法の一つでもある。ここに実践のお手本があった。

山下さんは耳も目も手も健常のようでまことに結構だと思う。「お話し会」という交流の場を持っていることも強みだ。黙然と読み書きするだけでなく、集まりで会話を交わし、人と交流すること、つまりコミュニケーションすることが一番大切といわれている。認知症の予防や、進行を遅らせるのには一番効果が大きいそうだ。

せんだってNHKテレビの「ためしてガッテン」では難聴になると認知症になりやすいから補聴器を使うようにと啓蒙していた。その意味はコミュニケーションが苦手になり、ついつい自分を孤立に追い込んでしまうことだ。当方は既に難聴で補聴器の厄介になって久しく、隠居生活みたいになっているが、いまさらどうしてくれるという気分になった。怒っていても仕方がない。打つ手は何か考えた、というよりわが身の事ゆえ早くから考えてはいる。

いま我が身に不利なことはなんだろう。難聴のため集まりに出ても会話に加わりにくい。説明が聞けない。私の年代は職場にパソコンがまだ無かった。その延長で現在も年賀状は来てもメールは来ない。同年代の周囲は次々に彼岸に渡ってゆく。コミュニケーションをどうするか。普段の会話の相手は妻だけである。

脳活というのは脳の血流をよくすることでもある。運動して体を使うことでもよい。頭を使うことでは特に知的な活動がよいとされる。本が好きだから本をよく読むが、読むだけでは十分ではない。声を出して読むこと、文字を書くことが有効だと専門家はいう。ブログを始めたのは脳活のつもりだったからそれはよいとして、手で書くことも始めることにしよう。

南方熊楠は大英博物館でひたすら書き写した。それが知識の集積になった。ただし彼の書いた文字は細かくて文字も独特で非常に読みにくい。そのため、いまだに資料整理が遅々として進まず記念館も悪戦苦闘している。わが身の場合も悪筆で、ときに自分でも読めないこともある。だからパソコンをよく使うが脳活には手書きがいちばんよい。

ということで、いまのところ、結論はブログは誰かに語るつもりの文を心がけること、漢字を書く練習をすること、この二つを実行しよう。運動はつとめて歩くことと室内ではスクヮットを励行しよう。外出時には杖をついているが、ときどき足元が心もとない。一度転んだことがあるので臆病になったが、歩くことをやめてはいけないと自分に言い聞かせている。110歳のニュースはよい刺激になった。(2018/1)