2023年1月23日月曜日

講書始の儀2023 細胞の中の「分子モーター」

 宮中恒例の年頭行事のひとつ、講書始の儀が1月13日に催された。進講者は3名。NHKTVは、「[……] 最後に、分子細胞生物学が専門の廣川信隆東京大学名誉教授が、細胞内で必要な物質を体の隅々まで運ぶ役割をするタンパク質の「分子モーター」の働きが、精神疾患などさまざまな病気と関わっていることが分かり、病気のメカニズムが明らかになってきていると述べました」と報じた。

難聴でよく聞き取れないわが耳が「分子モーター」という言葉を捉えた。脳が知っていることばだからこの部分だけよく反応したのだ。

私は昨年終わりごろから、生命の始まりやら細胞の誕生に関心が向いて、自己流で色々調べているうちに、細胞の中ではたらく生体分子モーターの存在を知った。

ヒトが食物をとってエネルギーを得るのに必須の存在であり、四六時中くるくる回転していると知ってほんとに驚いた。体の中に60兆個余りもある細胞のすべての中で回っているという。その印象の強烈さがまだ残っていた松の内に飛び込んできたニュースから「分子モーター」が聞こえてきたのであった。

報道翌日あたりはどのメディアもキャプションだけでご進講の内容は伝えていなかったが、そのうちyoutubeで流す局が出てきた。性能の良くないスピーカーで途切れ途切れに聞いてわかってきたのは、どうも私の知っているモーターとは話が違うようだ。

(筆者注:ご進講の内容は3氏すべての全文が宮内庁のサイトに公表されている。URLを本稿末尾に記載する)

あらためて広川教授がご自身の研究について述べているサイトを調べてみた。神経細胞を専門とされる教授が一般人に説明してくれているサイト、季刊『生命誌』第10号の記事である。見出しのコピーを引く。

   生命をささえる運び屋分子:廣川信隆 東京大学医学部教授

細胞の中は、わずか100万分の1ミリ(ナノメーター)の生体分子が動き回るダイナミックな小宇宙。

あるものは物資輸送のレールを作り、あるものは荷物運びのモーターとなり、あるものは細胞の形を自在に変えていく。

こんなに極微の世界まで、私たちは「見る」ことができるようになったのだ*。

(*筆者注:この成果は広川研究室の発明による急速冷凍法の功績である)

「分子モーター(motor=動かす人、物)」と呼ばれる特殊なたんぱく質が、たんぱく質分子や膜の小胞を支え、微小管の繊維をなんとレールとして使って運ぶのである。

モーター分子が私たちの大きさとすると、直径5メートル**の土管の上を秒速100メートル程の速度で、10トントラックほどの積荷を担いで地球から月までの距離を 走り回っていることになります。」

(**筆者注:一部誤りと思われる箇所をHirokawa Lab.のサイト↓を参照して書き換えました)http://cb.m.u-tokyo.ac.jp/index-ja.html

モーターを回転するものと思い込んでしまったのは筆者の早合点だった。生体分子モーターの構造にはいろいろあるのだ。講書始の儀で述べられたのはリニアモーターだった。それとは別に、ヒトが摂取した食物からエネルギーを得るための装置、ATP合成酵素を動かしているモーターは回転するのである。

こういう次第で、あらためて広川教授について、その生い立ちから研究の経歴などを調べてみたら、これが抜群に面白く愉快であった。『生命誌』61号、「未踏の細胞を観察する」がおすすめだ。https://brh.co.jp/s_library/interview/61/

JT生命誌研究館の機関誌『生命誌』(季刊)の各号には同教授ほか研究者各氏が紹介あるいは研究が発表されている。いずれも興味深い読み物である。

ちなみに長らく館長だった中村桂子氏に代わって歌人でもある永田和宏氏が現在館長を務められている。

偶然であったが、私は故渡邉格氏の講演「現代の生物学について」(昭和59年)をインターネットで読むことができて大いに啓発された。そこには、今ある生物を完成されたものとして考えてはいけない。まだまだ進化の途中なのだ、という考えかたが披露されている。現在の分子生物学の研究者諸氏に渡辺氏の系列の方々が多いのも納得できる。

現在インターネットだけでも基礎的なNHK高校講座から先端研究の論文まで参照できるのはまことにありがたい時代に出会ったものである。

また書評に、やさしく書かれているとか、高校生物の復習であるとかあっても、私にとっては迂闊にその表現にのることはできない。読んでみると知らないことがいっぱいなのだ。

戦後まもない頃の高校の生物の内容はせいぜい虫眼鏡で拡大して見えるもののハナシであって細胞の中で分子が動いているなど誰も知らなかったのでなかろうか。顕微鏡は確かに存在していたが、空襲で焼け出されたわが高校では見たことがなかった。いまの新聞書評子の年齢はわが子より10年以上若い世代だろうと想像する。新聞を読むときには自分の歳をよくわきまえなくてはならないと自覚した。

なお、今回の文章に関連して「生命誌」43号記載の野地博行氏の「まわる分子との対話?」も見ていただきたい。こちらではモーターがまわるのである。

https://www.brh.co.jp/publication/journal/043/research_11

用語については、東大理学部 理学部ニュース>理学のキーワード>分子モーター

が参考になる。

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/keywords/

講書始の儀3氏によるご進講全文は以下のサイトで読める。

https://www.kunaicho.go.jp/culture/kosyo/kosho-r05.html#ko-03

このうち広川教授の講話は一般向けではあろうが、筆者にはやはり高級すぎることを白状しておく。

(2023/1)