2015年3月30日月曜日

ルビ振りソフトにびっくり

ルビ・ふりがなの話 この間、露伴の振り仮名についての座談「言語と文字の間の溝」を読んだ。その座談のきっかけは山本有三の提唱したいわゆる「ふりがな廃止論」であった。この「ふりがな」は漢字の横に漢字の読みを仮名で小さく付けることを意味している。「仮名をふる」という言い方ができている。露伴はこの振り仮名をルビーと呼んでいる。印刷業界では振り仮名に使う小さな活字をルビーと称した。ルビーは宝石のルビーからとった名称だが、イギリスでは活字の大きさにそれぞれ愛称があったようで、辞書にもRubyは5½ポイントとある。日本での呼び方がルビーからルビになったのでろうと推察できるが、露伴は初期の頃の呼び方に従っていたのであろう。広辞苑の項目に「ルビ」があり、「振り仮名用活字。また、振り仮名。五号活字の振り仮名である七号活字がルビーとほぼ同大であることからいう」とある。活字の歴史も興味深いことが多いけれどもここには触れる余裕が無い。 ネットでルビとか振り仮名とかを検索語にして調べてみて大いに驚いた。ルビを振るフリーソフトがたくさん紹介されていたり、新聞記事にルビを振って無料公開しているサイトがあったりしたことだ。この種の検索を今までしていなかったこともあって、今更ながら時代の変遷に一人だけ取り残されたような気分になった。
YOMOYOMO 東京新聞の画面
かつて日本語教室で講師をしていた頃、新聞を読むクラスで、日本人の名前で読めない漢字やどう読むのが正しいかわからない漢字に出くわして困らされたことがよくあった。ところが英字新聞で同じ話題を探すとその日本人の名前がローマ字でちゃんと出ているではないか。日本語で読もうとすると読めない文字が英字新聞では読める。なにか変だとその不都合に怒りを覚えながら新聞社にメールで抗議して、以後こういう場合には振り仮名を付けてもらいたいと希望を出しておいた。1990年前後だったと思うが、当時その新聞社から広告か編集部関係の本が出ていて、振り仮名の有無で紙面行数が変わり、ひいては広告の占める面積に影響するという考え方が披露されていたように記憶するが、要するに振り仮名には消極的であった。読者の利便か金儲けかという大新聞ともあろうものの姿勢が疑われることでもあった。半年ほどしてから難読の姓名に振り仮名が付けられるように変更された。 思えばそれから数年経ってインターネットが登場したわけだが、さらに20年ほどたった今はネットを通じた振り仮名サービスが花盛りの様相となっているわけだ。 「日本語教育学習ポータルYOMOYOMO」というのがある。新聞のページには全国紙、夕刊紙、地方紙、スポーツ新聞など25紙が用意されている。使い方はまだ知らないが、サイトの説明文には振り仮名だけではなく、ルビ振りでローマ字、ハングル、デーヴァナーガリ(インドの文字)、キリルをつけることができて、更に音声読み上げができるとしている。任意の文字をクリックすれば単語を自動的に認識して辞書も引けるそうだ。使い勝手はまだ分からないが外国人の自習にはかなりの利便性が認められそうである。日本語学者育ちの講師だけではここまでのツールは出来なかったのではないだろうか。IT技術を応用した日本語処理ツールなのだ。 日本語教育から離れて10年以上経つ老兵にはただ驚きの一語である。 これとは別に、文書にルビを振るソフトも沢山ある。たとえば「ルビfor Word」(有料)とか「るびるび」(無料)なんてのもある。試したことはないが、いずれもオフィス関連ソフトのようだ。HTML用もあったりしてなかなか賑やかなことだが、これなどひょっとしてアニメに使うのかもしれない。日本語教育とは少し方向が違う感じがする。前二者はオフィスのIMEを応用しているようだが、教材作成に便利だろう。 先の"YOMOYOMO"や上の「るびるび」など使用する側は講師の目も必要かもしれない。"YOMOYOMO"では偶然「誤読」が見つかった。テニスの錦織選手の名字がニシキオリと仮名が振られてあった。「るびるび」ではIMEのくせ?によって「行った」は「おこなった」になることが多いと断りが添えてある。せっかくの学習ソフトだから校正を含めた正確さが求められよう。だからといって、これらソフトの作成者には頭がさがることにかわりはない。 ルビ振りソフトに思わず話をさらわれてしまったが、新聞記事などの固有名詞には振り仮名が必要なことは最近その思いが強くなった。子供の名前だ。ありきたりの文字でも読みは決してありきたりでないことが増えてきた。例に出して悪いがピンポンのワールドツアーで優勝した14才の伊藤美誠さん、ミマとお読みするらしい。その他事故や犯罪などの記事では不思議な読み方が多くなった。関取衆も日馬富士も最初は意表をつかれたし、皇風(キミカゼ)、颯天(ハヤテ)、今度は阿炎(アビ)というのが登場した。四股名はどうか知らぬが、一般の人名についての字形は人名用漢字で常用漢字2136のほかに840ほどに制限されている。困るのは読み方に制限がないことなのだ。昔の親は漢字を決めて読みが従う形だったが、いまはカワイサ優先のためだろうか読み方(呼び方)を決めてから当てる漢字を決めるのが多いそうだ。人名用漢字の管轄は法務省になっているが、文科省(文化庁)との二元体制はよろしくない。おまけに漢字コードのJISは通産省の縄張り、かつて年金の名寄せがでたらめのような感じを見せつけられたが、どうも漢字と平仮名、片仮名の三種類の文字の制御がうまくいかない。認知症のお年寄りの行方がわからなくなって、警察署間の捜索連絡がよみがなの連絡違いで、何年も不明のままになってしまった事例も出た。来年実施というマイナンバーとやらも、扱う人間の質を向上させることが先決だろう。どうぞうまくやってくださいよ。(2015/3)

2015年3月24日火曜日

露伴を読む(4)「言語と文字の間の溝」(昭和13年9月)

表題の一篇は座談の記録である。正確には岩波書店編集部の記者が当時かしましかった振り仮名についての議論に対する露伴の意見を聞きに来た時の対談記録である。対談といっても殆どが露伴の発言であるし、その内容の知的な豊富さは巧みな表現と相まって自ずから人柄の滲みでた楽しい座談であると思う。

対談の契機となったのは作家山本有三が著書のあとがきに添えた主張である。本文で山本は易しい漢字だけを用いる文章をこころがけて振り仮名は一切使わないことを実行した。そして、あとがきで振り仮名は一切用いないことを世に勧奨した。これが「ふりがな廃止論」とされ多くの議論が巻き起こったのであった。
(参考)
山本有三『戦争とふたりの婦人』巻末「この本を出版するに当って―国語に対する一つの意見―」岩波書店 昭和13年5月単行本、8月改訂版
山本有三『戦争とふたりの婦人』巻末「この本を出版するに当って―国語に対する一つの意見―」「『ふりがな廃止論とその批判』へのまへがき」岩波書店 新書版 昭和14年
白水社編『ふりがな廃止論とその批判』昭和13年12月)


昭和13年当時と現在では、時代というか世相が全く違うわけだし、言葉や漢字についても感覚も異なることから、ここでは昔のことをとやかくいうことはしない。ただ問題の種類や所在は当時も今も相変わらずである。したがって、この一篇では虚心坦懐に露伴の語るところを愉しめばよいだろうと思う。その意味でこれは筆者にとっては楽しい読み物であった。賢くなった気もするし。

ちなみに「ふりがな廃止論」に対する露伴の意見は、常識的なことである。要約すれば、
普通教育を受けた者には誤解誤読のおそれなきものには付けない。地名などは字が決まっているのだから仕方がないし、ほかにもいろいろあるだろう。そういうものには親切の意味で下に小さく読みを書いておく。
文字と言語の間に溝のある我が国のことだから、訓注を要する場合があるということだけは予想されねばならない。
ということになろう。

「文章はルビーだけで成り立っているわけではなく、もっと大きな問題がいくらもあるのだから、それで漢字を廃してしまうとか、ローマ字を採用するとか、あるいは仮名文字にしてしまうというような大きい議論は別にして、それをお預けにしたところでルビー一つだけで論ずるのならば」という前置きをしているが、その当時の漢字制限論やローマ字運動には批判的であったかのようにみえる。

「『字』という字の意味が元来孳乳繁殖を意味していて」という箇所があるが、調べると哺乳動物が繁殖するということだったが、「うむ、ふえる」という意味の「孳(じ)」が「字」の語源で、字は増えるから「字」を使うようになったと辞書にある。「社会の事物思想が段々と新生して来ると言語だの文字だのは随應して増加して行くべき譯」で「文字を減じ得ても言語は増さぬ譯には行かぬ」から制限しようというのは容易ではない、と言っている。「詞は元来が耳に訴えるものにして(漢字が減らされれば)長々しく示されるようになる」から、露伴の頃から80年余経て、紆余曲折があったとはいえ、現代の漢字仮名交じり文はほどよいところで落ち着いたのかなという感じがする。

漢字クイズなどに難読漢字を読ませるものがあるが、鑷(金偏に耳が3つ)を露伴が話のついでにもち出している。「ケヌキ、毛抜」だそうだ。紅葉が好んで使ったというが「南方」と書いて「ケヌキ」と読ませた。こころは「南方不毛の地」から採ったシャレらしい。この場合南方は今の東南アジアである。昭和期前半の南方も未開瘴癘の地として扱われていた。1970年代、外務省のシンガポール駐在員には瘴癘地手当がついていたらしい、随分失礼な話ではある。

また日本の故事からの言葉として「白馬」を「あおうま」と呼ぶ習慣を紹介している。漢字の白は碧と共通するらしいが、日本では古来の年中行事に「白馬節会(あおうまのせちえ)」があることを知った。そういえば神社に白馬が飼われているのを見た記憶がある。故事の漢字と読みかたの結びつきは、知らなければ振り仮名に頼るしかない。

劇作家の井上ひさしさんは、振り仮名は漢字と仮名、つまり意味と音をつなぐ貴重な工夫なのだ、と書いていて、作品にも数多く利用している。それがまた、たいてい笑わせたりして愉快だったのは懐かしい。大冊「吉里吉里人」が我が本棚の奥に眠ったままになっていたのを思い出した。読んでみよう。

「言語と文字の間の溝」は近代デジタルライブラリーで読める。「音幻論」の付録175ページ。コマ番号95から始まる。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126366/8

(2015/3)











2015年3月7日土曜日

露伴を読む(3)『音幻論』

「音幻論」 露伴 述  土橋利彦 筆記             

単行本表紙陰影 近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126366
    
岩波書店の露伴全集第四十一巻 別冊に「音幻論」と題された日本語の音(おん)に関する一群の著作が集められており、序、目次、各論の順に構成されている。序の末尾に「昭和丙戌の歳」とあるから昭和21年(1946年)のことであるが、これは序文を書いた時を示すもので、内容の各編はそれぞれに異なった時期に雑誌に発表された。ここに収録された内容は昭和22年5月、単行本となって洗心書林から発行された。別稿「言語と文字の間の溝」(昭和十三年)が付録についた。

「序」の中で露伴は、焼失した小石川の旧書斎の硝子障子に、墨で将来の著書目録あるいは材料収集の目安書きのような言葉がしたためてあったが、その中に「音幻」という文字があり、それが遂にふつつかな形だが「音幻論」として出版されることになったと控えめに喜びをあらわしている。

音幻とは聞き慣れない言葉だが、露伴は次のように言う。「言語の変遷する所を掴みたいのが音幻論の生ずる所以で、言語が金石に彫刻したもののやうにその儘永存するものではないのは、恰も幻相が時々刻々に變化遷移するものである如く生きて動くものである。そこで音幻の二字を現出したのである」(「韵」)。[筆者注:韵は韻に同じ]

国語について、言語学その他で諸先輩が色々な優秀なる意見を披瀝してゐられたのと別に、それとは少しく異なった考を余は早くから有してゐて、いつかはこれを世に問ひたいと思ってゐたからであった。純粋に音の上から言語文章の大きな問題を生じることを意識してゐたので、いよいよ自分の思ふだけの材料が完全に得られた時は、直ちに切って放して、その仕事をやり遂げたいと思ってゐたが、さしあたり急なことでもないから、仕事にとりかかる時の有力なる材料として、零細的に書きしるして置いたノート類の外に、国語の排列の仕方に一種の考案を用ゐた、半紙本十冊にも餘る字引のようなものを、甥の四郎といふ者に託してつくって置いた。([序])
伊東にゐた頃、シとチの話をして土橋君に筆記して貰った。信州へ行ってからも、どうすることもできない體で、時々話したことをやはり同氏の筆記を以て「文藝」に與へた。終戦になって再び伊東へ頼り無い病軀を寘いた後、又その仕事を続けて、この音幻論は成立った。東京の住ひは灰燼に帰して、甥につくらせた字引も烟となってしまったので、徒らに筆記者の労苦を致したが、その結果に於て、半部以後のものは余の當初の考とは違って、萬事物足りなさを感じるけれども、どうにかこうにか一部をなしたのはこれである。音は幻である、といふ余の考は、たとへ不満足にせよ、これによって窺はれるものとして、人に示すことができたのである。(「序])
露伴は昭和十九年には白内障で視力が格段になくなったが、持病の糖尿病のため手術ができない。また起き上がることの難しい身にもなってきた。一方で戦争は進み空襲が始まり、介抱されながら伊豆や信州に難を避けた。

「音幻論」各編は、戦中戦後を通じて不自由な身で場所を移しながら口述筆記で雑誌『三田文学』と『文藝』に寄稿されたが、資料を失ってしまったため、口述者、筆記者共に負った苦労は想像に余りある。雑誌も掲載年月をたどれば、「シとチ」「近似音」「本具音」「ン」「韵」「音の各論」前半までは戦時中の作業であり、「音の各論」後半、「累音」「對音」「省音」「添音」「倒音」「擬音」「音と言語」「聯音」は戦後の作業とみられる。浅学の筆者には露伴の記述そのものへの評価など到底おぼつかないが、日本語についての著者の愛着の片鱗でも味合うべくぽつりぽつりと読み継いでいる。

「音幻論」のすべての原稿の筆記者は土橋利彦氏である。同氏は甲鳥書房の編集者であったが早くから露伴の弟子になり、眼疾で書けなくなった露伴を見かねて自分が担当するとして口述筆記を申し出た。もとより露伴の該博な知識についていける程の力量でないことは自認していたが、露伴も承知でその好意と熱意に報い、土橋氏を鍛えながら口述による著作を進め、最後の著作「芭蕉七部集」も完成した。露伴没後の土橋氏は岩波書店の露伴全集の編纂に関わり、さらに伝記『幸田露伴』を世に出した。この間に自らも失明しながらの著述だったという。筆名塩谷賛。自らは決して伝記を書かなかった露伴だけに、常時身辺にあった同氏による伝記は貴重な記録とされている。

土橋氏が所属する書肆が「三田文学」を発行することになったため、露伴に原稿を依頼したことが契機となって「シとチ」の執筆が着手され、目の見えない露伴に導かれながら『大言海』と首っ引きで土橋氏は筆記したらしい。ここで土橋氏が学んだことは、露伴は知らないことを土橋氏に命じて大言海を引かせるのではなく、知っていることを引かせるということだったという。ちなみに雑誌が出てから僅かながらも稿料を持参すると、露伴はそれは土橋氏の調べ物に対する礼だとして押し返したという。こうして「音幻論」すべての稿料は土橋氏が受けとり、単行本の印税は出版元が倒れて不払いに近い結果に帰したというから、露伴の手元にはほとんど何も残らなかったことになった。




さて、「シとチ」は豊富な用例を挙げて、「シ」と「チ」がどちらの音も風を意味するということを明らかにした文章である。日本語が成り立ってきた経路から考えてどちらが正しいとか言えるものではない。日本語があって、五十音図の伝来があり、仮名遣いが論じられるようになった。仮名遣い以前の日本の言葉は風の場合で言えばシでもチでもない音かもしれないが、考えても詮無いことであろう。

元来言語は二元のものであって、発する人が一つ、聴く人が一つ、聴いた人が復現するときに至って、又、発した人が復聴するときに於いて言語は成り立つのである。それであるから言語といふものはそのもの一つで、すなはち発音者のみを以て論ずるのはむしろ滑稽なことであって、聴く人聴かせる人が一圏をなして初めて成立つものである。(中略)音韵の自然の流行の径路を遍く正しく観察することが何よりの努であらねばならぬ。
「音幻論」は、その意味で長年考へてゐたことであるが、その大綱を成就するに及ばないで已に私は耳も疎く、目も殆ど盲するに及んでゐる。それで今ただ、シとチだけのことを言って、その萬分の一の思考を遠慮しながら一例として述べたまでである。何も自分は言語の上に新古正邪の見を立てようとするのではない。ただ真の邦語がどういふものであったかを考へ知りたいと思ふばかりである。(昭和十九年八月 「シとチ」)
アラシ、アナシなどの語彙を集め、用例として記紀万葉、祝詞、歌集など数多の資料が駆使されている。提出される言葉を追うだけでは面白くもない読み物であるが、その説明として挙げられる出典を見てゆくとき、生活に密着した言葉の実際を自ずから知ることができる。蒐集されているのは日本語の話し言葉であるから、そこから日本の文化がみえる。露伴は漢語の音韻にも通じ、また英語にも詳しいが、音幻論は全く日本語の音韻の変化、転訛などを仮名表記を使用して考究している。それは言葉は音で成り立っているという考えのもとに、論を立てるより先にまず実態を観察しようという姿勢に基づくのである。

各編に用いられている用語も珍しい名称になっている。露伴の漢字の使い方がわかる。たとえば、本具論。ある音が発せられる直前に発せられる幺微(ようび)の音を仮に本具と名づけたのだという。梅がウメとかムメとかになるのは、メを発する直前に出る音をメの上に書き足して表現したからだ。この直前に出る音をメに本来具わっている音と見立ててメの本具音といったわけだろう。だからウメとムメのどちらが正しいなどということに重きを置かない考え方だ。メを発音する際にはこのようになるということを知ることが大切だと説くのだと思われる。梅とか馬のシナ音が日本語に入って、やがて五十音図にしたがって仮名表記にしたとき、メとかマだけでは写しきれない音が感知されて困ったという歴史である。メやマの前に何やら空気が感じられて、それがウやムに聴こえたという当時の人々を想像するのも楽しい。
露伴は「ン」には別項を立てて、何と読むかわからないと嘆くのであるが、口を閉じて鼻腔から内息を漏らすだけでこの音を発音できると述べている。しかし何という仮名文字で表していいものであろうかと考えこむ。だから「ン」と称するだけで改めて項目名は立てていない。
この時代の言語学の状況は知らないが、西洋流の音声の考え方に近いところをいっていたようだ。それでいてあえて西洋言語学には近づかなかったのかもしれない。

言葉の意味(字義)には関係ないこととして、学界を揶揄した蕪村の句など紹介してあったのが愉快だった。
あらむつかしの仮名遣いやな字義に害あらずんばアゝままゝよ、と詞書して、
     梅咲ぬどれがむめやらうめじややら (几菫編 蕪村句集巻之上)(「本具音」)

他の各編について触れることはしないが、「音幻論」は決して人気のある著作ではないかもしれない。物事を大きく把握しながらも几帳面で細事を疎かにしないこの人物による労作は言葉に関心ある者にとっては、なかなか捨てがたいところがあると思う。昭和十九年というただならぬ時期に何という閑文字をものしたものかという(好意の)評言もあるが戦争嫌いの露伴なればこそであろう。

(2015/3)