2022年5月9日月曜日

読後雑感 『完本 春の城』『西南役伝説』

島原 原城跡

石牟礼道子さんの作品をはじめて読んだ。4年前に90歳で病没されているが、水俣病救済活動の実践家としても知られている。池澤夏樹個人編集の世界文学全集では日本文学からはただ一人、『苦海浄土』が入っている。これは題材が重すぎることに恐れをなして、いまだに読む勇気がもてない。
この春、ふと気持ちが動いて『完本 春の城』と『西南役伝説』とを続けて読んだ。
前者は島原天草一揆を題材にとった物語である。この一揆は乱ともいわれるが、1637年から翌年春にかけての圧政下の民衆と統治者の争いだ。廃城に立てこもった老若男女3万7千人を12万人もの武装軍隊が囲み、一人の内通者のほかは皆殺しになった異様な事件であった。もとはといえば、キリシタン禁制と理不尽な年貢高の強制にあった。
廃城のもとの名が原城(ハルノジョウ)であったところから、来世に希望の春を夢見たであろう一揆の民衆を思いやった著者が「春の城」と題したと思われる。この地方では原(ハラ)はハルとなまる。
皆殺しの事件ではあったが血なまぐさい戦いの場面はごくわずか最後に現れるだけで、蜂起に至るまでの春秋の細民の暮らしぶりが人物描写とともに、ときにはユーモラスに描かれる。
著者の筆は暖かく人々が磯に山に日々の食料を工夫して手にする有様を男女様々な言葉のやり取りを通じてつづる。天草一帯の島々は渚と山に挟まれた痩せ地に田畑が残って後は山という感じだ。今でこそ派手やかな五橋が架かって観光名所を謳歌しているが、物語の頃は天然そのままで島から島に渡るにさえ、手漕ぎの小舟では潮の様子を読まずには動けない。
この作品を読みながら感じたのは作者の実に温かい眼差しだった。人間だけでなく生きとし生けるもの全てにいのちを感じる類のものだった。「春の城」全編が膨大な枚数にも関わらず読者を軽やかに物語の先行きに送り立てる魔術がここにある。
著者は鈴木重成というサムライを書きたかったという。一揆のいくさでは幕府の鉄砲隊長を勤めた人物、乱後に天領となった天草の代官に任命されて善政を敷いた。一揆の原因となった年貢高が実収高の二倍という旧領主の定めを改めるよう詳細な検地を行って老中に訴え続けたが容れられず、最期は石高半減を願う建白書を出して江戸の自邸で自裁した。二年後に年貢高は改められた。天草の人々はその善政を慕って鈴木神社を建立した。重成は物語に登場はしないが、『完本 春の城』に併載された取材紀行「草の道」には神社訪問場面がある。
籠城した天草各地からの隠れキリシタンの人々の中にはナンマンダの家から嫁いだ女性や観音様を拝む老人がいるし、仏教僧侶もいる。この人達の考えではキリストさんも仏さんもオンナジで宗派が違うだけだ。要はヒトを愛し慈しむことに変わりはない単純明快さであって、それは著者の考え方であり、水俣病の問題に通じている。900ページにおよぶ長い物語であるが文章は読みやすく登場人物にも親しみが感じられて一気に読み終えた。
次に読んだ『西南役伝説』もそうだが、作中の人々に語らせる土地のことばが作品に温もりを感じさせる。ことばは天草に生まれて水俣で育った著者がもつ強みであり、特質でもあるだろう。
『西南役伝説』。「春の城」では作者が造形した人物に土地ことばを語らせているが、こちらは探し当てた長命の古老に当人が生きた時代を語らせている。「オーラル・ヒストリー」という歴史叙述の手法があるそうだが、この作品はまさにそれだと思う。よそ者が耳で聞いてもわからない内容も仲介者が文字に写してくれれば、おおよそは理解できる。その上、ことばのなかに本来の日本のこころを感じることまでできそうである。
『西南役伝説』は序章及び第一章から第六章までと三篇の拾遺からなっている。戦争は芝居の書割のように背後に押しやられて、村々の人たちが身近に見聞きしたことを語ってくれる。いくさの場面は出てこないから表題にはやや偽りありの感じがする。
「わしゃ、西郷戦争の年、親達が逃げとった山の穴で生まれたげなばい。ありゃ、士族の衆の同志々々の喧嘩じゃったで。天皇さんも士族の上に在(おら)す。下方の者は、どげんち喜(よろこ)うだげな。(中略)戦が始まっても、それそれやれやれ、ちゅう気もあって、百姓共は我家ば見らるる藪に逃げ隠れしとったが、戦に加担(かた)らん地方(ぢかた)の士族の組が、遠うに逃げとったげな」。
西南役の後、村の子守達が唄った数え唄――、
 一つひぐれの時が来て
 ニではにっことウス笑う
 三で侍無うなった
 六つ無刀に槍朽ちて
 九つ小前に苗字くれて
 十とうとう夜があける
侍の日暮れを声に出すまいと笑ったとうたうのだ。小前は小百姓のこと。著者は別の箇所で、水呑百姓とはリアルすぎる腹の実感だったと書いている。
以上は序章から引いたが、語り手の男4人女1人の仮名と生年が挙げられている。
第一章の語り手は須崎文造翁、1861年生、昭和38年当時は103歳だった。
「並みはずれた長寿のみが時代の心を語ってくれるその典型でした。民衆の中に甦えり甦えりする命のごときが、目尻のやさしい皺の中にありました。あの歴史年表とかいうものをあずかり知らぬ細民ひとりの百年の、まだ生きている中味が、秋の日さしに匂い立つ渚の家の囲炉裏ばた座っていました」。語りの途中に挟まれたこの著者のことば、心にくいような達筆に思える。
第二章は小木原、有郷きく女106歳、その娘、咲70すぎ、話を聞いたのは、また養子夫婦の時代。乳牛数頭と小型三輪車の小屋が隣り合って並ぶ自作農家、アメリカ向けにカナリアも輸出している。きくの嫁入った頃とはなんという違いだろうか。「仏さんのようなばあさん」の口から漏れる生身の憤怒には、現世嫌悪の気配があると著者は書く。そしてこの章の括りには次のように記している。
きく女の一語一語を字幕のように思い出せば、うつろいゆく文明というものの景色の中にじわりと出て来て、節の曲がった老人斑の腕(かいな)が、ちゃぷちゃぷと音を立てながら、泥水をかき撫でかき撫で、早苗の間を吹く風の中を、泳ぐような手つきでゆくのが見えてくるのです。それは拡がってゆく土塊のようにもみえ、古い絵地図が活き返ってくるようでもありました。 そのような指が、もう唄わなくなった自分の子守唄を、田んぼの泥水といっしょに握り潰したまんま、果てるのを私は見るのです。
第三章は詫間村の梅田ミトさん104歳、一人暮らしにはわけがある。第四章は著者が古文書にさぐった天草の変遷が記述されている。第5章と六章、郷土史編纂に携わる俳人穴井太、熊谷陵蔵両氏が聞き取っていた古老の話。村を通り過ぎた官軍と薩摩軍の印象が語られている。最後の拾遺三編は孤独のうちに世を終える不運の人たち。このうち「六道御前(ろくどうごぜ)」は爺様が好きでよく呼び込んだという浄瑠璃語りの女乞食のことを婆様が語る形になっている。名作である。
はじめに戻るが、序章の一節が読後も強く印象にのこる。
西南役を出生の年とする一老農の、1962年迄の85年間の全生涯は、体制そのものの対極にある生でもある。支配権力を物語として捉え、AがBになりBがCになろうが、例えば、天皇制護持という形をとるにしても、倫理としてより便法として捉えているようにみえる。明治初期肥後と薩摩境の、水俣の下層農民にとって天皇とは、
「わしゃ想うが、日輪さんの岩屋に這入(ひゃら)した話は嘘ぞ。空より広か岩屋のあろうかい。勘に来ん。あんたは字ば知っとるや、本に書いてあるかい?」百の理論や知識を超えて、文盲の彼の中に、物語としても系統化せぬ論理への疑問が、その精神の振子の軌条に副い続けているのである。
読んだ本:石牟礼道子 『完本 春の城』 2017年 藤原書店
      〃    『西南役伝説』  1988年 朝日新聞社
(2022/5)