2018年10月14日日曜日

無線LAN(WiFi)ルーターを新しくしよう

ある日PCのひとつがインターネットに繋がらなくなった。タスクバーには飛行機アイコンが出ている。つまり、無線LANが無効だ。再起動してみてもなおらず。
アクションセンターのSSIDを調べると3つとも接続できない。LANケーブルで接続してみると繋がった。問題は無線の関係にありということがわかったが、どうすればいいかわからない。このPCはまだ3年目。内部の無線部品が故障と言うにはまだ早い。原因をさぐる方法がわからないし、内部の故障なら手におえないと考えて出張修理を依頼した。午前中に依頼して、2時頃来訪、3時には終了した。修理業者のことと修理内容について、おおよそのことを記録しておく。
大塚商会のサイトから拝借

依頼したのはネットで見た広告先。コールセンターにかけて、当方の電話番号と住所を伝える。折返し担当店から連絡が来て来訪予定時間が決まった。やって来たのはスーツ姿の青年紳士。千葉市からだった。本人名が入った名刺を見ると、ドクター・ホームネットという名前になっていて電話も別の0120と普通の加入電話の番号があった。

料金は事前にホームページでわかるが、来訪して最初に説明があった。彼はタブレットを持参で、いろいろな場面で使うのが当方には珍しかった。出張5,000円、診断3,000円。ここまでは来てもらったからには必須である。修理については個別の作業別に細かく決まっている。インターネットに接続できない場合は12,500円となっている。全体に8%の税金がかかる。この種のサービス料金は大抵横並びで、個人が一人でやっているのは少し安い感じだと思う。知り合いの個人業者もいるが、今回は連休中であることと、今後の参考にするため頼んでみることにした。今回の業者は土日祝日も営業とあった。

一通り症状を説明したあと、ルーターを見たいとのこと。案内すると、機器に貼りつけてあったパスワードを目ざとく見つけて、タブレットで写真を撮った。こちらは今度の不調原因がルーターにあることは全く頭になかったから、抜かったなと思ったりした。はじめに症状を説明したとき、無線ではつながらないが、ケーブルではつながること、再起動しても回復しないこと、WiFiは無効でも電波はPCに届いていることなど伝えたから、残る問題はルーターだと見当をつけたのかとも思う。
アクションセンターでSSIDの接続を試しているようだったが、その辺りで接続ができたらしい。このルーターはいつ頃からですかと訊かれて、調べてみたら説明書に2010年とあった。新しいのに替えることをおすすめしますと言われた。問題のPCは3種類表示される無線規格のうち一番古いので接続回復したようだった。なんとかつながっていたものが、何かの折に切れた可能性があるような説明だった。ルーターはバッファローかNECをお勧めしますと言いおいて帰っていった。

終わったとき、ルーターの管理画面が出ていたことと、撮影したパスワードを入力していたのを見ていたので、これを手がかりにして修復の仕方を再現してみようと考えた。
まず管理画面はどうすれば出せるか。探すと、バッファローのサイトにピッタリの答えがあった。「無線LAN親機(WiFiルーター)の設定画面を表示する方法がわかりません」という表題の画面だ。
IEを起動してアドレスバーに「192.168.2.1」と入力する。Windowsセキュリティ画面のユーザ名、パスワードの両方とも初期値「admin」 を入力する。(以上はWindows10 の場合で、メーカーを問わず共通と思う)。管理用画面が開く。「詳細設定(上級者向け)」をクリック。左側の「無線LAN設定」→「基本設定」でチャンネルを試して変更する。「適用」をクリックする。(どのチャンネルにするか試すには、1,6,11がおすすめだそうだ。)設定保存画面で更新→OKをクリックして終わり。ケーブルを外して無線を試す。
「SSID検出されない」「無線接続安定しない」場合は同じ手順で他チャンネルを試す。この適合するチャンネル探しが難しい技かもしれない。
来訪の技術者もこの方法で接続成功したのだと思う。ルーターはelecom-logitec製だったので、http://qa.elecom.co.jp/faq_detail.html?id=2845を参考にした。
大塚商会のサイトから拝借
機器の寿命などについて調べてみると、競合する電波が混雑している場合など自動で選択する機能などは新しいほうが良く働くようだ。機器の寿命は4-5年とされている。物理的には10年程度だが、電波規格の変化が激しいから、古くなると適合させるのに手間がかかる。今回も時期的にWindowsの秋季更新プログラムが各PCに到着しているから、自動でダウンロードされる際に不安定さが影響して切れた可能性もあろうかと思う。
NECのWG1200HP3を早速買ってつないだところ至極簡単に接続できた。他のPCも問題なくできた。古い方は買った当時でもこんなに簡単ではなかった。いまではどこの機器にもついている「ラクラク設定」のボタンもなかった。プリンターの接続もこれで楽だったが、キャノン複合機の場合はメーカーの説明の要領がよくない。

はからずもルーターとの接続を回復する手法を学んだが、PCメーカーのサポートページはルーターに原因を指摘するとは限らない。現に今回のヒューレット・パッカードはそうであったから、原因は突き止められない。修理費と新しいルーターを買う費用が今回の合計支出となったが、ルーターを疑うことを知っていれば、そしてルーターを新しくすることに気がついていれば、新規購入だけで済んだかもしれないなどと、一寸唇を噛んでいる。ルーターの性能、最近の周波数のことなど、あとづけで勉強したが、とにかくも良い勉強になった。それにしても、あの小さいルーターで外部回線から取り込んだ電磁波を無線化できる原理は不思議だと思う。高校物理にあるようで興味が湧いたが、とてもそれまで手を広げる力量は今のところない。スマホとかモバイルルーターとか新しい知識が要るし、ルーターは何年ももつなど古い知識は捨てなくてはならない。(2018/10)

2018年10月11日木曜日

雑感 世代は移り変わる

「百年河清を俟つ」という言葉がある。気長に物事の移りゆくままに待つ、という意味だと思っていた。もとになった故事は、政策を決める際の判断についての教えの言葉だそうだ。「俟河之清、人壽幾何。兆云詢多、職競作羅。(『春秋左氏伝』 襄公八年)」。河が澄むのをまつも、人の命はいくらもない。占いに問うても提案が競い合って判断がつかない、というような意味だ。要は、決断は自分で決めろという教訓だった。百年という言葉は原典にはないようだ。
黄河 Wikipediaより

じつは100という年数や年齢にかこつけて何か書こうとしたのだったが、もともと100が関係しないのでは話にならない。出典を知っただけで良しとしよう。河は黄河のことであるのは言うまでもない。
故事をいう言い回しに、いつどこで「百年」が付いたのかわからないが、遠い将来を指すときに使われたように見える。いまの世は100歳時代と呼ばれるように変わってきた。期待を含んだ100が現実の齢の表現になってしまった。「俺の目の玉の黒いうちは…」という言い草を常とする人物がいたとすると、100歳を意識しているのかもしれない。
こういう類の人の人生は昔通りせいぜい50年程度であってほしいと思う。

インターネットであれこれ記事を楽しんでいると、南方熊楠さんを知っていますか、という文があった。知っていますかって、何を言ってるんだ、という思いをしながら読んでみると無理もない。昔こんな風変わりだけど偉い人がいたんだぜ、という人物紹介記事だ。こっちは同郷のよしみもあって大人たちが話すエピソードを子供の頃から聞いている。世の中みんなが知っているという感覚でいた。それが「知っていますか」という質問が堂々と出てきた。これはいまや熊楠さんを知らない新しい人間が世の中にいっぱいいる証拠だ。昔は三世代が一つの家に住む、というのはたくさんあったけど、年寄りなしの世帯が増えた。母子家庭とか、おひとりさまとかもあって、とにかく単位あたりの人数が減った。こうなると昔からの言い伝えだとか、語り草だとかが世代を超えて伝わることがなくなってしまう。昔話というのもそうだ。図書館に行くと「〇〇県の昔話」などという本が並んでいる。ああゆう本にはおばあさんから聞いたというような、地方訛りで方言が交じる話は入っていない。昔話は本来語られるものだから口語だ。口語は本になると消える。訛りは文字で表せない。だから本になった昔話はあまり面白くない。物語は耳から聞くにまさることはないから、新しく生まれた世代は気の毒だと思う。いま達者でいる年寄りでさえも既に知らないことが、本を見ればあるというのがせめてもの救いだろう。

6月に大阪地方で地震があって、高槻市の4年生の女の子がブロック塀の下敷きになってなくなった。ブロック塀は地震に弱いから危ない、と大騒ぎになった。そんなことはとっくに知っていたから、どうして世の人々は知らなかったのかと不思議だった。1980年に造成地に家を建てたとき、町内の申し合わせにブロック塀は危ないからやめましょうとなった。当時はそれより古い頃の地震の経験から、そういう申し合わせが住民の間でできたのだった。その時建った団地の家々で生まれた子供はブロック塀が危ないことを知っただろうか。いま思えば大きな疑問である。口頭による申し伝えはいつかは消える。文書で残す、それが法律だろう。しかし法律は必ずしも災害防止とか安全とかが考えられるとは限らない。これからつくる塀には適用されても既存のものはお構いなしということもある。既存不適格という問題だ。事故が起きた高槻市では壊す費用に補助金が出ることになった。こういう事が全国的に行われたかどうか知らない。ブロック塀だけでなく、ほかにも危険をもたらすものは千差万別いたるところにあるだろう。大風が吹けばあれはアブナイヨ、と誰もが考えていても、実際に倒れるまでなんにもしないのはよくあることだ。大岩が落ちてきそうな崖下に「頭上注意」の看板というのは全国にある。どう注意すればいいのか、不思議に思いながらその下を通り抜ける。あれもお役所仕事の典型である。
高槻市の現場 news.gooより
寺田寅彦さん(知っていますか?)は災害に対する考え方を早くから書いていた。あちこちによく書いているのは、小学校の教科書に書いておけという意見だ。子供に危険の知識を早くに入れておけという。少し時代が進んで、戦前、昭和12(1937)年、「稲むらの火」が国定教科書に入った。戦後については、2011年の「道徳」副教材に載っているという(愛知大学「『稲むらの火』の教材化をめぐる考察」2011年)。また、同年2月14日にはNHKスタジオパークが「教科書に復活した稲むらの火」で2011年度小学5年生の国語教科書を紹介している。これは震災学者の河田恵昭氏作「百年後のふるさとを守る」であり、実在の濱口儀兵衛(濱口梧陵)の伝記に「稲むらの火」の一部が引用されているそうだ。梧陵は災害後の窮民対策を兼ねて自費で長大な堤防を作った。現存する広村堤防だ。実際に後世の三度の津波に役立ったが、将来想定される津波にはいまの5メートルの高さでは不十分と指摘されている。東日本大震災の直後に教科書に入ったのは偶然だったが、2015年には本文が修正されたそうだ。http://web.archive.org/20110616031242/http://www.nhk.or.jp/Kaisetsu-blog/200/72609.html
河田氏は、地震や津波は時が来れば必ずやってくると書いているし、寺田寅彦氏は「科学の方則とは畢竟(ひっきょう)『自然の記憶の覚え書き』である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである」という(昭和8年5月『鉄塔』 青空文庫『津波と人間』)。両氏ともに人間はあてにならないとの諦観に似たものがあるが、これも真実だ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/4668_13510.html
ヒロ村の堤防、右は波除石垣
昭和10年代の写真 気象庁
「稲むらの火」はラフカディオ・ハーンの『生き神様』(原文は英語、"A Living God")を、学校教師の中井常蔵氏が翻訳編纂したのが懸賞に入選して国語教科書に採択された。題材にとられた津波は1854年の安政南海大地震だ。安政東海大地震と連続した大災害で、12月に日米和親条約の批准書を持ち帰ったアダムス中佐が下田でその惨状を目にしている。ハーンは津波襲来の様子を明治29年の三陸津波を参考にした模様で、広村での実際の状況とは違うらしい。元来この小説は日本の神について書こうとしたものだから、読者が汲み取るべきは濱口梧陵の精神と偉業であって、津波の様子の真偽ではない。それでも津波という自然現象についての知識普及には役立った。2005年にインド洋大地震があったとき、シンガポール首相に、日本では小学校で津波対策を教えているらしいがと問われて、戦後派の小泉首相は知らなかったことがニュースになった。文科省の役人も知らなかったという尾ひれが付いた。寺田寅彦は「児童教育より前にやはりおとなであるところの教育者ならびに教育の事をつかさどる為政者を教育するのが肝要かもしれない」と書いた(『柿の種』岩波文庫)。その甲斐があったのか、東日本大震災をうけて「津波防災の日」がきまり、それが2015年には国連決議による「世界津波の日」に出世した。日本が唱導したと外務省が鼻高々と公式サイトに謳い上げた。「SDGs(持続可能な開発目標)の2030年までに達成すべき17の目標」もあげられて標語の好きな国のお祭り騒ぎになった。忘れっぽい国民がいつまで覚えていることか密かに心配している。早い話が「世界津波の日」って何月何日だったかな、既にしてすぐには思い出せない。それにしても「TSUNAMI」は世界語になったけれども「ブロック塀」はどうなったのか。「喉元すぎれば・・・」もかなり年季の入った俚諺であるが。
世界津波の日 ロゴ
読んだ本:寺田寅彦『柿の種』岩波文庫。『津波と人間』青空文庫。   (2018/10)