2021年8月10日火曜日

顕微鏡で動く微粒子を見てみたい

 このまえブラウン運動のことをちょっと書いた。動くはずのない花粉が水の中では動くとの偽情報を信じ込んだのは日本人だけでなかったようだ。偽情報を出した誰もが自分で確かめたことがなかったとは、人の話はいい加減なものだと思わされる。

ブログではブラウン氏の原文を読んでみたら…と好学の士に水を向けてみたがどうだったろうか。古い時代の植物学者の報告書は正直あまり面白くはない。やたら植物の学名みたいなのが出てきてそいつは何やらわからない。論文の趣旨は固有の植物に限ったことではないから植物の名は重要ではない。水の中をうごめいていたのが花粉でも花粉から出てきた花粉粒でもなくて、もっと小さな粒だったという話だ。紹介しておいたURLは、ニューヨーク植物園の研究者スティーヴンソン氏が提供された。ブラウンの1828年「植物の花粉に含まれている粒子(原文表記はparticles)について」と1829年「有機物、無機物を通じて遍在する動く分子について」(原文表記:on the general existence of active molecules in organic and inorganic bodies)の顕微鏡観察報告である。二番目のactive moleculesを見れば花粉とは別物であることがわかりそうなもの、と考えるのは偽情報に担がれた過去を知っているものの特権だろうか。

ところが、ブラウン氏が見たものを学生たちといっしょにこの目で見てみたいと考えた先生がおられた。

信州大学素粒子論研究室教授美谷島實教授は『「2005年世界物理年」プロジェクトR. Brownはブラウン運動(花粉に含まれている微粒子の運動)を如何に観察したのか』を立ち上げた。道具立てとしてブラウンが使った顕微鏡を探したが当然日本にはない。原文にバンク社の焦点距離32分の1インチの両凸レンズをはじめ使っていたが、のちにローランド社の小型単式顕微鏡が提供されたとあるので、日本でそのレプリカを製作してもらった。測量図が入手できなかったので論文から想像図を作成したのを同学卒業生の専門家が図面を引いてくれたという。この過程で名前は明かされていないがレーベンフックの顕微鏡と呼ばれるごく初期の顕微鏡を試作した高校の記録がインターネットで見つかるなど、貢献したネットワークは素晴らしい。

レーベンフックの顕微鏡の形状としくみは「NHK for school」が参考になる。次のURLを利用されたい。

(https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005401826_00000)

出来上がった顕微鏡で、はじめに観察したのは身近に咲いていたオオキンケイギクだった。約20㎛の花粉から放出された微粒子のブラウン運動が撮れたとある。ついでブラウンゆかりのホソバノサンジソウを試したところ三角のおむすびのような大きな花粉、約100㎛から動画を撮影したとして、その画像2枚が紹介されている。映像撮影には学内研究室の協力を得ているが、報告者の美谷島氏は物理学教室の教授だ。200年前の論文から材料を探して道具を開発して先人の記録を確認する探求精神は見事だと思う。

映像解説に付記して、なお普通の顕微鏡で3つの頂点から微粒子を放出している瞬間の映像も撮れたと記されているのには、言外に素直な喜びが表れてるようだ。

花粉と微粒子のブラウン運動。5秒間に上の微粒子は、約1μm、下は3μmの移動をしている。

このプロジェクト報告の末尾には多くの参照論文等が列挙されている。筆者はその中の『日経サイエンス』(1998年7月号)の記事を参照してまた一つ勉強させてもらったので追記する。

「先人たちが見たミクロの世界」としてレーベンフックとロバート・ブラウンの逸事が載っている。レーベンフック(1632~1723)はオランダの人、史上初めて顕微鏡を使った人物と書いてあるが、500台以上の初歩的な顕微鏡を自作しては微生物、細胞、細菌などを観察した。ただの布地商人だったこの人を世間は全く信用せず単なるもの好きとして片付けられていた。今日でも彼の単眼顕微鏡では見えなかったはずだとその成果を否定する声があるという。美谷島教授のレポートには彼の顕微鏡の図が載っているが、奇妙な道具で顕微鏡の概念とは大きく違う形をしている。それでも日本の高校ではそれを製作してちゃんと観察しているのだ。『日経サイエンス』の記事では英国のブリアン・J・フォード氏という生物学者が、後年ブラウン氏も同じように世の非難を浴びたと述べている。ここでは外科医としてあるブラウンは「ブラウン運動(水分子の熱運動のせいで,水中の微粒子が細かく動く現象)」を1927年に発表し、その後、細胞の中で粒子が移動する「原形質流動」も観察した。さらに1831年には植物表皮の細胞の中に「細胞核」と名付けることになる構造を発見した。彼にもまた単眼顕微鏡では細胞の中の構造まで見えたはずはないとする中傷を受けている。けれども、フォード氏は二人の先人が使ったような簡単な顕微鏡で生きているバクテリア,細胞核,ブラウン運動が見えるということを発見した。ブラウンの顕微鏡では,細胞核の何百分の一程度の大きさのミトコンドリアさえ見えたという。二人の先人は顕微鏡で見たままを忠実に書き移していると断言している。

ついでに筆者が発見したのは『ナショナル・ジオグラフィック』にもレーベンフックについての記事があることだ。これはなかなか愉快な内容だ。URLを記しておく。

( https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/080400292/)。

(2021/8)


2021年8月1日日曜日

熱運動とブラウン運動--しろうとの物理学メモ

前回宿題にした熱運動という用語について書く。いつも引き合いに出す本、『物理学の原理と法則』池内了著には44ページの圧力の説明に初めて登場する。「液体や気体は原子や分子から成り立っており、それぞれがランダムな熱運動をしている。その熱運動によって原子や分子は互いにぶつかり合っており、運動量のやりとり(速度が大きくなったり小さくなったり)をしている」。

熱運動については、これっきりでほかにはどこにも出てこない。仕方がないから自力で調べ始める。わかってきたのは、この言葉は厳密な定義などではなく、一般的な俗称のように用いられている語彙であるらしい。19世紀以降の観測技術の発達に従って進化した物質の微視的研究の成果によって、物質を構成する分子や原子など粒子の働きが読めてきた。つまりこれら粒子が動き回っていることがわかった。動きが激しいほど温度があがること、物質の姿によって動き方に違いがあるなどの事実が究められた。姿と書いたが、物質の態様であり、気体、液体、固体の三態である。動き回ることで温度が上がるから、その動きを熱運動と呼ぶことになったらしい。動きの激しさを熱という。

水の分子構造モデル:アメブロから拝借した


中学生向けの実験のやり方が書いたサイトがあった(https://resemom.jp/article/2018/07/25/45843.html)。

 [振動で水の温度を上げる]という実験は、魔法瓶に水を1/3ほど入れて周囲と同じ温度にしてから蓋を閉めて振る。1000~1500回ほど振ると温度が上がったことが確かめられる。500回ごとに温度を測ってグラフにする。クラスで交代で振れば楽しくできそうだ。

 [解説]分子をくわしく調べると、常に振動していることがわかります。この振動が「熱」の正体です。また、振動の激しさの度合いが「温度」であり、振動が激しいと「温度が高い」ということになります。

水に振動を加えて温度が上がるのは、加えた振動の一部が水の分子に伝わり、水の分子の運動が激しくなるためです。

熱い水は、冷たい水よりも分子の運動が激しくなっています。そのため、熱い水は分子の間隔も広がっています。物を温めると、少しだけ体積が増えるのはこれが原因なのです。(ここまで上記サイトによる。作者は理科教諭の野田新三氏)

金属をハンマーで叩くことで熱くする実験も紹介されている。いずれも日常的なことで温度変化が確かめられる楽しい学習だ。筆者のように文字で読むしか能のない者にとっては新鮮であるし驚きでもある。探せばほかにも台所の科学とかいろいろな知識が得られるサイトがある。振動が与えられて動きが激しくなるという水の分子について次の説明があった。

水は酸素原子1個と水素原子2個が集まってできた水分子でできている。水分子1個分の大きさは0.38nm(ナノメートル)で目に見えない。https://ameblo.jp/zipang-sauna/entry-10607866755.html

物質の状態変化については大阪教育大学の岡博昭氏のホームページ の中の第90章にくわしい。以下はその要約である。

物質の状態によって分子、原子の運動の様子が変わるのは粒子間に働く力の具合による。

 固体の場合には、粒子の熱運動に比べて粒子間にはたらく引力の方が強くなっている。したがって,粒子はほぼ一定の位置に固定され,その位置で振動している。定位置での原子の振動を熱振動(Thermal vibration)と呼んで熱運動(thermal motion)と区別する。

液体では,熱運動により位置を自由に変えることができる。したがって,流動性がある。しかし,粒子間に働く引力もかなり強いため,液体はほぼ一定の体積を示すことになる。

気体では,粒子の間の距離が大きく,粒子間の引力がほとんど働かない。したがって,粒子が空間を自由に飛び回ることができる。また,体積や形が一定しない。(http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~hiroakio/okaindex.html )

これだけのことをにわか勉強して冒頭の池内さんの記述を読みなおす。「液体や気体は原子や分子から成り立っており、それぞれがランダムな熱運動をしている」と、ちゃんと固体は避けて書いてあることにあらためて気づくのである。


さて、そこでブラウン運動( Brownian motion )のことを書いておこう。ブラウン運動というのは液体中に浮遊する微粒子がランダムに動き回る運動のことをいう。紛らわしいが熱運動のことではなく、その原因になる動きのことだ。結果的に分子や原子の存在を証明することができた重要な発見である。インターネットでは名古屋市科学館の説明が誤解を避けられてよいと思う。

http://www.ncsm.city.nagoya.jp/cgi-bin/visit/exhibition_guide/exhibit.cgi?id=S521&key=%E3%81%AD&keyword=%E7%86%B1%E9%81%8B%E5%8B%95

PDFのダウンロードもできるからURLを書き留めておこう。http://www.ncsm.city.nagoya.jp/exhibit_files/pdf/S521.pdf

1827年、イギリスの植物学者ロバート・ブラウンは、花粉を水のなかに入れて顕微鏡で観察していたところ、花粉粒(pollen grain)から放出された微粒子がたえず細かく不規則に動いていることに気づいた。生命があるから動くと考えたが、無生物の粉末で試しても動いた。ブラウンはついにその理由がわからずに終わったが、微粒子のそういう動きに発見者の名をかぶせてブラウン運動と名付けられた。ブラウンの時代には分子や原子の概念はあったが、その実在は確認されていなかった。

1905年、アインシュタインは、微粒子のまわりにある気体や液体の分子の運動が、ブラウン運動の原因と考え、数学的に解析した。

1908年にフランスのジャン・ペランが、ブラウン運動を観測し、アインシュタンの理論が正しいことを証明した。こうして、原子や分子の存在が広く信じられるようになった。ペランはこの功績で1926年度ノーベル物理学賞を得ている。


ところでこのブラウン運動が日本に紹介される段階で、ロバート・ブラウンが「花粉が水中で動く」ことを発見したかのように伝えられる事態が多く生じた。事実としては花粉も花粉粒も動かない。花粉粒から出た微粒子が動くのだ。ブラウンは微粒子の動きを観察していたのである。

明治時代の物理学の権威であった長岡半太郎氏もブラウン運動を紹介する講演で花粉が動いたことが観察されたと述べたと記録されている(『東京物理学校雑誌』1910年7月号)。誤解した誰もが、花粉粒から出た微粒子が動いたことを花粉が動いたと取り違えたのだった。観察しての間違いではなく、伝聞や早とちりのせいで間違えたのだ。生物の先生は顕微鏡で花粉を覗いて確かめようとして動かないことに随分悩んだらしい。物理の先生は実見するまでもなく花粉が動くと思いこんでしまったようだ。出版界では教育啓蒙の書籍雑誌が一斉に誤った情報を伝えたから問題は重大である。教育関係の執筆に名のある板倉聖宣氏などが事の修正に尽力されている。『思い違いの科学史』(朝日文庫2002年)に詳しい。物理学の人は植物に疎く、湯川秀樹さん以下ノーベル賞級学者も全滅などと書かれている。原文をあたった人も字面は追っても頭では読んでいないということもあっただろう。愉快だけれども深刻な話である。

アインシュタインがブラウン運動を取り上げた論文他二編を発表した1905年から百年を経た2005年、国連総会はこの年を世界物理学年とした。これを記念して、英誌"Nature"が募集した論稿の中にも同じ誤りが多かった模様だ("Nature"2005.Mar.10)。

<投稿者の多くはブラウンがpollen grain を顕微鏡下で観察していたと述べているが間違いだ。ブラウンはpollen grainよりもはるかに小さいおよそ直径500分の1インチほどの微粒子(particles)を観察していたのは明らか>としてDavid M. Wilkinson氏が1828年の原論文を引用している(https://www.nature.com/articles/434137c.pdf )。

前記朝日文庫刊行の後も、海外では同じような誤りが伝承されているらしいことがわかる。日本では改まっただろうか。

上の< >内は筆者の要約であるが、原文にはpollen grain とparticlesが使われている。日本語ではpollenを花粉、pollen grainを花粉粒と使い分けしたり、どちらも花粉とする場合もある。生物、物理ともに専門としない筆者には知識がないが、ブラウン運動を語る際には少なくとも「花粉から出た微粒子が動く」と明確にしたほうがよいのは明らかだ。ブラウンは微妙な動きをするものをparticles、あるいは便宜的にMoleculus とした。現代ではうえの名古屋市科学館の例ではコロイド粒子としている。コロイド粒子とは水に溶けきれずに濁った溶液ができる牛乳や墨汁などがその例だ。ここから先は混乱しそうだからこの辺でやめておく。独学は気をつけなくてはならない。ときには密かに師匠をも疑ってみる必要がありそうだ。

当時のブラウンの原文がPDFでダウンロードできるから好学の士は一読されるのもよいと思う。URLを掲げておく。https://sciweb.nybg.org/science2/pdfs/dws/Brownian.pdf

筆者が俄仕込みの知識で上述のようなことを書くのは僭越なことではあるが、インターネットで関連事項を見ていると現代においても先端工業や医学、具体的には半導体工場の清浄維持、脳科学とコンピュータへの導入計画などミクロな分野では驚くべき発想が実現へと試みられていて決して過去の遺物にとどまっていないことがわかる。研究はすべて数式につながっているが、なんとか読める知識を得たいと夢のようなことを考えるこの頃である。オリンピックは遠い世界の出来事みたいに思える。(2021/8)