2021年7月26日月曜日

波は現象である―物理学の言葉の意味

脳みその普段使わない部分をたまに動かそうとしてもなかなか反応しない。先日飛行機が飛ぶ理屈を考えて以来理屈の世界に入ってしまった。物理学の池内了さんを頼ってみたものの、先様は専門家だから易しく話しているおつもりでも当方はすぐにはついていけない。ちょっと待ってもらってはアチラコチラわかりやすい説明を探してはもとに戻ることを繰り返している。インターネットで小学生や中学生向けの解説をさがしたり高校物理のサイトを読む。そのうちに記述の仕方が文芸作品や歴史物などとちがって物理学の説明には日常用語と同じ語彙を使っていても腑に落ちないことがあるのに気がついた。一つの例が音波という語である。

ウイキペディア 「波動」より。

熱運動についての記述に圧力が出てきて、「どこかに圧力の高い部分ができれば、その情報は音波によって伝わる」と書かれてあった。まったく音に関係しない話題であるのになぜ音波が出現するのだろうと不思議だった。不思議は一旦お預けにして読み続けると、「圧力が高い部分ができれば、その情報は音波によって伝わる。それによって周りの部分を圧縮して広がろうとする。すると圧縮された部分の圧力が上がってさらにその周辺部を圧縮する、ということが次々空間をつたわっていく。それが音波である。物質自身が動くのでなく、圧力の高い状態が伝わっていくので波になるのだ。実際には、密度の高い部分と低い部分が交互に連なる疎密波となっている」と説明される(『物理学の原理と法則』講談社学術文庫44ページ)。

この説明は一般的に音が伝わる仕組みについて記述される場合と全く同じであるし、この内容はよく理解できる。熱運動という分子のエネルギーの動きの話の中に音波という無関係の語が現れたから当方は戸惑ったわけである。

いろいろと調べるうちに[音波]という言葉の使い方に狭義と広義があり、自分の知識は狭義のものでしかないことを知った。

ウイキペディアには、「広義では、気体、液体、固体を問わず、弾性体を伝播するあらゆる弾性波の総称をさす。狭義の音波をヒトなどの生物が聴覚器官によって捉えると音として認識する。」とある。音の話でないところに音の漢字を使うからいけない、などと文句は言うべきでない。ここは物理学の用語としてこのように表現すると理解しよう。弾性体とは弾力をもつ物質のことであり、弾性波は弾力を有する波のことだ。弾力は  押せば押し返す力をいう。空気の波や水の波にも弾性がある。

「[周り]の部分を圧縮して広がろうとする」とあるが、その記述の前に「圧力は等方性で[どの方向]にも働く」と抜かりなく説明が入っている。さらにそのまえには、熱運動が[ランダム]に起きていることが述べてある。小さい言葉が用意周到にはめ込まれているのを、シロウトの当方は翫味しないで読み飛ばしている。繰り返し読み直すたびに小さな言葉のうちにもある程度の長さの説明が含まれていることを発見した。文科系の文章ではあまり経験しない読み方の手落ちである。専門学者による物理現象についての説明文では、たとえ素人向けであっても教本であるかぎり正確であるはずだ。実はいつでもそういうふうには言えないことも知ったが、そのことは別の機会に述べる。

ネットで[波」にこだわったらしい説明を見つけた。空気や水などの媒体に圧力が加わった部分の密度を変化させるのは振動である。密度が濃くなった部分と薄い部分が交互に出現して振動が伝わっていく。「物理的な波とは、“振動している何かが空間を伝わっていく現象のこと”を指します。振動とはその場で周期的に動いているものを指しますが、その振動が空間を伝わって遠くまで届く現象を、単なる「振動」と区別して「波動」と呼びます。「波」とは波動の簡単な言い方です。」(https://iec.co.jp/media/corner/hikouki/07)

そうだった、さきの説明では[物質自身が動くのでなく、圧力の高い状態が伝わっていく]とあった。空気や水が動くのではなくて、[状態]が伝わっていくのである。波とか波動とかと聞くと水や海を連想するけれどもそうとは限らない。文字に罪はないけれど漢字のせいだろうか。英語でだってwaveは音であったり水の波であったりするが、もとは手を振ったりするという意味の動詞にあるのではないか。だとすれば波の漢字にサンズイがあるのがいけないとか文句をつけずに、言葉の用法の歴史に少しは敬意を表しておくべきかもしれない。

ところで熱運動って何でした?ということがお預けになっているが、長くなるし話が散漫になるから別の機会に考えることにしよう。

(2021/7)


2021年7月10日土曜日

寺田寅彦の随筆

漱石の『猫』に登場する明治の物理学者、水島寒月さんこと寺田寅彦の実生活は実験物理学の学者であるが、日常目にする自然の現象をとらまえて物理の深奥を極める才人であった。寺田は熊本の高校で田丸卓郎という物理教師の教えに惹かれて初志の造船工学から転向したのが生涯を決定した。英語教師にはロンドン帰りの漱石がいた。試験にしくじった学友を救うため委員に選ばれた学生が担当教師のもとに請願に行く風習があったらしい。漱石宅でその役目の請願を終えた後、寺田は俳句とはどんなものかと質問した。このことを契機に寺田は子規、漱石流の俳句を生涯続けることになった。田丸と漱石、二人の教師についてそれぞれ追憶が随筆に残っている。寺田が東京大学に入り、漱石はロンドン留学を経て東京に来て、二人の親密な交際が続く。

寺田が古いフィロソフィカル・マガジンで「首つりの力学」を見つけたので漱石に報告したら見せろというので、借りてきて用立てた。それが「猫」の寒月くんの講演になって現れている。高等学校時代に数学の得意であった先生は。こういうものをちゃんと理解するだけの素養をもっていた。文学者には異例であろうと思うと随筆に書いている。

中谷宇吉郎は寺田寅彦の直弟子である。同氏の、恩師を語る『寺田寅彦』(講談社学術文庫)にはマクロのレベルでの話題が豊富である。寺田は自然が好きだったし、植物愛好者でもあった。中谷は漱石の句「落ちざまに虻を伏せたる椿哉」を思い出しながら寺田の研究姿勢について話を展開している。

寺田寅彦の随筆「思い出草」の中に熊本から帰郷する途次、門司の宿で友人とこの句について一晩論じあったことが記されている。どんなことを論じあったか覚えていないとしてあるが、つづいて「ところがこの二三年前」と前置きして、椿の花は落ち始めにうつ向いていても、空中で回転して仰向けになろとする傾向があるらしいことに気がついて、実験の結果そのことが確かめられた云々と述べている。前置きの「二三年前」は「思い出草」を記している時点からの二三年前である。このことは、この文が昭和9年1月『東炎』記載であること、および、後述するように椿の花の落下運動の論文は昭和8年に発表されていることからわかる。すなわち、1933年理化学研究所彙報『空気中を落下する特異な物体の運動――椿の花』がそれである。椿の花の落ちざまを2年がかりで観察することになったきっかけは、ある知人から椿の花が仰向けに落ちるのはどうしてかと質問されたことにあったらしい。想像するに前記友人との議論の的は「虻を伏せたる椿」にあったのではなかろうか。うつ伏せと仰向け、正反対の様子が人々に受け止められている、漱石の句は実景だろうか、空想かもしれないなどと。

ロンドン留学中の門弟の藤岡由夫に珍研究を始めたと書き送った手紙がある。

「この間、植物学者に会ったとき、椿の花が仰向きに落ちるわけを、誰か研究した人があるか、 と聞いてみたが、多分ないだろうということであった。花が木にくっついている間は植物学の問題に なるが、木を離れた瞬間から以後の事項は問題にならぬそうである。学問というものはどうも窮屈なものである。」(1931年2月14日付)

ここで寺田のいう窮屈という言葉の使い方は面白いと思う。簡単に言えば将来性のあるネタが潜んでいるかもしれないものをもったいないことをする、発展性がない、とかいう意味をもっていると感じられる。その珍研究の英文論文に書き込みがあるタイプ原稿が高知県立文学館に所蔵されていると教えてくれるのは松尾宗次さんという冶金学者で工学博士、鉄屋さんのOBの方である。この方は寺田寅彦という稀代の学者をもっと世に知らしめたいとの思いを沢山の文章にこめて発表されている。ここに書いた件ほか多数が、同人のホームページや寺田寅彦記念館友の会会報『槲(かしわ)』に寄せられている。便宜のためURLを書き留めておく。oykot30はどうやら東大理一昭和30年卒業という意味らしいと見当をつけた。であれば筆者と同年の方々の集まりである。頭の構造が違う人達だ。

http://oykot30.web.fc2.com/bunshu/40matsuo/teradatorazoku_0002.pdf

http://oykot30.web.fc2.com/mokuji.htm

松尾氏は文理両面にわたる知の領域をお持ちのようで、寅彦の父利正が幕末の土佐藩に起きた井口刃傷事件で詰め腹を切らされた宇賀喜久馬の介錯をした人物であることから、寅彦が明かさなかった心の裡を推し量っている。その面から寅彦と漱石の繫がりをさぐり作品に現れる椿の花にも関心を向けている。かくして物理の話題であったはずのものが、こと文芸におよび『それから』を開いてみた筆者も冒頭の枕許の椿の場面にぎょっとさせられたのである。

椿の花の研究に話題を戻すと、寺田は花びらが受ける空気抵抗の観察を単純化するために円錐形の紙模型を考案して円錐の開き角度を色々変えて試している。その半世紀以上も経た1994年に「一枚の紙の落下挙動」という論文が権威ある専門誌に掲載される。複雑系研究の金子邦彦氏の実験結果である。寺田の円錐の角度を180度にすれば同じ現象が捕まえられるわけであるから、寺田は金子の半世紀先を行っていたことになる。寺田の物理学を趣味的として軽んじる向きが多かったといわれるが、本人は常にその先にあるものを追求していたことが理解されなかったのである。有馬朗人東大総長が寺田は生まれるのが50年早すぎたと嘆いた所以である。金平糖の角(つの)の出来具合とか線香花火の観察、ガラスのひび割れの研究、そして墨流しの研究、それぞれに奥が深く単なる日常的現象の探求に終わるものではない。3・11の地震と福島原発事故は古の災害につながっていた。地震予知などはほぼ不可能なぐらい自然の営みは奥深いことを寺田は喝破していた。味わい深い随筆集を繙きながら再び頻発する昔と同じ震源域の揺れを感じているこの頃である。中央大学松下貢教授のコラムが参考になる。

https://www.phys.chuo-u.ac.jp/labs/matusita/doc/zuisou5.htm

ここには寅彦が当時の要素還元思考的な物理学一辺倒の中にあって、50年先に周囲が気がつくようになった複雑系の物理学の方法を随筆の中に示していたと記されている。

(2021/7)



 

2021年7月2日金曜日

アルキメデスと金の冠

アルキメデスに純金の冠の純度不正を見破る話がある。
湯船から溢れ出た湯の量が湯船につかった体の体積に等しいことを見つけた。そのことを「アルキメデスの原理」という。池内了氏はこのように書く(『物理学の原理と法則』)。すぐあとに、そんなことは当たり前の物質保存則であって原理などと大げさな言明ではないと書くが、原理と呼ぶのは適切でないとする表現であって、溢れ出た湯の量は湯に入った体の体積に等しいことをアルキメデスは見つけたのだ。この発見で冠を直接いじることなしに成分を明らかにし得たわけだから当時の大発見だったのだ。それでアルキメデスは「エウレーカ」と2回叫んで裸で街へ飛び出してゆく。ギリシャの言葉で「わかったぞッ」という意味だ。この叫び声で逸話が世界的に有名になったのだろう。それでいて、いったい何がわかったのだろう、と2千年以上時を隔てた今も議論が多い。ご本人がこのことをどこにも書き遺さなかったからだ。

第二次ポエニ戦役でカルタゴと組んだシチリアは、アルキメデスの考案した強力な武器を使って優勢であったが、裏切りが出たために敗れてローマに屈した。シチリアの故郷シラクサに住まうアルキメデスは数学の解法の研究に没頭して家にこもっていたため、戦況の推移もシラクサの陥落も知らなかった。アルキメデスの優秀さを知るローマの将軍は彼を見つけても殺さないよう命令を出していた。家にあって砂盤に描いた図形の上に屈みこんで考えごとに夢中になっているところにローマ兵が来た。声をかけても「私の図形を踏むな」というだけで相手にされないので腹を立てて刺殺してしまった。この話も伝説かもしれないが、時は紀元前212年だったのは確かなことだ。『プルターク英雄伝』にはこんなことも書いてあるらしいが読んだことはない。「エウレーカ」が有名になった故事は「黄金の冠」であるが、話の順序として次に要約する。

アルキメデスと親しかったシラクサの領主ヒエロ2世は、あつらえた純金製の冠に銀が混ぜられたと聞いて調べようとしたが、方法が見つからなくてアルキメデスに相談した。複雑な形を損なわないで純度を調べる手立てがない。現代の非破壊検査のはしりである。公共の浴場に出かけたときに冒頭に書いた発見をした。体を水に浸けたときの水位の変化に問題解決へのインスピレーションが働いたというのである。結論は細工師が銀を混ぜたことが暴露されて、めでたしとなった。

アルキメデスの著作のうちにこの話は出ていないとのことだ。話の出どころは、紀元1世紀のローマの建築家ウィトロウィウスの『建築について』に記されていることが知られており、私たちはその文章を読むことができる。だが、この著作の評判はかならずしも良くない。この著作に述べられたアルキメデスが採った方法は、彼の「限りない才能」の表れにふさわしくなく、かなり杜撰であるという評が多い。ついでにウィトロウィウスの評判も良くない。何がいけなかったのか。

インターネット上でウィトロウィウスの遺した文章を見ることができる。元のイタリア語の文と対比した英文を載せている次のURLを紹介しておく。

https://www.math.nyu.edu/~crorres/Archimedes/Crown/Vitruvius.html

ウィトロウィウスの文章に書かれてあるのは次のような経緯だ。

1.浴槽に体を沈めるほどにその分だけ余計に湯が流れ出る。これが難題を解く方法だと気づいたアルキメデスは浴槽を跳びだして「エウレーカ、エウレーカ」と叫んで走って帰った。

2.冠と同じ重さの銀塊を容器の縁まで一杯に満たした水の中に浸ける。水に浸けた銀塊の体積と同じ嵩の水が溢れる。銀塊を水から取り出したあと、計量容器(英訳では a pint measure)を使って流れ出た水を元の容器に戻して縁まで一杯にする。これで一定量の水に対応する銀の重さを知った。

3.次に冠と同じ重さの金塊を水に浸ける。引き揚げてから流れた水の量を測ると、同じ重さの銀塊より嵩が小さいだけ流れた水が少なかった。

4.最後に同じ量の水に冠を沈めたところ同じ重さの金塊の場合より多くの水が流れ出した。これは金塊と同じ重さの冠の中に銀を混ぜ込んだためであると見破って細工師の窃盗を暴いた。

さて、ガリレイ(16世紀)はアルキメデスをよく勉強していた。アルキメデスには「梃子の原理」や「浮体について」の論文があるから、それらを利用すれば、もっと簡単に結末がわかったろうと言っている。ガリレイは秤の重りを工夫して、天秤に載せれば直ちに金、銀の別がわかる工夫をしたと伝えられる。日本語のWikipediaではウィトロウィウスの方法に対する批判があると述べたあと、天秤にかけて水中に入れる方法が記載されている。それぞれ同じ重さの純金と疑念のある冠を空気中で均衡させて、そのまま水中に浸ける。秤は当然純金のほうに傾く。これも正解にちがいないが、アルキメデスがそのようにしたかどうかはわからない。

筆者が読んだ限りで説得力があるようにみえる批判論は、アメリカ、ドレクセル大学、クリス・ロレス数学教授の説だ。この説には、英文ではa golden crownとしてある冠が、実はリース(wreath)だと明言している。ギリシャでは昔、月桂樹、 マートル、 樫、オリーブなどの枝葉で冠を作った。マラソン勝者の頭に飾るあれだ。ついでながら、2016年5月、ロンドンのデイリー・メール紙が報じているギリシャの金製のリースは2300年前のものとされる。差し渡し8インチ(=20.32cm)で100gだという。故人となった一般旅行者が遺した一品が発見されたとの記事であるが、オークションに出されれば1~2億円相当という話だ。

ロレス教授がもちだしたのは、1970年、マケドニア地方のヴェルギナ出土の品でアレクサンダー大王の父君の墓から出た4世紀のものだ(上の図参照)。目下のところ最大のリースだ。直径18.5㎝、部分的に葉っぱが欠けているが重さ714gである。教授は、このような冠ではアルキメデスの時代に測定が無理だったろうとして、ウィトロウィウスの記述を批判する。長くなることを承知で以下に計算過程を述べる。

ヴェルギナの冠を参考にして、例証のデータをそろえる。出土品の葉っぱの欠けた分も考えて問題のリースの重さを1000g、水を入れる容器の直径を20㎝と仮定して検証にかかる。データから計算すれば、容器の開口面積は314㎝²。金の密度19.3g/cm³、1000gの体積は1000/19.3=51.8cm³(D-battery=単1乾電池ほどの大きさ)。水に浸けたときの水位の変動は高さで、51.8/314=0.165cmと計算できる。

銀が30%=300g 混ぜられたと仮定する。銀の密度は10.5g/cm³、冠の体積は700/19.3+300/10.5=64.8cm³、水に沈めると、64.8/314=0.206cm だけ水位が上昇する。純金の場合との排水量の差は水面の高さで0.206-0.165=0.041cm(または 0.41mm)となる。この値は水の表面張力、粘着度、リースの葉の間の水泡などを考えれば目測で計量するには誤差が避けられない。ましてリースの重さが1000g以下であるとか、容器の径が20cm以上あるとか銀が30%より少ないとかであれば、水位の変化は0.41mmよりも少なくなる。

教授は続ける。もっと実用的な方法がある。アルキメデスの浮体論と梃子の原理を利用するのだ。疑念のあるリースを秤の一方に吊り下げ、反対側に金の塊を吊り下げて平衡させる。そのまま秤を水を入れた容器に浸ける。均衡が保たれればリースと金が同じ体積で両方の密度は同じである。もし金のほうに傾くならば、リースの密度が金より小さいために体積が金より大きいからだ。リースは金と金より軽い金属との合金だからそのようになる。

この技術を30%合金のリースが1000gだとして検証してみよう。体積が64.8cm³だから排出水量は64.8gだ(水の比重は1g/cm³)。重さは1000ー64.8=935.2g。純金のほうは1000-51.8=948.2g。その差は13gである。天秤を均衡させて水中に浸けると13gの差が傾きに現れる。アルキメデスの頃でもこの計量差は確実に把握できたはずだ。まして、ウィトロウィウスの方法による誤差は起こり得ないのだ。

合金のリースと純金の塊が空気中で均衡しなくても、秤による方法が有効だ。水に入れる前に支点を調節すればよいのだ。

二つの方法を要約しよう。リースを30%の合金と仮定すると、純金塊との体積の差が13cm³。ウィトロウィウスの方法では排出水量の容積を調べることでこの体積差を測ろうとした。13cm³の水は一辺が2.35㎝の立方体であるなら簡単に調べられる。しかし、13cm³の水がリースを十分展開できる広さ(例では314cm²)に広がったなら、水の高さは僅か0.41㎜でしかなく、目測や流量計での正確さには程遠い。秤による方法は13cm³の体積を目盛りの上で13gの差に変換し、それは古代の秤でも検証可能なのだ。

ロレス説はいかにも説得力がありそうだ。しかし、ウィトロウィウスの文章に単位当たりの銀の重さがわかったとあるのはどう考えるのだろうか。ロレス教授は体積にこだわるから平べったく容器に張り付いた水の高さを測る羽目になる。重さならギリシャ・ローマの時代にもそれなりの測定法はあった。天秤を使わなくても純金と銀の合金との重さの違い13グラム(当時の単位は当然別の用語)は測れたのである。ウィトロウィウスの文章は信用できる。

それでは浴場でのインスピレーションから何が得られたのだろう。比重ではないかと言明するのはブログに書く秀衛門さんだ。重さを測ったとウィトロウィウスの文章にあることを指摘するのもこの人だ。ロレス教授よローマ人の文章をよく読んであげてください。

筆者は秀衛門さんにネット上で偶然に出逢って教えられた。この人はウィトロウィウスの測定方法を道具を工夫して実験をしている。その実証は見事だと思う。池内教授はアルキメデスが比重を心得ていたとしているが、ウィトロウィウスはそれらしいことには触れていない。

「エウレーカ」の故事をもって浮力の発見とする説が多いが、冠の課題解決に浮力は必要ないはずである。アルキメデスが見つけたことは何だったのか。物体を水と置き換えるときの自然法則か。比重説は有力だと思う。秀衛門さんのブログのURLを書いておく。

http://hide-emon2803-2.blog.jp/archives/5547756.html 全体が複数のサイトにわたっている。

https://www.cs.drexel.edu/~crorres/ ロレス教授のホームページ(英文)

https://www.math.nyu.edu/~crorres/Archimedes/Crown/CrownIntro.html 冠のサイト。souceの項にウィトロウィウスの文章がある。(英文)

(2021/7)