前回宿題にした熱運動という用語について書く。いつも引き合いに出す本、『物理学の原理と法則』池内了著には44ページの圧力の説明に初めて登場する。「液体や気体は原子や分子から成り立っており、それぞれがランダムな熱運動をしている。その熱運動によって原子や分子は互いにぶつかり合っており、運動量のやりとり(速度が大きくなったり小さくなったり)をしている」。
熱運動については、これっきりでほかにはどこにも出てこない。仕方がないから自力で調べ始める。わかってきたのは、この言葉は厳密な定義などではなく、一般的な俗称のように用いられている語彙であるらしい。19世紀以降の観測技術の発達に従って進化した物質の微視的研究の成果によって、物質を構成する分子や原子など粒子の働きが読めてきた。つまりこれら粒子が動き回っていることがわかった。動きが激しいほど温度があがること、物質の姿によって動き方に違いがあるなどの事実が究められた。姿と書いたが、物質の態様であり、気体、液体、固体の三態である。動き回ることで温度が上がるから、その動きを熱運動と呼ぶことになったらしい。動きの激しさを熱という。水の分子構造モデル:アメブロから拝借した
中学生向けの実験のやり方が書いたサイトがあった(https://resemom.jp/article/2018/07/25/45843.html)。
[振動で水の温度を上げる]という実験は、魔法瓶に水を1/3ほど入れて周囲と同じ温度にしてから蓋を閉めて振る。1000~1500回ほど振ると温度が上がったことが確かめられる。500回ごとに温度を測ってグラフにする。クラスで交代で振れば楽しくできそうだ。
[解説]分子をくわしく調べると、常に振動していることがわかります。この振動が「熱」の正体です。また、振動の激しさの度合いが「温度」であり、振動が激しいと「温度が高い」ということになります。
水に振動を加えて温度が上がるのは、加えた振動の一部が水の分子に伝わり、水の分子の運動が激しくなるためです。
熱い水は、冷たい水よりも分子の運動が激しくなっています。そのため、熱い水は分子の間隔も広がっています。物を温めると、少しだけ体積が増えるのはこれが原因なのです。(ここまで上記サイトによる。作者は理科教諭の野田新三氏)
金属をハンマーで叩くことで熱くする実験も紹介されている。いずれも日常的なことで温度変化が確かめられる楽しい学習だ。筆者のように文字で読むしか能のない者にとっては新鮮であるし驚きでもある。探せばほかにも台所の科学とかいろいろな知識が得られるサイトがある。振動が与えられて動きが激しくなるという水の分子について次の説明があった。
水は酸素原子1個と水素原子2個が集まってできた水分子でできている。水分子1個分の大きさは0.38nm(ナノメートル)で目に見えない。https://ameblo.jp/zipang-sauna/entry-10607866755.html
物質の状態変化については大阪教育大学の岡博昭氏のホームページ の中の第90章にくわしい。以下はその要約である。
物質の状態によって分子、原子の運動の様子が変わるのは粒子間に働く力の具合による。
固体の場合には、粒子の熱運動に比べて粒子間にはたらく引力の方が強くなっている。したがって,粒子はほぼ一定の位置に固定され,その位置で振動している。定位置での原子の振動を熱振動(Thermal vibration)と呼んで熱運動(thermal motion)と区別する。
液体では,熱運動により位置を自由に変えることができる。したがって,流動性がある。しかし,粒子間に働く引力もかなり強いため,液体はほぼ一定の体積を示すことになる。
気体では,粒子の間の距離が大きく,粒子間の引力がほとんど働かない。したがって,粒子が空間を自由に飛び回ることができる。また,体積や形が一定しない。(http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~hiroakio/okaindex.html )
これだけのことをにわか勉強して冒頭の池内さんの記述を読みなおす。「液体や気体は原子や分子から成り立っており、それぞれがランダムな熱運動をしている」と、ちゃんと固体は避けて書いてあることにあらためて気づくのである。
さて、そこでブラウン運動( Brownian motion )のことを書いておこう。ブラウン運動というのは液体中に浮遊する微粒子がランダムに動き回る運動のことをいう。紛らわしいが熱運動のことではなく、その原因になる動きのことだ。結果的に分子や原子の存在を証明することができた重要な発見である。インターネットでは名古屋市科学館の説明が誤解を避けられてよいと思う。
http://www.ncsm.city.nagoya.jp/cgi-bin/visit/exhibition_guide/exhibit.cgi?id=S521&key=%E3%81%AD&keyword=%E7%86%B1%E9%81%8B%E5%8B%95
PDFのダウンロードもできるからURLを書き留めておこう。http://www.ncsm.city.nagoya.jp/exhibit_files/pdf/S521.pdf
1827年、イギリスの植物学者ロバート・ブラウンは、花粉を水のなかに入れて顕微鏡で観察していたところ、花粉粒(pollen grain)から放出された微粒子がたえず細かく不規則に動いていることに気づいた。生命があるから動くと考えたが、無生物の粉末で試しても動いた。ブラウンはついにその理由がわからずに終わったが、微粒子のそういう動きに発見者の名をかぶせてブラウン運動と名付けられた。ブラウンの時代には分子や原子の概念はあったが、その実在は確認されていなかった。
1905年、アインシュタインは、微粒子のまわりにある気体や液体の分子の運動が、ブラウン運動の原因と考え、数学的に解析した。
1908年にフランスのジャン・ペランが、ブラウン運動を観測し、アインシュタンの理論が正しいことを証明した。こうして、原子や分子の存在が広く信じられるようになった。ペランはこの功績で1926年度ノーベル物理学賞を得ている。
ところでこのブラウン運動が日本に紹介される段階で、ロバート・ブラウンが「花粉が水中で動く」ことを発見したかのように伝えられる事態が多く生じた。事実としては花粉も花粉粒も動かない。花粉粒から出た微粒子が動くのだ。ブラウンは微粒子の動きを観察していたのである。
明治時代の物理学の権威であった長岡半太郎氏もブラウン運動を紹介する講演で花粉が動いたことが観察されたと述べたと記録されている(『東京物理学校雑誌』1910年7月号)。誤解した誰もが、花粉粒から出た微粒子が動いたことを花粉が動いたと取り違えたのだった。観察しての間違いではなく、伝聞や早とちりのせいで間違えたのだ。生物の先生は顕微鏡で花粉を覗いて確かめようとして動かないことに随分悩んだらしい。物理の先生は実見するまでもなく花粉が動くと思いこんでしまったようだ。出版界では教育啓蒙の書籍雑誌が一斉に誤った情報を伝えたから問題は重大である。教育関係の執筆に名のある板倉聖宣氏などが事の修正に尽力されている。『思い違いの科学史』(朝日文庫2002年)に詳しい。物理学の人は植物に疎く、湯川秀樹さん以下ノーベル賞級学者も全滅などと書かれている。原文をあたった人も字面は追っても頭では読んでいないということもあっただろう。愉快だけれども深刻な話である。
アインシュタインがブラウン運動を取り上げた論文他二編を発表した1905年から百年を経た2005年、国連総会はこの年を世界物理学年とした。これを記念して、英誌"Nature"が募集した論稿の中にも同じ誤りが多かった模様だ("Nature"2005.Mar.10)。
<投稿者の多くはブラウンがpollen grain を顕微鏡下で観察していたと述べているが間違いだ。ブラウンはpollen grainよりもはるかに小さいおよそ直径500分の1インチほどの微粒子(particles)を観察していたのは明らか>としてDavid M. Wilkinson氏が1828年の原論文を引用している(https://www.nature.com/articles/434137c.pdf )。
前記朝日文庫刊行の後も、海外では同じような誤りが伝承されているらしいことがわかる。日本では改まっただろうか。
上の< >内は筆者の要約であるが、原文にはpollen grain とparticlesが使われている。日本語ではpollenを花粉、pollen grainを花粉粒と使い分けしたり、どちらも花粉とする場合もある。生物、物理ともに専門としない筆者には知識がないが、ブラウン運動を語る際には少なくとも「花粉から出た微粒子が動く」と明確にしたほうがよいのは明らかだ。ブラウンは微妙な動きをするものをparticles、あるいは便宜的にMoleculus とした。現代ではうえの名古屋市科学館の例ではコロイド粒子としている。コロイド粒子とは水に溶けきれずに濁った溶液ができる牛乳や墨汁などがその例だ。ここから先は混乱しそうだからこの辺でやめておく。独学は気をつけなくてはならない。ときには密かに師匠をも疑ってみる必要がありそうだ。
当時のブラウンの原文がPDFでダウンロードできるから好学の士は一読されるのもよいと思う。URLを掲げておく。https://sciweb.nybg.org/science2/pdfs/dws/Brownian.pdf
筆者が俄仕込みの知識で上述のようなことを書くのは僭越なことではあるが、インターネットで関連事項を見ていると現代においても先端工業や医学、具体的には半導体工場の清浄維持、脳科学とコンピュータへの導入計画などミクロな分野では驚くべき発想が実現へと試みられていて決して過去の遺物にとどまっていないことがわかる。研究はすべて数式につながっているが、なんとか読める知識を得たいと夢のようなことを考えるこの頃である。オリンピックは遠い世界の出来事みたいに思える。(2021/8)