黄河 Wikipediaより |
じつは100という年数や年齢にかこつけて何か書こうとしたのだったが、もともと100が関係しないのでは話にならない。出典を知っただけで良しとしよう。河は黄河のことであるのは言うまでもない。
故事をいう言い回しに、いつどこで「百年」が付いたのかわからないが、遠い将来を指すときに使われたように見える。いまの世は100歳時代と呼ばれるように変わってきた。期待を含んだ100が現実の齢の表現になってしまった。「俺の目の玉の黒いうちは…」という言い草を常とする人物がいたとすると、100歳を意識しているのかもしれない。
こういう類の人の人生は昔通りせいぜい50年程度であってほしいと思う。
インターネットであれこれ記事を楽しんでいると、南方熊楠さんを知っていますか、という文があった。知っていますかって、何を言ってるんだ、という思いをしながら読んでみると無理もない。昔こんな風変わりだけど偉い人がいたんだぜ、という人物紹介記事だ。こっちは同郷のよしみもあって大人たちが話すエピソードを子供の頃から聞いている。世の中みんなが知っているという感覚でいた。それが「知っていますか」という質問が堂々と出てきた。これはいまや熊楠さんを知らない新しい人間が世の中にいっぱいいる証拠だ。昔は三世代が一つの家に住む、というのはたくさんあったけど、年寄りなしの世帯が増えた。母子家庭とか、おひとりさまとかもあって、とにかく単位あたりの人数が減った。こうなると昔からの言い伝えだとか、語り草だとかが世代を超えて伝わることがなくなってしまう。昔話というのもそうだ。図書館に行くと「〇〇県の昔話」などという本が並んでいる。ああゆう本にはおばあさんから聞いたというような、地方訛りで方言が交じる話は入っていない。昔話は本来語られるものだから口語だ。口語は本になると消える。訛りは文字で表せない。だから本になった昔話はあまり面白くない。物語は耳から聞くにまさることはないから、新しく生まれた世代は気の毒だと思う。いま達者でいる年寄りでさえも既に知らないことが、本を見ればあるというのがせめてもの救いだろう。
6月に大阪地方で地震があって、高槻市の4年生の女の子がブロック塀の下敷きになってなくなった。ブロック塀は地震に弱いから危ない、と大騒ぎになった。そんなことはとっくに知っていたから、どうして世の人々は知らなかったのかと不思議だった。1980年に造成地に家を建てたとき、町内の申し合わせにブロック塀は危ないからやめましょうとなった。当時はそれより古い頃の地震の経験から、そういう申し合わせが住民の間でできたのだった。その時建った団地の家々で生まれた子供はブロック塀が危ないことを知っただろうか。いま思えば大きな疑問である。口頭による申し伝えはいつかは消える。文書で残す、それが法律だろう。しかし法律は必ずしも災害防止とか安全とかが考えられるとは限らない。これからつくる塀には適用されても既存のものはお構いなしということもある。既存不適格という問題だ。事故が起きた高槻市では壊す費用に補助金が出ることになった。こういう事が全国的に行われたかどうか知らない。ブロック塀だけでなく、ほかにも危険をもたらすものは千差万別いたるところにあるだろう。大風が吹けばあれはアブナイヨ、と誰もが考えていても、実際に倒れるまでなんにもしないのはよくあることだ。大岩が落ちてきそうな崖下に「頭上注意」の看板というのは全国にある。どう注意すればいいのか、不思議に思いながらその下を通り抜ける。あれもお役所仕事の典型である。
高槻市の現場 news.gooより |
河田氏は、地震や津波は時が来れば必ずやってくると書いているし、寺田寅彦氏は「科学の方則とは畢竟(ひっきょう)『自然の記憶の覚え書き』である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである」という(昭和8年5月『鉄塔』 青空文庫『津波と人間』)。両氏ともに人間はあてにならないとの諦観に似たものがあるが、これも真実だ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/4668_13510.html
ヒロ村の堤防、右は波除石垣 昭和10年代の写真 気象庁 |
世界津波の日 ロゴ |