表題の一篇は座談の記録である。正確には岩波書店編集部の記者が当時かしましかった振り仮名についての議論に対する露伴の意見を聞きに来た時の対談記録である。対談といっても殆どが露伴の発言であるし、その内容の知的な豊富さは巧みな表現と相まって自ずから人柄の滲みでた楽しい座談であると思う。
対談の契機となったのは作家山本有三が著書のあとがきに添えた主張である。本文で山本は易しい漢字だけを用いる文章をこころがけて振り仮名は一切使わないことを実行した。そして、あとがきで振り仮名は一切用いないことを世に勧奨した。これが「ふりがな廃止論」とされ多くの議論が巻き起こったのであった。(参考)
山本有三『戦争とふたりの婦人』巻末「この本を出版するに当って―国語に対する一つの意見―」岩波書店 昭和13年5月単行本、8月改訂版
山本有三『戦争とふたりの婦人』巻末「この本を出版するに当って―国語に対する一つの意見―」「『ふりがな廃止論とその批判』へのまへがき」岩波書店 新書版 昭和14年
白水社編『ふりがな廃止論とその批判』昭和13年12月)
昭和13年当時と現在では、時代というか世相が全く違うわけだし、言葉や漢字についても感覚も異なることから、ここでは昔のことをとやかくいうことはしない。ただ問題の種類や所在は当時も今も相変わらずである。したがって、この一篇では虚心坦懐に露伴の語るところを愉しめばよいだろうと思う。その意味でこれは筆者にとっては楽しい読み物であった。賢くなった気もするし。
ちなみに「ふりがな廃止論」に対する露伴の意見は、常識的なことである。要約すれば、
普通教育を受けた者には誤解誤読のおそれなきものには付けない。地名などは字が決まっているのだから仕方がないし、ほかにもいろいろあるだろう。そういうものには親切の意味で下に小さく読みを書いておく。ということになろう。
文字と言語の間に溝のある我が国のことだから、訓注を要する場合があるということだけは予想されねばならない。
「文章はルビーだけで成り立っているわけではなく、もっと大きな問題がいくらもあるのだから、それで漢字を廃してしまうとか、ローマ字を採用するとか、あるいは仮名文字にしてしまうというような大きい議論は別にして、それをお預けにしたところでルビー一つだけで論ずるのならば」という前置きをしているが、その当時の漢字制限論やローマ字運動には批判的であったかのようにみえる。
「『字』という字の意味が元来孳乳繁殖を意味していて」という箇所があるが、調べると哺乳動物が繁殖するということだったが、「うむ、ふえる」という意味の「孳(じ)」が「字」の語源で、字は増えるから「字」を使うようになったと辞書にある。「社会の事物思想が段々と新生して来ると言語だの文字だのは随應して増加して行くべき譯」で「文字を減じ得ても言語は増さぬ譯には行かぬ」から制限しようというのは容易ではない、と言っている。「詞は元来が耳に訴えるものにして(漢字が減らされれば)長々しく示されるようになる」から、露伴の頃から80年余経て、紆余曲折があったとはいえ、現代の漢字仮名交じり文はほどよいところで落ち着いたのかなという感じがする。
漢字クイズなどに難読漢字を読ませるものがあるが、鑷(金偏に耳が3つ)を露伴が話のついでにもち出している。「ケヌキ、毛抜」だそうだ。紅葉が好んで使ったというが「南方」と書いて「ケヌキ」と読ませた。こころは「南方不毛の地」から採ったシャレらしい。この場合南方は今の東南アジアである。昭和期前半の南方も未開瘴癘の地として扱われていた。1970年代、外務省のシンガポール駐在員には瘴癘地手当がついていたらしい、随分失礼な話ではある。
また日本の故事からの言葉として「白馬」を「あおうま」と呼ぶ習慣を紹介している。漢字の白は碧と共通するらしいが、日本では古来の年中行事に「白馬節会(あおうまのせちえ)」があることを知った。そういえば神社に白馬が飼われているのを見た記憶がある。故事の漢字と読みかたの結びつきは、知らなければ振り仮名に頼るしかない。
劇作家の井上ひさしさんは、振り仮名は漢字と仮名、つまり意味と音をつなぐ貴重な工夫なのだ、と書いていて、作品にも数多く利用している。それがまた、たいてい笑わせたりして愉快だったのは懐かしい。大冊「吉里吉里人」が我が本棚の奥に眠ったままになっていたのを思い出した。読んでみよう。
「言語と文字の間の溝」は近代デジタルライブラリーで読める。「音幻論」の付録175ページ。コマ番号95から始まる。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126366/8
(2015/3)