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2015年3月7日土曜日

露伴を読む(3)『音幻論』

「音幻論」 露伴 述  土橋利彦 筆記             

単行本表紙陰影 近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126366
    
岩波書店の露伴全集第四十一巻 別冊に「音幻論」と題された日本語の音(おん)に関する一群の著作が集められており、序、目次、各論の順に構成されている。序の末尾に「昭和丙戌の歳」とあるから昭和21年(1946年)のことであるが、これは序文を書いた時を示すもので、内容の各編はそれぞれに異なった時期に雑誌に発表された。ここに収録された内容は昭和22年5月、単行本となって洗心書林から発行された。別稿「言語と文字の間の溝」(昭和十三年)が付録についた。

「序」の中で露伴は、焼失した小石川の旧書斎の硝子障子に、墨で将来の著書目録あるいは材料収集の目安書きのような言葉がしたためてあったが、その中に「音幻」という文字があり、それが遂にふつつかな形だが「音幻論」として出版されることになったと控えめに喜びをあらわしている。

音幻とは聞き慣れない言葉だが、露伴は次のように言う。「言語の変遷する所を掴みたいのが音幻論の生ずる所以で、言語が金石に彫刻したもののやうにその儘永存するものではないのは、恰も幻相が時々刻々に變化遷移するものである如く生きて動くものである。そこで音幻の二字を現出したのである」(「韵」)。[筆者注:韵は韻に同じ]

国語について、言語学その他で諸先輩が色々な優秀なる意見を披瀝してゐられたのと別に、それとは少しく異なった考を余は早くから有してゐて、いつかはこれを世に問ひたいと思ってゐたからであった。純粋に音の上から言語文章の大きな問題を生じることを意識してゐたので、いよいよ自分の思ふだけの材料が完全に得られた時は、直ちに切って放して、その仕事をやり遂げたいと思ってゐたが、さしあたり急なことでもないから、仕事にとりかかる時の有力なる材料として、零細的に書きしるして置いたノート類の外に、国語の排列の仕方に一種の考案を用ゐた、半紙本十冊にも餘る字引のようなものを、甥の四郎といふ者に託してつくって置いた。([序])
伊東にゐた頃、シとチの話をして土橋君に筆記して貰った。信州へ行ってからも、どうすることもできない體で、時々話したことをやはり同氏の筆記を以て「文藝」に與へた。終戦になって再び伊東へ頼り無い病軀を寘いた後、又その仕事を続けて、この音幻論は成立った。東京の住ひは灰燼に帰して、甥につくらせた字引も烟となってしまったので、徒らに筆記者の労苦を致したが、その結果に於て、半部以後のものは余の當初の考とは違って、萬事物足りなさを感じるけれども、どうにかこうにか一部をなしたのはこれである。音は幻である、といふ余の考は、たとへ不満足にせよ、これによって窺はれるものとして、人に示すことができたのである。(「序])
露伴は昭和十九年には白内障で視力が格段になくなったが、持病の糖尿病のため手術ができない。また起き上がることの難しい身にもなってきた。一方で戦争は進み空襲が始まり、介抱されながら伊豆や信州に難を避けた。

「音幻論」各編は、戦中戦後を通じて不自由な身で場所を移しながら口述筆記で雑誌『三田文学』と『文藝』に寄稿されたが、資料を失ってしまったため、口述者、筆記者共に負った苦労は想像に余りある。雑誌も掲載年月をたどれば、「シとチ」「近似音」「本具音」「ン」「韵」「音の各論」前半までは戦時中の作業であり、「音の各論」後半、「累音」「對音」「省音」「添音」「倒音」「擬音」「音と言語」「聯音」は戦後の作業とみられる。浅学の筆者には露伴の記述そのものへの評価など到底おぼつかないが、日本語についての著者の愛着の片鱗でも味合うべくぽつりぽつりと読み継いでいる。

「音幻論」のすべての原稿の筆記者は土橋利彦氏である。同氏は甲鳥書房の編集者であったが早くから露伴の弟子になり、眼疾で書けなくなった露伴を見かねて自分が担当するとして口述筆記を申し出た。もとより露伴の該博な知識についていける程の力量でないことは自認していたが、露伴も承知でその好意と熱意に報い、土橋氏を鍛えながら口述による著作を進め、最後の著作「芭蕉七部集」も完成した。露伴没後の土橋氏は岩波書店の露伴全集の編纂に関わり、さらに伝記『幸田露伴』を世に出した。この間に自らも失明しながらの著述だったという。筆名塩谷賛。自らは決して伝記を書かなかった露伴だけに、常時身辺にあった同氏による伝記は貴重な記録とされている。

土橋氏が所属する書肆が「三田文学」を発行することになったため、露伴に原稿を依頼したことが契機となって「シとチ」の執筆が着手され、目の見えない露伴に導かれながら『大言海』と首っ引きで土橋氏は筆記したらしい。ここで土橋氏が学んだことは、露伴は知らないことを土橋氏に命じて大言海を引かせるのではなく、知っていることを引かせるということだったという。ちなみに雑誌が出てから僅かながらも稿料を持参すると、露伴はそれは土橋氏の調べ物に対する礼だとして押し返したという。こうして「音幻論」すべての稿料は土橋氏が受けとり、単行本の印税は出版元が倒れて不払いに近い結果に帰したというから、露伴の手元にはほとんど何も残らなかったことになった。




さて、「シとチ」は豊富な用例を挙げて、「シ」と「チ」がどちらの音も風を意味するということを明らかにした文章である。日本語が成り立ってきた経路から考えてどちらが正しいとか言えるものではない。日本語があって、五十音図の伝来があり、仮名遣いが論じられるようになった。仮名遣い以前の日本の言葉は風の場合で言えばシでもチでもない音かもしれないが、考えても詮無いことであろう。

元来言語は二元のものであって、発する人が一つ、聴く人が一つ、聴いた人が復現するときに至って、又、発した人が復聴するときに於いて言語は成り立つのである。それであるから言語といふものはそのもの一つで、すなはち発音者のみを以て論ずるのはむしろ滑稽なことであって、聴く人聴かせる人が一圏をなして初めて成立つものである。(中略)音韵の自然の流行の径路を遍く正しく観察することが何よりの努であらねばならぬ。
「音幻論」は、その意味で長年考へてゐたことであるが、その大綱を成就するに及ばないで已に私は耳も疎く、目も殆ど盲するに及んでゐる。それで今ただ、シとチだけのことを言って、その萬分の一の思考を遠慮しながら一例として述べたまでである。何も自分は言語の上に新古正邪の見を立てようとするのではない。ただ真の邦語がどういふものであったかを考へ知りたいと思ふばかりである。(昭和十九年八月 「シとチ」)
アラシ、アナシなどの語彙を集め、用例として記紀万葉、祝詞、歌集など数多の資料が駆使されている。提出される言葉を追うだけでは面白くもない読み物であるが、その説明として挙げられる出典を見てゆくとき、生活に密着した言葉の実際を自ずから知ることができる。蒐集されているのは日本語の話し言葉であるから、そこから日本の文化がみえる。露伴は漢語の音韻にも通じ、また英語にも詳しいが、音幻論は全く日本語の音韻の変化、転訛などを仮名表記を使用して考究している。それは言葉は音で成り立っているという考えのもとに、論を立てるより先にまず実態を観察しようという姿勢に基づくのである。

各編に用いられている用語も珍しい名称になっている。露伴の漢字の使い方がわかる。たとえば、本具論。ある音が発せられる直前に発せられる幺微(ようび)の音を仮に本具と名づけたのだという。梅がウメとかムメとかになるのは、メを発する直前に出る音をメの上に書き足して表現したからだ。この直前に出る音をメに本来具わっている音と見立ててメの本具音といったわけだろう。だからウメとムメのどちらが正しいなどということに重きを置かない考え方だ。メを発音する際にはこのようになるということを知ることが大切だと説くのだと思われる。梅とか馬のシナ音が日本語に入って、やがて五十音図にしたがって仮名表記にしたとき、メとかマだけでは写しきれない音が感知されて困ったという歴史である。メやマの前に何やら空気が感じられて、それがウやムに聴こえたという当時の人々を想像するのも楽しい。
露伴は「ン」には別項を立てて、何と読むかわからないと嘆くのであるが、口を閉じて鼻腔から内息を漏らすだけでこの音を発音できると述べている。しかし何という仮名文字で表していいものであろうかと考えこむ。だから「ン」と称するだけで改めて項目名は立てていない。
この時代の言語学の状況は知らないが、西洋流の音声の考え方に近いところをいっていたようだ。それでいてあえて西洋言語学には近づかなかったのかもしれない。

言葉の意味(字義)には関係ないこととして、学界を揶揄した蕪村の句など紹介してあったのが愉快だった。
あらむつかしの仮名遣いやな字義に害あらずんばアゝままゝよ、と詞書して、
     梅咲ぬどれがむめやらうめじややら (几菫編 蕪村句集巻之上)(「本具音」)

他の各編について触れることはしないが、「音幻論」は決して人気のある著作ではないかもしれない。物事を大きく把握しながらも几帳面で細事を疎かにしないこの人物による労作は言葉に関心ある者にとっては、なかなか捨てがたいところがあると思う。昭和十九年というただならぬ時期に何という閑文字をものしたものかという(好意の)評言もあるが戦争嫌いの露伴なればこそであろう。

(2015/3)



2014年10月4日土曜日

読書随想 『私の日本語雑記』(中井久夫著、岩波書店、2010年)

表紙のカットも著者
著者の「あとがき」によれば、『私の日本語雑記』は雑誌『図書』(岩波書店)に2006年7月から2009年5月までひと月おきに載せたものを一年近くかかって手を加えたとある。『図書』はずっと購読していたが、気になりながら読まずに過ごしてしまっていた。今回、図書館の書棚で見かけたので読んでみる気になった。高級な内容であった。高級というのは自分の知識の程度との比較である。

著者はご自分を「ただの言語使用者」と卑下されているが、どうしてどうして、エッセイスト、翻訳家であり、本職は精神病理学のお医者様である。本業の論文や著作集はもちろん、翻訳も余技どころではないヴァレリーやらギリシャの詩人などの訳詩におよんで、著書多数である。だから語学も達者。それでいて1934年生まれだという。私より学年で2年下になるが、どういうわけだろう。

文章の中に「高校生のドイツ語の時間」とでてくる。「9 私の人格形成期の言語体験」という章には、旧制中学最後の入学者であるが、その学校は中高一貫校であったと書いている。これは神戸の甲南中学だろう。すべて旧制高校の教師が教えていたそうだ。米語を無視してキングズイングリッシュを教え続けた名物教師がいた。高校では第一外国語がドイツ語のクラスに入って、文法を1学期であげて、あとは原著の訳読。11人のクラスだから毎回当たる。語彙と文法、訳語の適切さには厳しかった。国語の授業はずっと情緒的だったから、外国語の授業をとおして日本語を習ったといえると書く。ナチスを嫌って帰国しないままだったドイツ人老教師は音声学の専門家、発音に厳しく、また、ゲーテ、ニーチェなど暗唱させられた。国語の教師は一人はリルケを、もう一人はヴァレリーを読み込んでいて、特に後者は新古今集とヴァレリ-などの西欧象徴詩とを対比させた絢爛たる講義をしたという。ヴァレリーの原語による朗誦はいまだに中井氏の耳に残っているそうだが、これらの原書は図書館に寄贈されていた九鬼周造の全蔵書に限定本で揃っていて、借り出しては筆写して持ち歩いたという。中井氏が高校と書くのは新制高校であるから、なんとうらやましい環境だったことかと驚く。甲南中学・高校が私立であったからできたことかとも思う。

不肖私は兵庫県の旧制県立中学三年生に転入したが図書館どころか校舎は空襲で焼失、摂津本山の小学校に仮住まいしていた。先生も生徒も戦後3年目の空気だけは明るい世の中にいたが、中井氏の伝えるような別天地は望むべくもなかった。かりに私が甲南中学への転入を志望したとしても、とても合格はしなかったろうし、僥倖で合格したとしても毎年落第していただろうと想像する。
それにしても中井久夫氏は素晴らしい環境に恵まれ、優秀な頭脳で京都大学医学部に進まれ、医学にフランス語にと研鑽をつまれたわけである。こういう方の存在と作品群を知らなかった不明を私は大いに恥じなければならない。

先に述べたとおり、本書の文章は高級である。著者は私と同年配ではあるが頭の構造は大いに違う。例によっていろいろ脇道に入って知識を補充しながら読み進めた。
高校生のドイツ語の時間、昔のことだから訳読が中心の授業であったが、真面目な初老の先生が、「「犬」と訳しても、日本の犬とは違う。ほんとうは「洋犬」と訳さなければならないのです」と言った。当時は各種の「洋犬」が跋扈する今と違って、だいたいは柴犬のようなのが「犬」だった。「洋犬」はテリアぐらいか。
先生のこのコメントは中井氏の頭に後々まで残って、
『失われた時を求めて』の中の訳語などは「プルーストの指しているものと違うのがずいぶんあるだろうな」などと考えた。そんなに違っても、なぜ私たちは外国の小説が読めるのだろうか。あるいは源氏物語を。私は現に読んでいるのだが、不思議である。訳語の少しの違いよりも、厳格主義者にはこちらのほうが問題ではなかろうか。
ある勉強会で中井氏は尋ねた。イメージとそれに対応する名がある。イメージが先だと書いてある本があるけれども、ほんとにイメージなりモノが先ですか、それとも言葉が先ですか。答えは、最初に子どもが言葉を覚えるときには、モノなりイメージが先でしょうね、だった。
単純にイメージが優先するとすると、われわれは外国の小説をどうして読めるのだろうか?この質問に対する答えは「それは私たちがいい加減だからです」だった。この「いい加減さ」には深い意味があるぞと私は思った。
私たちの錯覚は、帝国主義者が世界を分割してしまったように、言語が世界を分割していると思い込んでいることかもしれない。実際はそうではない。さまざまな椅子を「椅子」と名付けることによって、私たちは利益も得たが、粗雑にもなった。犬に比べて嗅覚は1万分の1にも鈍くなったそうである。他の感覚もそうだろう。
他の感覚に考えが及んでいるのは著者が精神医学者だからかもしれない。別の個所でこういう文もある。「3.日本語文を組み立てる」、テンプル・グランディンという自身が自閉症である動物学者の著書『動物感覚』(中尾ゆかり訳、日本放送出版協会、2006年)を紹介しながら、
言語を学ぶことは世界をカテゴリーでくくり、因果関係という粗い網をかぶせることである。言語によって世界は簡略化され、枠付けられ、その結果、自閉症でない人間は自閉症の人からみて一万倍も鈍感になっているという。ということは、このようにして単純化され薄まった世界において優位に立てるということだ。
この文章の手前には最相葉月『絶対音感』(小学館、1998年)をひいて、自閉症の世界は絶対音感の世界でもあって絶対音感の人の苦しみは、それが音だけでなく、すべての感覚にわたってそうらしいとも書いている。 
言語の支配する世界はすべてにわたっていわば相対音感の世界ということになる。相対性、文脈依存症は成人の記憶において明らかである。誰しも、生きてゆくにつれて、過去の事件の比重、意義、さらには内容、ストーリーさえ(たいていは自分に都合よく)変わる。しかし、人間はどこか生の現実(「即事」「物自体」「現実界」など)から原理的に隔てられている虚妄感を持つようになる。(ここでリルケの詩で例をひているが省略する)晩年のリルケはキリスト教から距離を置くようになったらしい。一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。一般に絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーションである。
ここは何度もかみしめたい箇所だ。このあと私たちがどのようにして世界を言語化する作用に巻き込まれてゆくかを検証している。

イメージと言葉の話に戻ろう。著者は、色彩のエスノ言語学によって、いかに人が色を言語化することの不十分さを知った。普通の市民は高度に概念的に色を見ている。樹は緑に、海は青くと、「固有色」に塗るのが多数派である。小学校あるいはそれ以前からの教育の結果である、と中井氏は書くが、最近のテレビなどで見る保育園児のお絵描きの色づかいは全く自由気ままである。少しは時代が変わって「固有色」にこだわらない教育がされているのかもしれないが、「概念化」がなければ色付けに当惑することには変りないだろう。 

月を最初に周回した1968年の宇宙飛行士は、月の表面の色について意見が大幅に分かれたことを中井氏は回想している。何とも言いようのない色であったそうだ。
私たちは、見たことのない色は、既知のどれかの色に片寄せて認知する。私の場合は淡い灰色であった。この片寄せは言語という粗い網の目で世界を分割しようとする場合には避けられない。物体の色にしてこうであるから。抽象概念はなおさら、具体物も同じくであろう。 
色は、精神医学者サリヴァンのいう「合意による妥当性確認」(Consensual validation)によってしか伝達できない。「これが赤だよ」「うん、ぼくにもこれが赤だ」。これが合意である。つまり、純粋の「質」は意見の一致によってしか確認できないのである。形ならば、いろいろ説明することができる。しかし、色については意見が一致しなければそれ以上の正否は問えない。
エスノ言語学者、バーリーンとケイの仕事(Brent Berlin & Paul Kay:"Basic Color Terms"(1969),CSLI Publications,1991)が紹介されている。
バーリーンとケイはいろいろな民族と言語における色名とその色名が妥当する色の範囲を知ろうとして、質問用紙を用意した。
可視スペクトルを左右に、明暗を上下に展開する。「虹の七色」(赤橙黄緑青藍紫)に欠けているピンク、桃色、茶褐色、黒褐色系を加え、灰色のモノクローム系を縦に付け加える。これを縦横に細い線で切り分け、合計330個のプレートを作る。これが質問用紙だ。
中井氏はこれを一見して、
まず驚いたのは「虹の七色」などどこにもないということである。
それはそうだ。全部がひとつながりになって色合いは段階的に境界なしに変化しているのであるから、そこから色を七つ取り出せといわれても困惑するだけだ。 
私たちの脳は連続して変化するものを、どこかで仕切って「質」の枠組み(カテゴリー)に分けようとするらしい。可視光線の色は純粋の「質」といってよいだろう。これを虹の七色に分けるのは、坂道を階段に変えるのと同じである。
 著者は精神医学の医学博士である。精神障害の分類に関心があって、このエスノ言語学者の実験に興味を持ったのだそうだ。
精神病も精神/脳という一つのシステムの状態であるから、分類表を作って研究した結論に、はっきりした境界線などないというのは当然である。
ここまでのことの中で私がまだよくわからないのは「純粋の「質」」という言葉である。著者による説明はない。形質とか形容という言葉から類推して「目に見えるが形のない、言葉で言い表せないもの」と考えればよいだろうか。

ところで、虹は七色というが、どうして七なのか。中井先生は「ミラーの法則」という心理学的法則を紹介する。ミラーは人名であって、ジョージ・ミラー(George Armitage Miller、 1920年2月3日 - 2012年7月22日)アメリカ合衆国の心理学者である。 
それによれば、一度に操作できる「もの」(チャンク(chunk)―― 一つの名で呼ばれるものといおうか)は七プラスマイナス二だというもので、七つ道具をはじめ、多くのものがこれに当てはまる。これは人間の心理というより生理的な法則だろう。虹の場合には、連続スペクトルであるはずのものがどうしても六ー七色に見えてしまう。これは世界を認識する際のかなり基本的な制約であろう。特に「質」的な認識の場合がそうである。
純粋の質である「色」はミラーの法則のもっとも見事な例ということができるだろう。
一方で、ヒトは千万単位の色を区別することができるという。ミラーの法則を超えて色の名を増やす方法は比喩であると著者は教えてくれる。

翻ってわが日常に経験していることでは、コンピューターで色を表現するとき、カラーコードを使って色合いを指示する。例えばこのブログの文字の色は「RGB (153,0,0)」、または「#990000」である。このコードはセーフカラー216色コード表によっている。バーリーンとケイの質問表の構成の説明からこのカラーチャートを連想したが、カラーチャートはやはり区割りされている。
カラーチャートの例にはWindows付属のソフトでの「その他の色」とか「色の編集」がある。チャートの全面を見れば連続した色だ。使いたい部分(色)をクリックするとRGBの数値が表示されて、その色合いが特定できる。特定できたからといってもこれも区割りされたものでしかない。その部分の色だけが世界に存在しているわけではない。「群盲象をなでるの図」をちょっと思い出した。

『私の日本語雑記』の中で、色に関する問題は「14 われわれはどうして小説を読めるのか」という章に述べられている。上に抜書きで抄出したように、主題は言語で示すものと示されるものの差異であり、どうして小説を読めるか、という問いに対す答えは、「概念化」と「いい加減さ」である。この話題に精神医学の視点が入るのがこれまで読んだ日本語論などにはなかったので大いに啓蒙された。
前後するが、この章の文章は次に示すように、胎児の言葉の認識に始まり、老化および認知症の観察にいたる。人生の終点に近くなったわが身に照らして考えて面白かったのでこの章を取り上げた。 
言葉の意味は名付けから始まる。子どもはまず、母語の音調、リズム、音素を覚える。この準備は胎内から始まっているようだが、子どもが言語は意味を持つという事実を体験し身につけてゆくという作業は、出生以後である。言葉を口にするよりも先にかなり多くの言葉(音素の組み合わせ)が何を指すかはわかっているらしい。外国語を話すよりも聞き覚えるほうが一般に先なのと、これは同じことだろう。
対照的に、老人は名から忘れる。文法構造のほうはかなり後まで残って、名のあるところは「あれ」「それ」でつぎはぎされる。文法構造あるいは文脈的ネットワークはずいぶん後まで保存されるようである。たとえば「てにをは」である。これは生きてゆく日々によって形成され再形成されたしたたかな網目構造である。
認知症の人が格助詞の間違いに的確に異議を唱えるのを耳にしたことがある。まさに「格助詞の違い」を咎める時の、警笛のような鋭さを持っていた。(「に」じゃなくて)「を !!」というふうに。
 翻訳論もいくつかの章に分かれて述べられているが、英、独、仏、ギリシャ語などにわたっている。詩についても話題が多く、音声の拍やらモーラ、五音、七音、拍子、頭韻、脚韻など、内容は非常に高度なもので私ごとき知識ではとても一度に咀嚼しきれない。悔しいからこれからも何度も読み返したいと思う。

心覚えのためにスペクトルの図を掲げておこう。実はこういうこともすっかり忘れていた。


可視光線は、太陽やそのほか様々な照明から発せられる。通常は、様々な波長の可視光線が混ざった状態であり、この場合、光は白に近い色に見える。プリズムなどを用いて、可視光線をその波長によって分離してみると、それぞれの波長の可視光線が、ヒトの目には異なった色を持った光として認識されることがわかる。各波長の可視光線の色は、日本語では波長の短い側から順に、紫、青紫、青、青緑、緑、黄緑、黄、黄赤(橙)、赤で、俗に七色といわれるが、これは連続的な移り変わりであり、文化によって分類の仕方は異なる(虹の色数を参照のこと)。波長ごとに色が順に移り変わること、あるいはその色の並ぶ様を、スペクトルと呼ぶ。
出典:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%A6%96%E5%85%89%E7%B7%9A

ミラーの法則は次のサイトが参考になる。
matome.naver.jp/odai/2140790955485153101

(2014/10)




2014年7月1日火曜日

読書随想 ロジャー・パルバース『驚くべき日本語』(集英社インターナショナル、2014年)

1944年アメリカ生まれ。ロシア語、ポーランド語、日本語を習得。1967年以来、出たり入ったりしながら日本に住んでいる。イギリス人の奥さんと4人の子ども、全員が日本語で話せるバイリンガル家族。これが著者のおおざっぱなプロフィルです。

この本は表題が示すように日本語はすばらしい言葉だから日本人はもっとその良さを知って、世界中に広めて活躍したらどうですかというお勧めを語っています。
日本語は特別でも何でもない、むしろやさしい言葉といいます。やさしいというのは名詞に女性形や男性形という区別もないし、動詞の変化も簡単だから覚えるのに簡単だというのです。

自分は系統の違う言葉を四つ、つまり、母語である英語のほかにロシア語、ポーランド語、日本語を4年間でマスター出来た。それはどうしてできたかというに、自分の頭を白紙状態の石版にして、その言葉の一つひとつの文字や言葉、語句を書きつけていったのだそうです。白紙状態の石版とは彼がヒントを得ているギリシャ・ローマ神話に登場する予言者シュビラが手に持っている薄い板、タブレットです。その絵ではシュビラは何も書かれていない板を指さしています。人間が知識をいかにして獲得するのかを象徴的に示しているのだそうです。
ベラスケス「タブラ・ラーサを持つ巫女」
タブラ・ラーサは「消されたタブレット」(ラテン語)で、英語では「白紙状態」と表現すると説明しています。ネットで調べると、ロックの認識論の基礎に用いられていて「生まれたばかりの人間の心」の状態をいうとありました。これはパルバースの論と同じです。

言葉を覚える前の赤ん坊なら.日本人でも英語のLとRの聞き分けができると聞いていますが、パルバースさんも同じ理屈で他言語を覚えたということです。
さて、それは具体的にどうすればいいのだろうと読者は考えますが、答えはこの本にはありませんでした。異国人の中に入って自分がそこの人間だと思って言葉を覚えた体験は別の本『もし、日本という国がなかったら』に書いてあると述べています。彼も商売人ですね。
また、日本語論のディベートに備えるみたいにして、敬語の難しさ、はっきり自分を主張しない、など日本語の難癖について述べていますが、それは態度であり、文化の問題であって日本語自体に問題があるわけではないと明確です。

言葉の意味は文脈に依存するのはどこの言葉でも同じですから、どういう場合にはどう言えばいいかを経験的に覚える必要があります。辞書と首っ引きで辞書的な意味だけ覚えても仕方ないことは、はっきりしているのに昔式の受験勉強を続ける愚は避けたいものです(とまでは書いてありませんが)。

また、彼は言葉は中立だからこそ変化するのだということを見抜いています。ですから、「見れる」「食べれる」などの「ら抜き」言葉を認めます。これらは日本語教育の主流をなす先生方は眉をひそめますが、音声学的に日本語を考える人は舌が要求する合理性だからと肯定的だと思います。彼はまた、「マジ」「マジッすか?」もなかなかいいではないかと肯定的です。このあたりになると賛否が分かれるかもしれませんが、実際に世の中で使う日本語を覚えたい外国人には避けて通れない使い方ですから、「それは正しい日本語じゃありません」などと言っていられないのが実情でしょう。こういう面から言えば古い世代の日本語教師は自らを危険な年齢とわきまえる必要があるでしょう。

さて、パルバースがこの本で論じるのは主として話し言葉です。話し言葉について言えば、日本語は英語と同じように世界の普遍言語に十分なれるのだと主張します。問題は日本人が日本語を特別視することにあると。
最後に宮澤賢治礼賛論があります。つまり賢治は自然の音を拾って言葉にするのがじょうずだったわけです。それはそれでいいのですが俳句や和歌の言葉の音の響きについて論じる部分は疑問が残ります。著者も認めるように賢治にしても日本の詩歌にしても、自然の音を声に出していうだけでなく、文字にもうまく表現します。音と意味と文字がうまくかみ合うから心地よく感じられるわけです。著者もここでは音の響き論に文字の介入を認めます。著者は日本語で読み書きも十分に出来る人ではありますが、文字の学びかたについては、かなとローマ字併用あたりを示唆するにとどめています。

この本は外国人にとって日本語は難しくないことを力説しています。だから日本人も日本語を特別視しないで普及に努力すればいいと主張します。しかしながら、いまだに外国人が日本語をしゃべると不思議そうな目を向ける情景が当たり前的なことは彼も知っているのです。

著者は日本語を学ぶ外国人の視点で主張していますが、日本語を教える立場の日本人から言えば現実は十年一日のように、それは無理な相談みたいな思い込みが相変わらず強いと思います。その理由は日本人が自分たちの言葉に無関心だということにもよるのですが、まず政府から歴史的にそうなのですから、古い言い回しですけど、ホトンドビョーキです。東京オリンピックが決まってまたぞろ「英会話」とかが呪文のようになってきました。それもいいですが、外国人に相対したときには、たとえひと言でも自分たちの言葉で外国人に伝えることをこころみる気持ちが持てるようになれればいいなと思います。そういう関心から自分たちの言葉を振りかえる習慣が生まれるだろうと私は考えます。

パルバースが日本語はどんなに便利な言葉か、その柔軟性を第3章に述べていますが、その内容は現在の日本語教育で用いる文法知識とほとんど同じです。外国人に自分たちの文法を教わらなくてはならないほど日本人は日本語を知らないのだと著者に言われているわけです。考えてみれば、くやしいことではないでしょうか。



2014年6月5日木曜日

クラウドファンディング 朝日新聞 2014/6/3

クラウド違い

ネット上で趣旨に賛同する不特定多数から小口の金を集める手法をクラウドファンディング(略してCF)というのだそうである。それなら数年前のイギリスのテート美術館がターナーの名画「ブルー・リギ」の国外流出を食い止めた例がある。ターナーの「青のリギ」

ただ今度はその手法を政治家の資金集めに応用した例が記事になっている。そして募金活動を運営する事業会社の存在、CFサイトが紹介されている。

ここで、待てよ、と気がついてクラウドファンディングを検索してみると、どうだ、この通りクラウドの花盛りである。wikipediaを参照する。なんだ、クラウドってCROWDではないか。クラウドコンピューティングでおなじみになっているのとは別物であった。これだから世情に疎い年寄りは困ります。大衆からの募金でした。図の右下、富士通の広告のはクラウド・コンピューティングでした。これ、日本語だからこんぐらかるのだ。英語であっても日本人が言えばやはり区別しにくいことになるだろう。なにしろRとLの発音の問題になってしまうから。
それはそれとして新聞にはシューティングスターというサイトが紹介されていた。
http://shootingstar.jp/)

インターネットで見ると、なるほどたくさんの活動がならんでいて、それぞれのプロジェクトの達成状況も見ることが出来る。もしも個人で立ち上げて募金しようとするなら箸にも棒にもかからなさそうなアイデアも、仲介する事業会社によって上手に宣伝をしてくれるし、応募の管理もしてくれる。応募はクレジットカードか銀行振り込みで、目標額が達成できなければ金額は引き落とされない。この方式なら安心できそうに思える。
しかし、一旦引き落とされたお金が目標未達の場合には、あらためて返却される方式をとる会社もあるようだ。こうなると事業者の質が問われるだろう。

今日の記事は運営会社が政治家に誘いを掛けたことと、政治献金を合法的に集められる手法として今後も盛んになろうが、同時に政策もしっかり打ち出してもらいたいとの希望をこめた紹介であった。

しばらくブログやらでいろいろな募金活動とその反応を見ているうちに、どちらかといえば若い人たちが思いついて始めるという形のプロジェクトが傾向的に多い気がしてきた。それに対する反応もマジやらチョーやらでなく、もっと高次の若者語で語られていると、こっちは理解の外に追いやられそうな気分になる。基盤の確かな美術館などなら分かりやすいが、有象無象のプロジェクトになると、そのうち詐欺まがいの事業者も紛れ込むのではないかと心配にもなる。

古くはニューヨークの自由の女神の台座部分の資金繰りにも利用されたとか、へぇ―に類する知識も得られたので、ちょっとトクした気分の一日であったが、ネット時代のオカネの話、健全に発展することを願っています。