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著者はご自分を「ただの言語使用者」と卑下されているが、どうしてどうして、エッセイスト、翻訳家であり、本職は精神病理学のお医者様である。本業の論文や著作集はもちろん、翻訳も余技どころではないヴァレリーやらギリシャの詩人などの訳詩におよんで、著書多数である。だから語学も達者。それでいて1934年生まれだという。私より学年で2年下になるが、どういうわけだろう。
文章の中に「高校生のドイツ語の時間」とでてくる。「9 私の人格形成期の言語体験」という章には、旧制中学最後の入学者であるが、その学校は中高一貫校であったと書いている。これは神戸の甲南中学だろう。すべて旧制高校の教師が教えていたそうだ。米語を無視してキングズイングリッシュを教え続けた名物教師がいた。高校では第一外国語がドイツ語のクラスに入って、文法を1学期であげて、あとは原著の訳読。11人のクラスだから毎回当たる。語彙と文法、訳語の適切さには厳しかった。国語の授業はずっと情緒的だったから、外国語の授業をとおして日本語を習ったといえると書く。ナチスを嫌って帰国しないままだったドイツ人老教師は音声学の専門家、発音に厳しく、また、ゲーテ、ニーチェなど暗唱させられた。国語の教師は一人はリルケを、もう一人はヴァレリーを読み込んでいて、特に後者は新古今集とヴァレリ-などの西欧象徴詩とを対比させた絢爛たる講義をしたという。ヴァレリーの原語による朗誦はいまだに中井氏の耳に残っているそうだが、これらの原書は図書館に寄贈されていた九鬼周造の全蔵書に限定本で揃っていて、借り出しては筆写して持ち歩いたという。中井氏が高校と書くのは新制高校であるから、なんとうらやましい環境だったことかと驚く。甲南中学・高校が私立であったからできたことかとも思う。
不肖私は兵庫県の旧制県立中学三年生に転入したが図書館どころか校舎は空襲で焼失、摂津本山の小学校に仮住まいしていた。先生も生徒も戦後3年目の空気だけは明るい世の中にいたが、中井氏の伝えるような別天地は望むべくもなかった。かりに私が甲南中学への転入を志望したとしても、とても合格はしなかったろうし、僥倖で合格したとしても毎年落第していただろうと想像する。
それにしても中井久夫氏は素晴らしい環境に恵まれ、優秀な頭脳で京都大学医学部に進まれ、医学にフランス語にと研鑽をつまれたわけである。こういう方の存在と作品群を知らなかった不明を私は大いに恥じなければならない。
先に述べたとおり、本書の文章は高級である。著者は私と同年配ではあるが頭の構造は大いに違う。例によっていろいろ脇道に入って知識を補充しながら読み進めた。
高校生のドイツ語の時間、昔のことだから訳読が中心の授業であったが、真面目な初老の先生が、「「犬」と訳しても、日本の犬とは違う。ほんとうは「洋犬」と訳さなければならないのです」と言った。当時は各種の「洋犬」が跋扈する今と違って、だいたいは柴犬のようなのが「犬」だった。「洋犬」はテリアぐらいか。先生のこのコメントは中井氏の頭に後々まで残って、
『失われた時を求めて』の中の訳語などは「プルーストの指しているものと違うのがずいぶんあるだろうな」などと考えた。そんなに違っても、なぜ私たちは外国の小説が読めるのだろうか。あるいは源氏物語を。私は現に読んでいるのだが、不思議である。訳語の少しの違いよりも、厳格主義者にはこちらのほうが問題ではなかろうか。ある勉強会で中井氏は尋ねた。イメージとそれに対応する名がある。イメージが先だと書いてある本があるけれども、ほんとにイメージなりモノが先ですか、それとも言葉が先ですか。答えは、最初に子どもが言葉を覚えるときには、モノなりイメージが先でしょうね、だった。
単純にイメージが優先するとすると、われわれは外国の小説をどうして読めるのだろうか?この質問に対する答えは「それは私たちがいい加減だからです」だった。この「いい加減さ」には深い意味があるぞと私は思った。
私たちの錯覚は、帝国主義者が世界を分割してしまったように、言語が世界を分割していると思い込んでいることかもしれない。実際はそうではない。さまざまな椅子を「椅子」と名付けることによって、私たちは利益も得たが、粗雑にもなった。犬に比べて嗅覚は1万分の1にも鈍くなったそうである。他の感覚もそうだろう。他の感覚に考えが及んでいるのは著者が精神医学者だからかもしれない。別の個所でこういう文もある。「3.日本語文を組み立てる」、テンプル・グランディンという自身が自閉症である動物学者の著書『動物感覚』(中尾ゆかり訳、日本放送出版協会、2006年)を紹介しながら、
言語を学ぶことは世界をカテゴリーでくくり、因果関係という粗い網をかぶせることである。言語によって世界は簡略化され、枠付けられ、その結果、自閉症でない人間は自閉症の人からみて一万倍も鈍感になっているという。ということは、このようにして単純化され薄まった世界において優位に立てるということだ。この文章の手前には最相葉月『絶対音感』(小学館、1998年)をひいて、自閉症の世界は絶対音感の世界でもあって絶対音感の人の苦しみは、それが音だけでなく、すべての感覚にわたってそうらしいとも書いている。
言語の支配する世界はすべてにわたっていわば相対音感の世界ということになる。相対性、文脈依存症は成人の記憶において明らかである。誰しも、生きてゆくにつれて、過去の事件の比重、意義、さらには内容、ストーリーさえ(たいていは自分に都合よく)変わる。しかし、人間はどこか生の現実(「即事」「物自体」「現実界」など)から原理的に隔てられている虚妄感を持つようになる。(ここでリルケの詩で例をひているが省略する)晩年のリルケはキリスト教から距離を置くようになったらしい。一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。一般に絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーションである。ここは何度もかみしめたい箇所だ。このあと私たちがどのようにして世界を言語化する作用に巻き込まれてゆくかを検証している。
イメージと言葉の話に戻ろう。著者は、色彩のエスノ言語学によって、いかに人が色を言語化することの不十分さを知った。普通の市民は高度に概念的に色を見ている。樹は緑に、海は青くと、「固有色」に塗るのが多数派である。小学校あるいはそれ以前からの教育の結果である、と中井氏は書くが、最近のテレビなどで見る保育園児のお絵描きの色づかいは全く自由気ままである。少しは時代が変わって「固有色」にこだわらない教育がされているのかもしれないが、「概念化」がなければ色付けに当惑することには変りないだろう。
月を最初に周回した1968年の宇宙飛行士は、月の表面の色について意見が大幅に分かれたことを中井氏は回想している。何とも言いようのない色であったそうだ。
私たちは、見たことのない色は、既知のどれかの色に片寄せて認知する。私の場合は淡い灰色であった。この片寄せは言語という粗い網の目で世界を分割しようとする場合には避けられない。物体の色にしてこうであるから。抽象概念はなおさら、具体物も同じくであろう。
色は、精神医学者サリヴァンのいう「合意による妥当性確認」(Consensual validation)によってしか伝達できない。「これが赤だよ」「うん、ぼくにもこれが赤だ」。これが合意である。つまり、純粋の「質」は意見の一致によってしか確認できないのである。形ならば、いろいろ説明することができる。しかし、色については意見が一致しなければそれ以上の正否は問えない。エスノ言語学者、バーリーンとケイの仕事(Brent Berlin & Paul Kay:"Basic Color Terms"(1969),CSLI Publications,1991)が紹介されている。
バーリーンとケイはいろいろな民族と言語における色名とその色名が妥当する色の範囲を知ろうとして、質問用紙を用意した。
可視スペクトルを左右に、明暗を上下に展開する。「虹の七色」(赤橙黄緑青藍紫)に欠けているピンク、桃色、茶褐色、黒褐色系を加え、灰色のモノクローム系を縦に付け加える。これを縦横に細い線で切り分け、合計330個のプレートを作る。これが質問用紙だ。
中井氏はこれを一見して、
まず驚いたのは「虹の七色」などどこにもないということである。それはそうだ。全部がひとつながりになって色合いは段階的に境界なしに変化しているのであるから、そこから色を七つ取り出せといわれても困惑するだけだ。
著者は精神医学の医学博士である。精神障害の分類に関心があって、このエスノ言語学者の実験に興味を持ったのだそうだ。私たちの脳は連続して変化するものを、どこかで仕切って「質」の枠組み(カテゴリー)に分けようとするらしい。可視光線の色は純粋の「質」といってよいだろう。これを虹の七色に分けるのは、坂道を階段に変えるのと同じである。
ここまでのことの中で私がまだよくわからないのは「純粋の「質」」という言葉である。著者による説明はない。形質とか形容という言葉から類推して「目に見えるが形のない、言葉で言い表せないもの」と考えればよいだろうか。精神病も精神/脳という一つのシステムの状態であるから、分類表を作って研究した結論に、はっきりした境界線などないというのは当然である。
ところで、虹は七色というが、どうして七なのか。中井先生は「ミラーの法則」という心理学的法則を紹介する。ミラーは人名であって、ジョージ・ミラー(George Armitage Miller、 1920年2月3日 - 2012年7月22日)アメリカ合衆国の心理学者である。
一方で、ヒトは千万単位の色を区別することができるという。ミラーの法則を超えて色の名を増やす方法は比喩であると著者は教えてくれる。それによれば、一度に操作できる「もの」(チャンク(chunk)―― 一つの名で呼ばれるものといおうか)は七プラスマイナス二だというもので、七つ道具をはじめ、多くのものがこれに当てはまる。これは人間の心理というより生理的な法則だろう。虹の場合には、連続スペクトルであるはずのものがどうしても六ー七色に見えてしまう。これは世界を認識する際のかなり基本的な制約であろう。特に「質」的な認識の場合がそうである。純粋の質である「色」はミラーの法則のもっとも見事な例ということができるだろう。
翻ってわが日常に経験していることでは、コンピューターで色を表現するとき、カラーコードを使って色合いを指示する。例えばこのブログの文字の色は「RGB (153,0,0)」、または「#990000」である。このコードはセーフカラー216色コード表によっている。バーリーンとケイの質問表の構成の説明からこのカラーチャートを連想したが、カラーチャートはやはり区割りされている。
カラーチャートの例にはWindows付属のソフトでの「その他の色」とか「色の編集」がある。チャートの全面を見れば連続した色だ。使いたい部分(色)をクリックするとRGBの数値が表示されて、その色合いが特定できる。特定できたからといってもこれも区割りされたものでしかない。その部分の色だけが世界に存在しているわけではない。「群盲象をなでるの図」をちょっと思い出した。
『私の日本語雑記』の中で、色に関する問題は「14 われわれはどうして小説を読めるのか」という章に述べられている。上に抜書きで抄出したように、主題は言語で示すものと示されるものの差異であり、どうして小説を読めるか、という問いに対す答えは、「概念化」と「いい加減さ」である。この話題に精神医学の視点が入るのがこれまで読んだ日本語論などにはなかったので大いに啓蒙された。
前後するが、この章の文章は次に示すように、胎児の言葉の認識に始まり、老化および認知症の観察にいたる。人生の終点に近くなったわが身に照らして考えて面白かったのでこの章を取り上げた。
言葉の意味は名付けから始まる。子どもはまず、母語の音調、リズム、音素を覚える。この準備は胎内から始まっているようだが、子どもが言語は意味を持つという事実を体験し身につけてゆくという作業は、出生以後である。言葉を口にするよりも先にかなり多くの言葉(音素の組み合わせ)が何を指すかはわかっているらしい。外国語を話すよりも聞き覚えるほうが一般に先なのと、これは同じことだろう。対照的に、老人は名から忘れる。文法構造のほうはかなり後まで残って、名のあるところは「あれ」「それ」でつぎはぎされる。文法構造あるいは文脈的ネットワークはずいぶん後まで保存されるようである。たとえば「てにをは」である。これは生きてゆく日々によって形成され再形成されたしたたかな網目構造である。
翻訳論もいくつかの章に分かれて述べられているが、英、独、仏、ギリシャ語などにわたっている。詩についても話題が多く、音声の拍やらモーラ、五音、七音、拍子、頭韻、脚韻など、内容は非常に高度なもので私ごとき知識ではとても一度に咀嚼しきれない。悔しいからこれからも何度も読み返したいと思う。認知症の人が格助詞の間違いに的確に異議を唱えるのを耳にしたことがある。まさに「格助詞の違い」を咎める時の、警笛のような鋭さを持っていた。(「に」じゃなくて)「を !!」というふうに。
心覚えのためにスペクトルの図を掲げておこう。実はこういうこともすっかり忘れていた。
可視光線は、太陽やそのほか様々な照明から発せられる。通常は、様々な波長の可視光線が混ざった状態であり、この場合、光は白に近い色に見える。プリズムなどを用いて、可視光線をその波長によって分離してみると、それぞれの波長の可視光線が、ヒトの目には異なった色を持った光として認識されることがわかる。各波長の可視光線の色は、日本語では波長の短い側から順に、紫、青紫、青、青緑、緑、黄緑、黄、黄赤(橙)、赤で、俗に七色といわれるが、これは連続的な移り変わりであり、文化によって分類の仕方は異なる(虹の色数を参照のこと)。波長ごとに色が順に移り変わること、あるいはその色の並ぶ様を、スペクトルと呼ぶ。
出典:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%A6%96%E5%85%89%E7%B7%9A
ミラーの法則は次のサイトが参考になる。
matome.naver.jp/odai/2140790955485153101
(2014/10)