2018年2月11日日曜日

本を読みながら・・・「個人用エレベーター」のこと

あまり面白くもない物語を900ページを超える重みに敗けまいという一心にすがって読み続けているが、ときにはオッ!と懐かしさを覚えることに出遇うこともある。
こたびは「パタノスタ」という運搬機械である。この訳者は「パタノスタ」としているが、「パーテルノステル」ともよばれる。

 ――ドアのない前開きのエレベーター、平行して上下二方向に動く昇降機、たくさんのキャビンを数珠つなぎにしたもので、途切れることもなく地階と最上階を折り返し点にして昇り降りを連続して運行し、ノンストップ運転でカタカタと軽い音をたてる――

こんな風に説明してくれるのは、かのギュンター・グラスであるが、ほとんどの場所でお役ご免にされてしまった個人用エレベーターだという。登場するのはベルリンにある元ナチ空軍省の建物、かつてはゲーリング元帥が君臨していたが、戦後は<労働者・農民国家>の合同省庁が使っていて、その昇降機に飛び乗り、飛び降りながら書類を運ぶ人物とそれに影のようにつきまとう人物の二人組を、壁崩壊後のいま、年老いた当の二人組が往時を回想しているという入り組んだ設定の場面だ。

わたしは一読してオッ、あれだ、とすぐ思い出せた。<労働者・農民国家>でないほうの国、西ドイツはハンブルグで訪問したオフィスビルにあった。古い炭鉱の坑内リフトを思わせる装置、こちらの床と同じ高さになったときにやや大きく一歩踏み出せば乗れるし、降りるときも段差がなくなったときに踏み出せばよろしい。まことに簡便で人手もいらない。せいぜい3人ぐらいまでだろうか、広い空間ではなかった。待ち時間のイライラとは縁がない。いつも目の前に来ては去ってゆくのだから。いまはじめてその名を知った。

さっそくネットにあたってみると説明やら写真がたくさんある。グラス氏の文章よりも写真ならすぐにどんなものかが理解できる。日本では時間貸し駐車場に発展しているからご存じの向きも多かろうが、ヨーロッパでは大学の古い建物などに残っているようだ。
パタノスタの例、右は原理図
google画像から借りました
          
いまどきこれが日本の街なかにあったら、ベビーカーのママや手押し車を歩行器にしているお年寄り、エスカレーターの前で足踏みする人たちのことを思えば非難ゴウゴウかもしれない。私は気が付かなかったが、ドイツのには責任は自分で云々と注意書きがあったそうだ。グラスが書くように、そもそもが個人用の乗り物だから、公共交通とは縁がない。


「パーテル・ノステル」とはロザリオのことだそうである。お祈りのことばのはじめに出るラテン語だとのことで、パーテルは父、ノステルは我らの、つまり「我らの父」ということだそうな。ロザリオは循環式からの連想、日本なら数珠だ。輪になって座ったお年寄りが御詠歌を唱えながら大きな数珠を順繰りに隣に送る昔ながらの姿を想像できればすぐ分かる。

1996年、ドイツ文学の池内紀氏はNHKの依頼でギュンター・グラスにインタビューしたそうで、そのことを講演で触れているが、往路の飛行機の中で前年に出た『はてしなき荒野』を半分ほど読んでいった。不機嫌そうなグラスに面談した氏は「パーテルノステル」を話題にして、小説のテーマをあらわす印象的なシーンだとか言ったところ、グラス氏の態度が急変して、それを指摘したのはあなたが最初だとか、すっかり機嫌を直したエピソードを紹介している。
ではあるが、わたしはまさにいま、その本を読んでいて自分の経験の回想をこそすれ、かつての東ドイツの国情や歴史に疎いために肝心の小説の中身に入り込めなくて戸惑っている。
いま読んでいる本、ギュンター・グラス『はてしなき荒野』大月書店 1999年刊(2018/2)