2018年2月24日土曜日

読書雑感 『はてしなき荒野』ギュンター・グラス

ギュンター・グラスの本の表紙はいつも著者自身の手になるカットで飾られている。この本の場合には何やら黒っぽい塊が描かれている。本文を
すこし読み進んだあとで見直してみれば、なるほど二人の人だ。ベルリンの街なかを歩くふたりづれ、長身で痩躯、そのわきに恰幅のよい短足、黒っぽいフェルトと灰色の混毛の帽子とコートの輪郭がひとつに溶け合って進んで行く。画の中に隠された顔つきはわかりようもないが、筆者は失礼ながら大阪漫才のオール巨人・オール阪神のコンビを連想した。単に体つきだけのことだけど。
本題に戻って、長身のほうはフォンティの愛称で呼ばれるテオ・ヴトケ、100年前の大作家・ジャーナリスト、テオドール・フォンターネ(1819-1898)をこよなく敬愛し、誕生日が同じの故人の生まれ変わりとしてまっとうに生きていこうと早くから訓練を積み重ねてきた。だから、たちどころに故人の句や文を豊富に引用できて、まったく間違いがないところから原作者の顔をしていられる。ために東ドイツの民主的刷新を目的として結成された団体、文化同盟の依頼で旅回りの講演をする。となりにピッタリついて歩いているのは影の男と言われるルートビッヒ・ホーフタラーだ。1986年にハンス・ヨアヒム・シェートリッヒの小説『タルホーファー』で西側の書籍市場に登場した秘密警察の刑事の名を変えてグラスが連れ出した。タルホーファーは反権力的言動をしたフォンターネにつきまとったが、ホーフタラーは空軍一等兵で戦場リポーターを務めたテオ・ヴトケの行動を探っていた。東西ベルリンを分断していた壁が崩壊して間もなくの頃からこの小説は始まっている。二人の行動を読者に知らせてくれるのは「わたし」と「われわれ」、ファンターネ資料館で脚注を書くなどの仕事をしている。資料館の所在は旧式な個人用昇降機パタノスタが動いている元空軍省の壮大な建物、全部で部屋が2千もある。ボンの西独政府官庁がそっくりベルリンに引っ越すことになって、この建物の中も大混乱の最中だ。フォンティは書類運びの臨時仕事に駆り出され、ホーフターラーは表に出されると困る書類をソファの詰め物にして隠している。おおかたの仕事は半日勤めだ、何しろ政府に金が無い。
余談はさておき、物語の進行はフォンティと家族や縁者の過去を洗い出すようにして進むと言えば簡単そうだが、なにかといえばフォンターネをはじめ叙事詩、シェイクスピアなど古典の引用が出てくる。訳者の説明によれば、「1848年革命時代を含めると140年、ビスマルクの『上からのドイツ統一』からでも120年の近現代史の文化、社会、芸術、政治の各分野からおびただしい人物が登場する。[…]フォンターネの長・短編の作品から占めて17編、作品の登場人物となれば、122名の主役や脇役が総動員されている」のだ。知識に欠ける筆者にとっては字面を追うだけで精一杯、言われていることが頭に入らないことはいうまでもない。危うくハンバーガーのマクドナルドがスコットランドから出てきたと思い込みそうになった。
ナチに占領されたパリの女の子がドイツ兵と仲良くなったあげく、戦後は売女と罵られて頭を丸坊主にされた話は聞いたことがある。ホーフタラーが探し出して連れてきたフォンティの孫娘が、じつはおばあちゃんがそういう目にあった人だが純真な女性だったと語り、ヴトケ一等兵は当時レジスタンスを支援していたのだと明かし、その功績に授与されたと勲章をフォンティに持ってきた。おばあちゃんが戦後ひっそり隠れ住んでいた山地はかの迫害されたユグノー教徒が隠れた場所であり、フォンティはユグノーを祖先に持つ誇りを示すために愛称の末尾にイ音を付けたという。筆者も職人集団でもあったユグノーのことを知ってはいたが、あらためて調べるとブランデンブルグ選帝侯が勅令によって2万人ものユグノーを受け入れ、うち5000人がベルリンに落ち着いて、30年戦争で荒廃したこの街の復興に貢献したという。これが1685年のことだから、ドイツの難民受け入れの歴史に感慨を深めた。本書の最終章には行方がわからなくなったフォンティからユグノー博物館の葉書が届いたとしている。
何しろ知らないことがいっぱいのため、個々のエピソードを傍証を固めながら読み解くのが筆者には面白かった。研究者でもある訳者、林 睦実氏によるあとがきには、1986年にカルカッタを訪れていたギュンター・グラスが、妻とひとりの老人が樹の下で親しげに談笑しているのをアトリエから目撃した。嫉妬にかられながらなおも観察していると、その老人が実はフォンターネであることを発見した。妻は昔からフォンターネの愛読者であったがグラスはそうでもなかった。その時をきっかけに、グラスはフォンターネの作品や伝記を読みあさり、この屈折した作家の生涯に限りない愛着を抱くようになったと述べる。グラスは、プロイセンの首都ベルリンの社会生活を特有の饒舌な文体で書きつづけた長編作家のフォンターネを作品の中では「不滅の人」と設定してついにその実名を出さなかった。
「はてしなき荒野」という表題にこめられたグラスの意図は『エフィ・ブリースト』の中でエフィの父親ブリーストが口癖にいう「そりゃあまりにも厄介な問題だな」からドイツ語をもじって得られている。このドイツ語単語は確かに荒野を意味するが、グラスは、「ビスマルクの血にまみれた上からの統一」(林)と、1990年の無血による「ドイツ基本法」による再統一に対して懐疑的、さらには否定的な眼差しを向けている、このあたりが彼の意図でなかったかと林氏は言われる。
筆者はここしばらくの間、『ブリキの太鼓』『玉ねぎの皮をむきながら』『箱型カメラ』『蟹の横歩き』と通読してきて、語り部グラスには強烈な愛郷心を感じるとともに、その物語には強い土着性だけでなく民族の多様性と寛容の精神が込められていると考えている。とりわけプロイセンや東プロシアをはじめとするいったんは大ドイツ圏に取り込まれた東方の国々での差別や人種に特に敏感であった。東側に多く住んでいたユダヤ人やロマについて親しみを持っていたことも見受けられる。西ドイツ社会民主党に賛同していた政治活動とは別に、みずからの出自に根を持つ土着性はその精神に強く反映していたであろう。カルカッタでフォンターネを目撃したという話題について林氏は白昼夢とだけしか述べていないが、作家の精神作用にそのような性向があったのだろうか。
そのことはさておいても、いったいグラスの作品には夢想・幻想的な部分が多く、わたくしたちが子供の頃に経験した老人に聞く昔語りを思い出させる。作品には出していないがこの人の心の底には、人間の生命体の歴史、いうなればDNAに刻まれた歴史を書くようにしてみずからの育った環境に思いを探っているようにも思える。
それはそれとして、東側と呼ばれた共産圏諸国の解体以来現在まで落ち着いた時世はなく世界は混沌としている。これはまさに文字どおりの荒野の風景ではないか。
この一冊は900ページを超える大部であるので繰り返し読むには休息がいる。わからない部分のほうが多いのではあるが、それにもかかわらず面白く、もう一度読みたい。
ギュンター・グラス『はてしなき荒野』原書1995年、共訳: 林 睦実・石井正人・市川 明、大月書店1999年刊 (2018/2)