2014年6月3日火曜日

映画随想 『ラルジャン』 NHKBSプレミアム4月25日放映

映画『ラルジャン』を見た。1983年フランス・スイス合作。監督はロベール・ブレッソン。
ラルジャンはフランス語でオカネのこと。映画では「ニセ札」が物語を作る。


【あらすじ】
高校生ベルノールは月初めにもらう小遣いのほかに、友達に借りを返す分の前借りをねだるが父親に拒絶される。母親にも手持ちがない。やむなく別の友人マルシャンに借りようとすると、手製の偽札500フラン札を使おうと持ちかけられてカメラ店での買い物で実行するところから話は始まる。ババ抜きゲームでババをつかまされた青年の破滅の物語。


【登場人物と行動】

○高校生たち:
写真が趣味らしいマルシャン。ニセ500フラン紙幣の出来映えには自信がある。金を借りに来たノルベールを連れてカメラ店へ。応対の主婦に言葉巧みに信用させて悪巧みが成功する。

後日、ノルベールは心中おさまらないカメラ店の主婦に街頭で出逢ってアカンベーをする。高校では主婦の訴えに教室全員が追及される。ノルベールは隣に座るマルシャンに気兼ねしたのか、心中狼狽して教室を飛び出してしまい、しっぽを出す結果になる。母親は校長からパパに話が来るからシラを切り通すよう言いつける。父親は噂をおそれてだろう、外に出るなと言いつける。高校生たちについてはこれで決着。
だが、高校生二人は偽札がこのあと、どんな結果をもたらしたか知るよしもなく、悪のタネだけ残る。大人は社会的体面を保つためには平気で嘘をつくだけでなく、そのように教育もするのだ。


○カメラ店夫婦:
帰宅した店主はレジの中に偽札を発見。妻との会話。「騙されやがって」「だって高校生よ。自分だって前に騙されたじゃないの」「よし、つかってやる」・・・・・・
燃料代金を集金に来たイヴォンに応対するのは店員のリュシアン、店主に取り次ぐ。店主は素知らぬ顔で紙幣を数えて支払う。大きな札3枚と少し小さな1枚。イヴォンは何も気がつかずに受け取って去る。

後刻、警官に連れられたイヴォンが店頭に現れる。店主が応接し何気ない顔で店員に聞いてみると言って奥に入る。出てきたリュシアンにイヴォンが問う、「覚えているかい?」。リュシアン首を振る。イヴォンが領収書写しを見せる。それにもリュシアンは「知らない」と言い張る。
警官は「お邪魔しました、行こう」とイヴォンを促す。イヴォン思わず、「そんな馬鹿な、うそつき」とつぶやくが抗弁はしない。

後日の法廷でもリュシアンはイヴォンを見たことがないと偽証する。
帰途、主婦は「悪いのは高校生なのに」。店主は「心配するな」「リュシアンはよくやった」とほめて謝礼をポケットに入れてやる。
 カメラ店主はニセ札発見を通報しない。過去の分も保管している。自分がかわいいだけの小心者。                              
   



○リュシアン:(カメラ店員) 
カメラ店でのイヴォンの一件のあと後日、店番中に客が来る。「ウインドウにあるカメラの値札の金額、この前と違うようだが・・・」「あいにく店主が留守で・・・」「じゃ、あの値でいいから買います」。
客が去ったあと受け取った代金から1枚紙幣をポケットに入れてから残りをレジに収める。店主夫婦が戻ってくるのを認め、慌ただしく帳簿を閉じるが、剥がした値札が挟んだままに・・・。やがて、店主が追及する。「初めてじゃないな。悪党め。」「不正直はおたがい様でしょ」。首にはなったが店の合い鍵を持って出る。

後日、夫妻が帰宅すると住居が荒らされている。画面が変わると大きな荷物を持って友人二人と地下鉄で逃げる姿。

カメラ店での会話。リュシアンの噂をしている。貧しい人にカネを配っているらしいと。郵便物を開けるとリュシアンから小切手が届いている。手紙はいう。「あなたは僕に卑劣なことをした。僕はイヴォンにもっと卑劣なことをしてしまった」。

夜間の道路沿いにあるATM。操作している後ろから番号キーを押す手元を盗み見る人影。カネを引き出した人物はカードが抜けなくて戸惑うがそのまま行ってしまう。あとから来た2人組「金属片を遺すな。手口がばれるぞ」そして遺されてあったカードで首尾よく金を引き出して去る。

法廷の場面。リュシアンが判事の質問に答えている。危害は加えていない。大金を他人に分け与えるのは良心からだ、無罪になるはずだ。逮捕されても何度でもやる。確信的な知能犯タイプ。

○イヴォン:(燃料店の従業員、幼い娘と妻の3人家族)

カメラ店で集金を終え、イヴォンはその足で立ち寄ったカフェでカメラ店で受け取った紙幣で支払おうとして、ニセ札と指摘される。3枚の紙幣がすべてニセ札と言われて呆れるが、犯人と決めつけられて思わず暴力をふるう。

言い分を確認するため警官が同行してカメラ店に行くが知らないと言われて潔白は証明されない。送検される。
相談した弁護士の結論は、カフェは弁償すれば告訴は取り下げられるが、疑いを晴らすにはカメラ店が問題だと。
だが法廷ではカメラ店の店主と店員が結託して偽証される。弁護士の助けで不起訴になるが失業する。
カメラ店の不正直を告訴していたが、判事からは「善良な市民を告訴するとは・・・。以後肝に銘じておけ」と注意される始末。
妻は燃料店に話してもう一度雇ってもらえば・・・と助言するが、頭を下げるのはゴメンだと言う。

金策を頼んだ知人は金は貸せないが頼みたい仕事があるとして、何事か指示する。「それだけ?」と聞き返すほど簡単な話。妻が「心配だわ」と言うが、行ってみると銀行強盗の運び屋に誘い込まれていた。今度は重罪裁判所で禁固3年。

面会に来た妻に、出所したらきっと真面目に働くと伝えるが、妻は黙って去る。手紙が来て子どもが急死したが言えなかったと。手紙の往来が途絶える。やがて妻から新しい生活を始めると最後の手紙。自殺を図るが未遂に終る。


病院から戻された日にリュシアンが入所する。面倒見るから脱走しようと誘われるが断り、おまえを殺すと復讐を宣言する。やがて出所したイヴォンは当てもなく歩き出してホテルに泊まる。その夜ホテルの夫婦を殺して僅かな金を取る。

おもちゃ屋のショーウインドウを眺めていると、ふと行きがかりの老婦人と顔があう。あとをつけて行くと、婦人は年金らしいカネをおろして帰宅する。夜になってその家に入ってゆき食事をもらい、そのまま居続ける。
洗濯物を干すのを手伝ったり、木の実を摘み取って婦人と分け合ったりする優しさを持つ。犬もよくなつく。穏やかな日が何日か続いたある夜、イヴォンは凶行に及び一家全員を殺してしまう。
カフェで来合わせた警官に自首して捕らわれる。


○老婦人:
夫に先立たれ、横暴で酒好きな元ピアノ教師の義父の面倒を見る。妹夫婦と車いすのその息子が一つ屋根の下に暮らしている。
夜になって入ってきたイヴォンに食事を与えながら、人殺しをした理由を聞いたりしたあと、「私が神ならあなたを救うだろう」と言う。
同居の5人の日常の世話を黙々と続ける辛い日々について、イヴォンに奇蹟を待っているのかと聞かれ、何も期待していないと答える。
凶行の夜、電気スタンドの光に浮き上がった姿、イヴォンを見上げる顔にはいつもの穏やかさが。「カネはどこだ」振り下ろされる斧。血しぶきが壁に飛び散る。

【気になるシーン】
カフェでにせ札を指摘される場面。思わず相手を突き飛ばしたあとのカット。右手のクロースアップ。この意図は?労働者の手か。それともこの手が後に斧を振るう手だからか。



イヴォンの同房者は復讐など止して自分の幸せを考えろ、兎に角早く出所することを考えろと助言する。この同房者が映る最初のカットは向こう向きで後ろ手に小さな本のような物を持っているのを見せる。この意図は?
原作の第二部では福音書がでてくるが、ブレッソンのストーリーでは否定されてるみたいだし。

また、イヴォンは膝が悪いことがこの場面で観客に知らされる。同房者が膝を見てやっているときリュシアンからミサに出ろと呼び出しが伝えられる。行くな、と言われながらも、車いすを押してもらって行くイヴォン。ミサでは脱走を誘われるが断る。もし膝が悪くなければ誘いに乗ったのだろうか?

老婦人の家:
表道路をつと曲がると原っぱが広がっている。踏み跡のような小径があり、その先に小川があって小さな木の橋。渡ると家がある。まわりにはジャガイモの畑やら木立がある。
銀行強盗に誘われたときに見える道路地図はパリだったが、ここはどこだろう。郊外かな。
小川の流れで婦人は洗濯もするが、この小川は世の中と家の在処をわけ隔てている象徴なのか。能狂言の橋がかり的な位置取りが謎めいている。


老婦人が朝パンを買いに出ると、街角に車を停めた警官たちも買いに来ている。一見平和な風景だが・・・。捜索の手が伸びてきているということかも。

凶行の夜:石油ランプが登場する。なぜ懐中電灯ではないのか。よく考えればイヴォンは納屋から出てきたのだ。納屋には電気は引いていないだろう。で、石油ランプは当然の登場だ。納得。そのうえ凶行の夜家の中を動き回る場面に与える効果は抜群である。

イヴォンがカフェで自首したあとの場面。
カフェの客たちがいっせいに奥の部屋のほうをのぞき込む。イヴォンが警官に囲まれて出てくる。そのあと集まった客たちは誰もいなくなった奥の部屋をいつまでも見ている。まるでそこに何かがあるかのように。

【見終わって】
画面には心の動きなど一切明らかにはならない。映画の進行は場面の切り替わりとセリフだけで音楽もほとんどない。筋書きで分かるようにくらーい映画。

騙し、偽証、袖の下、口止め料、イヴォンの周辺で行なわれる金に操られる人々の光景が次々と、しかも淡々と繰り広げられる。刑務所では看守は適当に服役者となれ合っている。塀の中も外も同じようにカネが仲介する人間社会だ。

世の中カネで回っている。イヴォンは自分ではカネにつられない。でも人々が執着するカネのため自分を失うハメになる。もともとは潔白なのに。理不尽な世の中。犯罪は世の中が作る。人間が作る。人間の心が作る。

この映画には神も信仰も出てこない。刑務所でミサが行なわれるが、そこは闇取引の場所だ。イヴォンが自殺を図って病院に運ばれてゆくとき、房内で自殺者のために祈る一人がいた。先に死は怖いなとつぶやいていた男らしい。老婦人は自分が神ならイヴォンを救うとは言ったが自分も殺されてしまう。

最後のカットはカフェの群衆が無人の部屋をのぞき込んでいる。監督は空虚を見ているのですと語ったとの話が残っている。
いったいこの監督の問いかけは何なのだろう。
クレジットにはトルストイの小説「にせ利札」に発想を得たとなっている。「にせ利札」は二部作。第一部で映画同様の運びで犯罪が起きるが、第二部では人々が信仰に目覚め始める連鎖で世の中が救われる構造になっている。
ブレッソンは徹底して悪を描いて、第二部は切り捨てたかに見える。だが、同房者のセリフに第二部のテーマ、世の中の幸せが入っている。しかし、それは否定され、世の中よりも自分の幸せを望む、それもカネだ、との現代人の思想が表現される。だからトルストイのテーマは忘れられてはいない。
「にせ利札」では世の中の掟が守られていればみんなが幸せになれると人々が考えていた。現代にはその掟が破られカネが神に代わってのさばっている。こわごわ偽証したが何事も起こらなかったではないか。

この映画は、こんなことでよいのかというブレッソンの告発でしょう。最後のシーンで人々が何も見えない奥の部屋をいっせいに見ている。何も見えないのに見ている、いや、これは何かを求めている姿なのです。

【心に残ったさまざまのシーン、または疑問】
ドア口に迎える子どもの笑顔。はじめはみんなこんなものなのに。純真無垢。
このシーンは原作にはない.ブレッソンの工夫だろう。

殺されるときの老婦人の顔:
ジット見上げる穏やかな眼、やさしげな顔立ちが輝いているかのようにみえる。
トルストイの原作では、この顔に耐えがたくなって斧を振り下ろす。そして後々、いつまでもこの顔が脳裏に表われて殺人者を悩まし、改心のきっかけになる。だからブレッソンはこの場面をこのように演出したとわかる。


カメラ店主の涙:夫婦ともう一人がリュシアンのことを話している。
  慈善活動しているという噂。貧しい人を助けるんだと言ってるそうだ。あの子ならやるかも。
  あいつは悪党だ、法廷でもシャアシャアと偽証しやがった。

  リュシアンから手紙が届いている。小切手が同封されている。100.000の数字が読める。手紙  の文面。
  「あなたは僕に卑劣なことをさせた。でも僕はイヴォンにもっと卑劣なことをした。リュシアン」。

  手紙を読んだ店主は指で眼の下の涙を拭くように見えるが、泣いたのだろうか。どうして?   良心の発露?

イヴォンのショルダーバッグ。特徴的。茶色の左右一対。時にはバックだけで持ち主の存在を知らせる。左右に掛けているから遠景でも誰か見分けられる。便利な小道具だ。

酒飲みの義父がピアノを弾いている。J.S.バッハ、「半音階的幻想曲とフーガ BWV903」 音楽はこれだけ。

がっちり無駄なく運ばれる場面構成。分析してみるとなかなか興味深い。1983年カンヌ監督賞受賞。ロベール・ブレッソン、82歳当時の遺作、彼は1999年98歳で亡くなりました。


追記:日本語字幕に表示されるセリフは、アナログ放映のBS2とデジタル放映のBSプレミアムとでは相異があります。もとの原語セリフは同じであっても限られた時間内に一定数の文字を収めなくてはならない翻訳では内容が翻訳者の意向によって変わることはやむを得ないのでしょう。
この記事を書くにあたって両者を比較しながら進めましたが、悲しいかな原語が聞き取れないという障害のためブレッソン監督の意図などは正確に伝わっていないかもしれないことをお断りしておきます。BS2の字幕作者;斉藤敦子、BSプレミアム:大城哲郎となっていました。2014/6/6