2020年3月3日火曜日

懐かしい臼井吉見さん 『蛙のうた』

臼井吉見(1905 - 1987)。ちょっと調べたいことがあって図書館で借りた「現代日本文学大系 78」に、この人の文章もいくつか収められていた。
「酒と日本語と」と題された短い文があった。招集されて入隊した日、中隊の酒宴があり、酔っぱらった臼井少尉は中隊長の読み上げる「部隊長の統率方針」の条文の日本語をこきおろした。「積極的任務の遂行」という言い方はない、「任務の積極的遂行」というべきだとぶった。慌てた中隊長は大隊長にご注進したらしく、翌朝、条文改めの命令が出た。臼井は懲罰をくらうかと覚悟したが、部隊長付きを命じられて祐筆のような務めにまわされた。中隊はサイパン島で全滅したが、ひとり臼井は内地で生き残った。
最近知ったこのての話では、これで3人めである。堀田善衛と安岡章太郎は病気のため命拾いしたが、臼井は大好きな酒に救われた。運の強い人である。
8月15日は千葉の山で木こりの親分をしていた。玉音放送の後、ポツダム宣言について大まかに話した。あとで若い兵隊が質問した。「隊長殿、基本的人権の尊重というのは、犬や猫よりは、いくらかましな取扱いをするということでありますか?」(「伐木隊長」)

臼井は「短歌への訣別」を『展望』昭和21(1946)年5月号に発表した。彼は自分でも歌を詠む愛好家である。戦争中に多くの無名の兵隊たちが短歌や俳句の形式にすがって遺書を残した。自分を追いつめた軍国日本への愛情と恩義を短歌や俳句で表したり、死に直面した自分の命をこういう形で示したりしたことがあわれでならなかった。これを短歌や俳句がもつ根強い国民的性格形成力と考えた。
きっかけは戦後の短歌雑誌を開いて驚いたこと、無条件降伏の八月十五日が歌になっていたことである。大家とされる歌人が例外なく即座に、無造作に、やすやすと歌にしていた。全部が「玉音放送」にすがって、「うつつのみ声ききたてまつる」「み声の前に涙し流る」…などとやっている。しからば開戦の十二月八日はどうかとみるに、こちらでも「畏さきはまりただ涙をのむ」「涙かしこしおほみことのり降る」…。なんだ同じじゃないか、二つの日の感動は簡単なものでなかったはずだ。複雑な内心の動揺や不安、絶望、疑惑などなど入り混じった実に複雑なものだったはずが、歌人というのは手放しで「み声」に感泣する以外の感情を覚えなかったとは奇怪極まる存在である。俳句の場合は少し違うかもしれないがこれには触れなかったという。
とにかく短歌という認識の形式にたよっていては現実を合理的に、批判的に把握できない。これは日本人の知性の問題であるし、もとより自分一個のことではない、というのが臼井の考えていた内容だった。
こういう主張に天下の歌人という歌人が、横合いから言いがかりをつけられたと勘違いしたか、一斉に歯をむいて罵りを浴びせてきたと書いている。こういう攻撃が一斉に激しくなったのは半年後の11月に『世界』に発表された桑原武夫の「第二芸術――現代俳句について」が巻き起こした騒ぎに巻き添えを食ったからだそうである。臼井が吊るし上げられたのは翌22(1947)年だったそうだ。
桑原は、俳句が作品だけでは感銘が得られず、句作者の名前が添えられて初めて鑑賞者が優れた作品だと知る事ができる体のものならば、それは芸術の名に値しない、強いて言うなら第二芸術とでもいうがよい、というふうに論じた。桑原が試みた提示方法が奮っていた。有名無名の作者の俳句をとりまぜて15句並べて作者名を伏せた。そのうえで優劣の順位をつけ、また優劣に関わらずどれが名家の作か推測を試みよ、というものだった。
作者の名前で優劣順が決まるとなれば、作者は弟子の数や主宰誌の部数を競い、世間的勢力の大いさを争うようになる。第二芸術論は結社組織のバカらしさを指摘している。桑原はこれにおまけを付けた。「成年者が俳句を嗜むのはもとより自由として、国民学校、中等学校の教育からは、江戸音曲と同じように、俳諧的なものを閉め出してもらいたい」。阿諛と迎合しか知らない宗匠とその取り巻き連がざわめき立った。それが半年前の臼井の論に燃え移って、歌人どもが遅れ馳せに殺気立ってきた、と書かれてある。

今は昔、敗戦直後の日本の巷の貧しい文化戦争であったのだろうが、俳句も和歌も21世紀の今も盛んであり、週に一度の新聞1ページを選ばれた投稿が埋めている。とりわけ和歌は、なんと言っても、皇居で新年には「歌会始の儀」が催され、これは鎌倉時代にはじまるという。
臼井は尊敬する釈迢空に意見を求めている。釈は過去2回短歌滅亡論、実は再生論を考えていた。そのことばの中に、歌詠みは玄人意識を持ちすぎていて、それが禍いしている、というのがあった。時代が移って「サラダ記念日」。俵万智の第一歌集は1987年280万部のミリオンセラーズになった。口語短歌である。「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日。角川短歌賞で認められた俵の本は角川書店で発売されるべきだが、自らが俳人である社長の角川春樹が、短歌の本は売れないと判断したから河出書房のヒットになったというエピソードがある。いみじくも釋迢空の指摘通りクロウト筋が時代を読み誤ったかたちになった。
臼井氏は私の親の世代の人だが、編集者を本職とする彼の世間は広い。取り上げる題材は、今の人には響きにくいかもしれないが、私には魅力がある。
この本に取り上げられている題材は日本が米国の占領下にあった時代の社会、世相が背景または主題である。占領軍は米ソ冷戦下の米本国の意向にそって方針が変化しつつあり、政治・思想は政治犯釈放によっていわゆる左翼勢力が優勢になるとともにインテリと呼ばれる知識層が、不確かな海外情勢を宣伝し、それを未熟なメディアが知識を拡散した。ノンポリ大学生になった私にも、臼井氏がここに採り上げている基地反対ほか共産党や日教組などによる騒擾事件のいくつかは記憶にある。それらを明快に否定する臼井氏の筆は痛快でさえある。今やメディア媒体は紙から電子に変わって、玉石混交どころか若い世代は石を互いにぶつけあっている感もある。足許から見直す意味でもこの臼井氏のぶれない感覚は貴重だと思う。
読んだ本:
『現代日本文学大系 78 (中村光夫 唐木順三 臼井吉見 竹内好集)』(筑摩書房) 1971年
『蛙のうた』臼井吉見著 (筑摩書房) 1972年
(2020/3)