2018年5月6日日曜日

読書雑感 『風神雷神』

柳広司『風神雷神』風の章・雷の章 講談社 2017年

表題の「風神雷神」とは世に有名な美術工芸品の代名詞だ。本のカバー装画はまさにそれで、風の章と雷の章の各冊にそれぞれ金色の背景に鬼に擬した風神と雷神が描かれている。デザインの出典は国宝に指定されている二双の屏風で俵屋宗達が描いたとされる。本の発売時の帯に京都国立博物館開館120周年記念展覧会割引券付き!というラベルがついているのはご愛敬だ。図書館で借りた本なので、貼り付けられたカバーによって折角の表紙装画の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」が見ることができない。これらの作品も京都国立博物館にあるが、画像で見るだけならインターネットでいつでも見られる。
今回筆者はこの本を読みながら文中に登場する宗達ほかの美術品をネットの画像を参照して、二重に小説を楽しむことができた。
風神雷神図屏風 俵屋宗達
 俵屋宗達は江戸時代初期16世紀中ごろの人と考えられているが生年没年ともに不明だ。小説は秀吉が催した伏見醍醐寺の花見の宴で幕を開ける。多忙をきわめる裏方にあって独りぼーっと立っている若者伊年(いね)、扇屋「俵屋」の跡取り。このあと家康の世になり、時代の移ることざっと五十年、鎖国に至るまでの間の物語。伊年は天下の宗達となって最後の仕事「舞楽図屏風」を納めて逝く。遺されたのは無印無署名の「風神雷神図屏風」。華やかな催しを世々引き継いでいる醍醐寺の花見の宴のその日、ゆかりの女性三人が屏風絵を前にしてそれぞれの思いを語る場面で終わる。しゃれた構成だ。話もおもしろい。読む人をそらさない作品だった。

この作品は、『小説現代』に2016年11月号より2017年6月号まで連載された「風神雷神」に加筆修正されて刊行されたと後付けのページに書いてあった。文章が総体に軽くて読みやすいのはそのせいであろうし、またそうでなくては雑誌向けの用をなさない。マンガを読みなれている向きには、随所に出てくる用語の説明がうるさいと感じられるかもしれないが、筆者はこういう作者の親切をありがたいと思う。本作の主題は人物であるとともに美術工芸にかかわる物でもあるから、物についての知識を得てから人物に近づくのがほんとだろうが、娯楽として読む分には適当でいいともいえる。
たとえば、嵯峨本またの名を光悦本、あるいは角倉本についてはこう書かれている。
「主に木活字を用いた本朝初の本格的平仮名印刷出版物の一群を指して用いられる名称で、表紙には色変わり料紙、本文は具引きした上質の鳥の子紙に雲母摺りの下絵が施されているのが特徴だ。」
いまの時代この説明を読んで嵯峨本の実物がわかる人は少ないだろうが、目で見るだけならインターネットで画像を参照すればおおよそ見当がつく。鳥の子紙とか雲母摺りの用語も、大きな百科事典にはかなわないかもしれないがネットであらかたわかる。
幼い伊年は実家の唐織屋にいるころは作業場の隅で日がな一日着物の柄となる様々な図案・図版を紙切れに描いて飽きなかったという。扇屋の主人仁三郎が見込んだのは伊年の書く図案に扇絵に必要な配置の妙を見たからだそうだ。
ネットで「唐織」を検索して画像を見ると、当然様々な模様が見られる。それらを扇面に移そうとするなら、図案の向きやら切り方やら組み合わせやらを考えることになる。なるほどと納得する。長じた伊年は板戸や屏風の絵を手掛けるようになり、さらには絵巻物にも描いた。今度は小から大への転換だ。デザインするのは楽しかったろうと思う。
話を戻して嵯峨本だが、角倉与一(のち了以)、紙屋宗二(のち宗次)と伊年(のち宗達)の三人が光悦の依頼に挑戦した結果の産物だ。光悦の文字、宗二の紙、伊年の下絵(模様)に与一が印刷で格闘した。すべて材料は国産品で、純粋日本技術の粋ではないか。柳広司氏は淡々と書いているが、内容をよく吟味すると、すごいことを当時の人はしたものだと思う。その結果をもてはやして町衆が金に糸目をつけようがつけまいがそれは二の次。いまなら文化勲章だ。
日常生活で扇子を使う人は少なくなった。筆者の会社員時代、外回りをする営業担当者には夏の必需品だった。相手の社屋にはまだ冷房という言葉で呼ばれていたエアコンが効いていたとしても、お邪魔してしばらくは汗が引かない。扇子の出番だ。習慣で夏場はいつも持って歩いた。世紀が変わってからの欧州観光旅行、列車の中で扇子を使った。一行の中の女性に「落語家みたい」と笑われた。
筆者がいた会社、夏になると得意先に扇子を配った。京都の名の通ったお店の品だった。いまはそんなサービスは無駄になった。
落語家、能楽、舞踊、茶道などいまでも扇子が要る職業や芸事は多い。醍醐寺の場面、扇は手に持つことができる唯一の装飾品だったと柳氏は書く。主催者秀吉は招待客の女性に、二度衣装を替えることを要求した。招待客は千三百人、前田利家のほかはすべて女性なのだ。それぞれにおつきの女性が複数ついている。それがみな着物の柄に合わせた扇を持つ。だから扇屋は数千本の需要に合わせられる絵柄の扇を取り揃えて宴の場所に持ち込んだ。扇子を含めた衣装代は全部主催者持ちだったという。俵屋を筆頭に京都中の扇屋が集まったわけだ。えらいことをしてくれはりましたな太閤はん。
満開の桜の下、道筋に緋毛氈を敷いたところに狩野派描くところの金屏風がきらきらと輝くなどと書かれている。へぇ、屋外で屏風をねぇ。これも醍醐の花見の段であるが、外の風に当てると傷みが早いじゃないかと心配するのはやはりこっちが貧乏性のせいだろう。
狩野派は御用絵師。権力の保護の下でお城や屋敷、寺の襖絵など大きな画面の絵を手掛けた。この時代の絵は大体が模写であり、お手本のとおりに描くことを代々続けていたようだ。その範囲でのデザインの工夫がなされたということだろう。画題には奇抜さはありえなかっただろう。伊年も大きな画面に挑戦した。筆者が好きなのは養源院の杉戸に描いた絵だ。これなら怨霊を鎮める効果があったろう。白象と唐獅子、どちらも想像上の動物だが絵柄は面白い。材質として厄介な杉板に使える絵具と筆にも工夫した。できた!途中でずらかった狩野派の連中よ、見たか!とは書いてないが筆者は胸の内で快哉を叫んだ。実は実物をまだ拝見したことはない。京都に近く住んでいたころに知っていればなぁと慨嘆するばかりであります。
話が脱線気味なってきた。こんな風に筆者はこの小説を楽しんだということである。
養源院杉戸白象図 俵屋宗達
余談になるがネットで色々調べているうちに『週刊モーニング』に宗達が登場していることを知った。山田芳裕氏描くところの「へうげもの」は古田織部のことを書いているらしいが、そこに宗達も出てくるようだ。たまたま『風神雷神』が刊行されたと同じころにマンガの宗達が活躍するらしく思われるので、ひょっとして同じ講談社だからコラボ出版を狙ったのかと勘繰るわけである。もしそうであればかなりの発行部数を狙えるのではないかと。
というのは岩波文庫『仙境異聞・勝五郎再生記聞 』という本、著者はなんと平田篤胤だが、今年の2月から爆発的に売れ出したという。そのブームの火付けがツイッターらしいといわれているがよくわからない。もともと天狗の世界を見てきたという少年の話だから面白いのかもしれないが、それにしても今の人たちはどうなってんだろう。これもネット効果だ。
同じ岩波では『君たちはどう生きるか』がマガジンハウスでマンガ化されて発売されるとどちらも爆発的に売れ出した。
これ以上ここには書くつもりはないが、筆者が『風神雷神』をネットの知識で二重に楽しめたのとは別の様相で異種メディアが相互にコラボし始めた現象に注目したい。(2018/5)