2018年5月9日水曜日

読書雑感 ジョージ・オーウェル『ビルマの日々』

ジョージ・オーウェル『ビルマの日々』宮本靖介・土井一宏訳 晶文社 1984年 オーウェル小説コレクション2
訳者による解題に、この版は1980年に音羽書房から上梓された本邦初訳の翻訳の改訂版だとある。
原著"Burmese Days" 初版 Harper and Brothers, USA, New York, in October 25, 1934
1934年初版のカバー、扉紙に献辞があり、本名エリック・ブレアの署名がある
$55,000の値がついている
1922年からの5年間を帝国の警官としてビルマで過ごしたオーウェルではあったが、やっと20歳そこそこの青年の体験がそのまま小説になったわけではない。それにしても現地在住のイギリス人の描写はなるほどそうであったに違いないと思わせるようにうまくできている。しかし、植民地ならどこでも同じようなものだと言われれば、それもそうだなと思う。

この小説の時代のビルマは植民地インドの属州という二重隷属の立場にあった。そのせいで登場する現地在住のイギリス人の会話にもインド人とビルマ人との区別が混在している。
物語の大筋は、ビルマ人の治安判事が、刑務所長でもあるインド人の民間医師を失脚させようと企て、目的を達するために医師の友人である民間イギリス人をだしに使う。その計画が進行する過程で起きる在住イギリス人の間の葛藤や事件、また人間関係を描きながら植民地の状況を浮き出させる。
のちの評論で明確になるオーウェルの反帝国主義や当時理想とされた社会主義的な考え方が、登場人物の会話あるいは地の文に表現されるのがオーウェルらしい。小説にしてはすこしナマにすぎないかとも思える。
わたくしの好みから言えば筋書きの運びもさることながら、そこここに描かれる暮らしの背景やイギリス人たちの言動に興味が惹かれた。
現地人の服装についても、ロンジーとかパソーとかの衣装の名前を知ったが、かつてはビルマの人が着けているあれ、とか腰巻みたいなとか、呼び方を知らなくて歯がゆい思いをしたものだった。いまならネットで探せばすぐにわかることでも、あらためて教わると嬉しいものだ。

冒頭に、でっぷり太って立ち居振る舞いに下僕の手を借りなくてはならないような治安判事ウ・ポ・チンが屋敷内でロンジーを着けてキンマの葉を噛みながら昔を思い出している情景がある。1880年代のころ裸で太鼓腹の子供だった彼は、イギリス軍がマンダレーに行進してくるのを眺めていて怖くなった。大きな図体をした肉食人種、長いライフル銃、軍靴の響き。子供なりに自国民はこの巨大人種にとてもかなわないと分かった。そしてイギリス側に立って戦い、その寄生虫になることが子供のころの強い野望になった。
20歳のとき運よく恐喝で400ルピーの金が転がりこんだので、ラングーンへ行って政府の書記の地位を買った。国営店を私物化して収入を得る。これが当時の書記一般の生き方だったが、このあと下級役人に何人かが登用されるとの情報をつかんで仲間を密告して監獄送りにした。その報酬として地区助役に任命された。以来着実に昇進して、いま56歳。こういうワルが裏でいろいろ画策するのを上に立つイギリス人は見て見ぬふりだったのだろう。イギリス式統治法。
話の冒頭からこういう実情を明かして、言外にオーウェルは正義の味方に立つわけである。だから小説が講談になって安っぽくなった。

小説の舞台はビルマ奥地のチャウタダ、これは架空の地名であると解説にある。1910年、政府はこの町に鉄道の終点を置き、この地方の本拠地とした。裁判所、病院、学校、大監獄。いま人口4000人、うちインド人2300人、中国人100人余り、白人7名。付け足しのように書かれているのは混血児が二人いること。フランシス氏とサミュエル氏、一方はアメリカのバプティスト派の、もう一方はローマ・カトリック派の宣教師の息子だと。これがいいことか、いけないことか。ここにもオーウェルの皮肉が含まれているのかもと考えたりする。いずれにしろ、この二人はイギリス人からは白人とみられていない。本人たちはキリスト教徒だと喜んでいる。
その白人の集まるクラブが町の中心にある。木造の平屋づくりだ。朝早くから男どもが談話室に集まってくるが談笑しているという雰囲気ではない。とりわけこの朝は皆がぎこちない気分だ。
原因はヨーロッパ人に限るという会員規則が破られそうになったからだ。このころ、よその土地のクラブは次第に現地人を会員に迎えるように変わってきていた。副総弁務官でありクラブの名誉幹事をしているマグレガー氏が掲示板に通知書を出したのだ。人種差別主義者のエリス氏が怒ってほかの会員を煽っている。
それはそれとして、皆がみな、入ってくると、氷が溶けてしまわないうちに一杯やろうなどと言う。
氷は2週に一度来るそうだ。ウイスキー、ジン、ビール…。泥酔してテーブルに突っ伏しているラッカースティーン氏は材木商の支店長。ブランデーをくれとわめく。
酔っぱらうのは自由だけれど、どうして朝早くから酒を飲むのか。昼間は飲むべからずとの町の掟があるというのに。マグレガー氏だけはそれを守ってレモンスカッシュを飲む。
彼らは一通りの話が終わるとめいめい自宅に戻って朝食をとる。そのころには陽が高くなって暑さもいよいよ耐え難くなっている。
この時代、冷房装置はない。そのかわりに椰子の葉の揺りうちわが緩く動いて生暖かい空気を動かしている。外でボーイが綱を引いて動かしているのだ。たしか映画『インドへの道』の裁判所の場面で似たような風送り装置を見た。
クラブならコーヒーも紅茶もあろうにどうして酒なのか。水さえも飲まないのは衛生上の問題かもしれない。
「ボーイ長、氷がとけぬうちにビールを少し持ってこい」、そのうちエリスも皆とならんテーブルに向かい、冷たいビール瓶をなでまわしていたーーこういう表現から推理すると、氷でビール瓶を冷やしている、溶けた氷の水はそのまま流れてしまう、と判断できる。水はどうなのか。そのまま飲めない可能性が大きい。
たとえビールでも水分補給の足しにはならないと今どきの保健知識は教えてくれるが、この人たちはまだそんな知識は持ち合わせていなくてもやむをえない。

木材会社員フローリー、35歳の動きが物語を作る。左目から頬にかけての三日月形の大きな黒い痣が精神の平衡を邪魔している。生まれながらの不運で、そのことでずいぶん虐められながら育った。独り者で丘の上に家があり、黒いスパニエル種の犬フローがいつもお供している。ビルマ在住はすでに15年になる。従僕コ・スラが世話をしている。若い地元の女がいつも出入りしている。
木材会社の務めは、3週間ほど密林中の野営地で過ごしては町に戻って休養することの繰り返しだ。どちらにいても暑くて汗まみれの生活に変わりはない。24歳になるとき大戦がはじまったが、ビルマの生活に慣れてしまって、いまさら退屈な軍隊に入ることは避けていた。いつの間にか孤独と精神の堕落が始まっているのに気が付かなかった。ウイスキーと召使とビルマの女に明け暮れる生活と軍隊とを取り換える気にはならなかった。
その一方で読書に取りつかれ、自分でものを考え始めてもいた。遊び暮らして育ってきた頭脳が遅れて発達した挙句に帝国主義的雰囲気に対する憎悪の念が深まってきた。すでに間違った生活様式にはまり込んでしまった身にとっては悲劇である。イギリス人と大英帝国の本当の姿が今頃わかったのだ。周りの白人全体が専制機構の歯車になってしまった中で、現地人との友情をはぐくむことは勇気が要った。優柔不断の臆病者になってしまっているフローリーには顔の痣が邪魔になった。反論しようとすると痣にまつわる惨めさが思い出されて口ごもってしまう。こうしてインド人の医師ベラスワミとの友情を仕上げることができずにいるままにウ・ポ・チンの仕掛ける罠にかかってゆく。

ある程度答えがわかっている小説だからほめそやすほどには面白くない。繰り返すようだがオーウェルらしい話だといえよう。彼は「まことの紳士」という言葉を使っている。専制政治の手先で犯すべからざる一連のタブーによって、僧侶や未開人以上に強く縛られているイギリス人たちのことだ。個の自由がないのだ。対するにフローリーのように自分を偽り慰めながら不毛の世界で生きるのを「立派な紳士」という。イギリス贔屓のベラスワミの造語だ。フローリーは帰国のチャンスを偶然に取り逃がしたために「立派な紳士」のままで破滅した。

アジア地域における英国植民地の実態といえばそれまでだけれども、時代が進んだ現在から見返してみれば、同時に当時の日本の姿勢も問われなくてはならないかもしれない。ベラスワミの会話の中にイギリス人がいなくなればビルマの森林はすぐ日本人に売り渡されて荒れるでしょうとあったりするのだ。他人事のような気持ちで読んでいたのが、急にわが身のことに話の矛先が変わる感じ。よく考えれば1930年代といえばすでに昭和も5歳、大日本帝国と称していたが老成王国英国に比べれば、根付きも浅い、つまり後背地としての社会の成熟度がちがう。しかしやがて本当に日本人がビルマにやってきたのだった。結末は惨憺たる事になりはしたが。

パリで孤児となり受け継いだ資産も乏しい22歳の姪がラッカースティーン夫妻の保護を求めてチャウタダにやってくる。エリザベスの行く末を心配して、ジェーン・オースティン描く女性たちと同じように、早いとこ資産か年金のある男性を掴まないとみじめな暮らしに陥るだろうと読者は心配するかもしれない。だが時代を錯覚してはいけない。英国には熟した18世紀来の空気が社会の澱のようになって遺っていたから三世代ほどの考え方が混然として世の中をつくっている。本国の社会から取り残されたような植民地だからこそラッカースティーン夫人の旧い生き方が通用していた。大英帝国といえども時間を留めているわけにはいかない。もはや世界は強国の取り合いの時代に入っていたし、国内の女性社会も変化しつつあったはずだ。
エリザベスのエピソードはオーウェルにとっては植民地点描のためには便利な材料として有用だった。単純な小説のように見えて、ここはうまく書けているのでないか。突然のようにインド人の口から日本人という言葉がとび出てきてびっくりした結果こんなことまで考えてしまった。
はじめに紹介しているように初版はイギリスではなくアメリカで出版されている。理由は『動物農場』と同様で、植民地経営を擁護する立場からの批判を避けたためだと解説されている。結局本国での出版は翌年になった。(2018/5)