2018年4月30日月曜日

『動物農場』でジョージ・オーウェルを読んだ

ジョージ・オーウェル『動物農場――おとぎばなし』川端康雄訳 岩波文庫(2009)
ジョージ・オーウェル『動物農場』〔新訳版〕山形浩生訳 ハヤカワepi文庫(2017)
原著 "Animal Farm: A Fairy Story" (1945)
初版のカバー


ジョージ・オーウェル、ジャーナリスト・作家、は1903年旧英領インドに生まれた。本名エリック・アーサー・ブレア。インド植民地の官吏だった父親の退職後、英国に戻っての生活は裕福ではなかったが、奨学金を得てイートン校を卒業した。ビルマの警察に職を得たが帝国主義になじまず中途退職した。作家を目指しながら低階層の暮らしに関心をもった。1936年結婚とほぼ同時にスペイン内戦が勃発、夫婦で人民戦線に参加して、戦線で喉を撃ち抜かれる重傷を負って後送された。外国人が普通参加する国際旅団ではなく偶然の事情からPOUM義勇軍に加わったのだったが、共産党がトロッキストの弾圧をはじめた。ロシアではスターリンの大粛清が始まっていたのだ。POUMはトロッキスト側だったのでオーウェルたちはたちまち追われる身になり、逮捕されれば銃殺という危険の中をなんとか脱出できた。
帰国してみるとロンドンではソヴィエト・ロシアの評判が、それまでに聞き知った実情と全く違って政府も市民もほぼ賛美一色であることに驚いた。ロシアは社会主義どころか悲惨な階層社会に変貌しつつあったのに、そういうことが英国では全く理解されずにもっぱら社会主義礼賛だった。このことに危機感を抱いたオーウェルはどうにかしてロシアの実情を伝えたいと考え、その方法として、誰にでも簡単に理解できて他国語にも簡単に翻訳できる物語を書くことを思いついた。こうして書き上げられたのが『動物農場』のおとぎばなしである。
続いて全体主義批判の1949年『1984』が出版され、この二作が冷戦後の世界でもてはやされた。ほかにエッセイや評論が多数あり、徹底して平等な人間愛を追求するのが執筆の狙いにある。このことで社会主義者だとされることもあるが、言葉の定義と意味を大事にする本人は納得しないかもしれない。1950年に永眠した。享年46歳。

荘園農場の経営者ジョーンズさんは不運も重なってすっかりやる気を失い飲んだくれている。わずかな従業員の規律も乱れて日々の作業はいい加減にすまされ、動物たちの世話も行き届かない。こういう状況の中で死期を間近に控えたブタの老メイジャーが自分たちのおかれた境遇についてあるべき姿を動物たちに説く。やがてメイジャーは亡くなるが動物たちの間には聞かされた思想が定着し、ある日偶然のことから一斉に蜂起して人間が追放される。賢いブタの一群によって農場が経営されるように変わる。
荘園農場は動物農場と名を変え、経営理念は動物主義である。強いオスブタ二匹がやがて主導権を争い、敗れたスノーボールが追放され、ナポレオンが君臨してブタの一群が支配階層になる体制に移る。ほかの動物達は、よく理解できないままに従う側になってゆく。時とともに権力側に奢りがでてきたり、追放や見せしめの処刑などがくりかえされる。そういう様子がおとぎばなしの言葉で語られる。

この物語はここを読めとばかりに著者が用意してくれたのは経営理念を標榜する七つの戒律だ。1.二本足で立つ者は全て敵 2.四本足で立つか、翼のある者は友、にはじまり、酒を飲んではいけない、他の動物を殺してはいけないなどと続く。この七戒が壁に大きく張り出されるのであるが、時がすぎてある時気がつくと、なにか違う感じがする。罪を犯したとされて殺されるものがでたり、ブタがビールを飲むようになる。ヘンじゃないかと疑問を出すとブタの宣伝係が言葉巧みに説明する。「理由なしに」殺してはいけない、「過剰に」飲んではいけない、とそれぞれつじつまが合うではないか。いつの間にやらところどころ書き換えられるのだ。そんなはずはないがと思い返してみても、字が読めなかったり記憶力が弱かったりして反論ができず宣伝係にうまく言いくるめられる。そういうことだったのだと自分の記憶に自信がなくなって思い直したり、自分を納得させたりですませる。
こんな風にして老メイジャーが言い遺した理想の社会はいつのまにやら格差社会へと変わってしまう。あの壁に書かれた七戒は最後にどうなっていたか。

  いまや戒律はたった一つしかありませんでした。それはこう書かれていたのです。
   すべての動物は平等である。
   しかしある動物はほかの動物よリも もっと平等である。
 (岩波文庫 川端康雄訳)

二行目が書き足されている(筆者注:「もっと平等」の英語は"more equal")。はて、平等に比較級はないはずだ。平等か平等でないかのどちらかしかない。二行目を付け加えることでブタたちは平等という言葉の意味をなくしてしまった。著者の意図は明らかだ。戒律の中身は空っぽであり、社会正義などは実現しないのだ。

このくだりを読んでいると、わが国の教育基本法改正やら、目下の憲法改正論議、さらには改竄隠蔽問題などを連想する。条文に何らかの語句を付け加えてもっともらしい論議を誘う姿勢には本能的に警戒したくなる。教育基本法を改正した結果が上から目線の「道徳」科目の導入に進んだのではなかったか。憲法では「個人」が「人」に置き換えられたらどうなるか、「人」は一般を指す言葉、個々別々の主体は消えてしまう。「公共の福祉」が「公益と公の秩序」に変われば何が違うか。字句の置き換えで何かがごまかされようとしている。
動物農場では七戒の改竄は、字が読めない、覚えられないなど動物らしい理由のためにごまかしが通用するように書かれているが、人間世界では多数決の強弁、強行採決など無法がまかり通る。反対の言挙げをしなければ負けるのだ。

作家の柳広司氏が『図書』4月号に書いている。「デストピア小説の普遍性――ジョージ・オーウェル『動物農場』」。デストピアという言葉に私は馴染みがなかったが、ユートピアの逆を意味する。(筆者注:デストピアは英語のdystopiaの日本語表記であるが、ディストピアを使う人もいて表記が一定しない。ほかに死を意味する英語deathと懸けてデストピアを使った漫画やロック音楽がウィキペディアに出ている。)
デストピア小説には『ガリヴァー旅行記』やカフカ『審判』ほかたくさんある、不安な未来社会や進んだ思考がもたらす非人間的な社会を描くような作をいうが、きわめつきのオーウェル『1984』は最近特に引き合いに出される。トランプ大統領登場のときには馬鹿売れしたとかいう話もあった。
柳氏は「優れたデストピア小説は時代を超え、地域や社会の特殊性を超えた普遍性をもつ――」とは古来言い古されてきた格言だと書いている。『動物農場』を読みながら昨今の日本の状況を思い浮かべるのもその普遍性の故だ。

柳氏はオーウェルが掲げる命題として「政治の堕落と言語の堕落は不可分に結びついている」を挙げる。言葉でメシを食っている小説家として、いまの政治に一言呈するとして「フクシマ後の原発を『重要なベースロード電源』と意味不明な言葉で定義づけ、『アベノミクスの成果』を『トリクルダウン』と言って恥じない政治言語」は腐っていると切り捨てる。この柳氏の文章が原稿の段階を過ぎて掲載された『図書』が発売されたころには腐った政治が改竄や記録廃棄の問題で記憶と格闘している。「個人の記憶はいともたやすく書き換えられる。記録が隠蔽・破棄され、権力者が強弁し続ければ、集団の記憶もまた容易に書き換えられるということだ。」
この論考は、『動物農場』はまさに自分たちの物語として読み返すべき時機に来ていると主張する。

今回参照した『動物農場』は岩波文庫と早川epi文庫の二冊であるが、どちらにも原著初版に採用されなかった「序文」と、「ウクライナ語版のための序文」の二編が併せておさめられている。
前者の「序文」には”The Freedom of the Press"との表題があり、岩波版では「出版の自由」、早川版には「報道の自由」と訳されている。この序文の表題が意味するところは、本文の出版が困難であった経緯の背景にある英国社会の世論とメディアの姿勢について批判をして自由を擁護しようとするものである。
冒頭に四つの出版社に断られた事実を述べ、うち一社は一旦は応諾しておきながら情報省の高官に相談した結果非協力だったことを明らかにしている。引用された出版社の社長が寄越した手紙には、おとぎばなしの標的がどこかの独裁国を描いたものでなく、ロシア・ソヴィエトとその二人の独裁者が歩んだ道筋と寸分たがわぬものであることから、ロシアにしか当てはまらないこと、支配階層にブタが選ばれたことは血の気の多いロシア人を怒らせるであろうことが、出版の軽率さのそしりを免れないだろうから協力できない旨が述べられている。
このことを取り上げて、オーウェルは英国社会の世論動向をうかがう姿勢の出版業界の非をとなえる。一国の存亡を懸けて第二次大戦を戦った英国は独ソ戦に勝利した同盟国ソ連に負うところが大きかっただけに、国民あげてソ連礼賛の声が高かったし、官民ともにロシアの宣伝を鵜呑みにする傾向があった。対するにオーウエルはスペイン内戦に参加した体験からも全体主義の怖さが身にしみてわかっている。自分たちの生活環境からは決してソ連の内情を想像すらできない英国民には自由を守るための警告を強く発しなくてはいけないとの思いだったろう。

1945年8月17日にロンドンで刊行された『動物農場』初版4500部はたちまちのうちに売り切れた。折からの紙不足で増刷は遅れたが11月に2刷1万部が出された。以後今日に至るまで版が途切れたことはないとのことだ(岩波版解説)。世論に押された出版拒否にあって著者が大いに憤慨したロンドンでの大ヒット、潮目が変わっていたのだ。発売日は、日本がポツダム宣言を受諾した8月15日の二日後であって、もはや戦後である。大戦終盤からの冷戦の余波が反ソ連の風潮を引き出した形であるが、世の中の動向というものの力は恐ろしい。ちなみに「冷戦」はオーウェルが考案した用語だとある(早川版山形氏)。
この序文が初版の印刷から除外された理由は定かでないが、タイプ原稿が1972年に発見された。原稿末尾にインクで1943年11月――1944年2月と執筆の時期が加筆されてあった。このことはオーウェルにとって重要だ。執筆がこの期間であることを明示することで、決して東西陣営の対立が始まった戦後になってからのことでないと示したかったのだ(岩波版解説)。

「ウクライナ語版のための序文」には著者オーウェル自身のかなり詳しい生い立ちと執筆意図が述べられている。スペインから逃れてイギリスに戻ってみると、分別もあって情報通でもあるはずの知識層がモスクワ筋の報道を頭から信じ込んでいることに驚く。このときの体験で全体主義のプロパガンダが、民主主義の国々の進歩的な人々の考え方をいかにやすやすと支配してしまえるかを思い知ったと書いている。また、ソ連が階層社会に変貌しつつある兆候に衝撃を受けて、英国の社会主義運動がソ連に抱いている幻想を打ち壊す必要を感じる。その方法として誰にでも簡単に理解できて、多国語に簡単に翻訳できるような物語のかたちでソヴィエト神話を暴露することを思いついた。作品を読み終えたとき、ブタと人間がすっかり和解して終わるという読後感を持つ人が多くいるかもしれない。それは著者の説明不足のためであって本意ではない。それどころか大きな不協和音で終えたつもりなのである。おおむねこうしたことが述べられている。

ウクライナ語版というのはソ連圏のウクライナではなく、米軍による占領下ドイツのミュンヘンにあった難民キャンプで1947年11月に刊行・頒布されたものと解説にある。ハーヴァード大学文学教授のアイハー・シェフチェンコが翻訳して序文を求めてきたという。この難民というのは10月革命で一時は体制を支持したものの、のちにスターリン主義とロシア人による搾取に異を唱えた集団だそうである。川端氏の注釈には、オーウェルがケストラーにあてた手紙に、米軍が1500部没収してソ連に引き渡したそうだと述べ、それでも2千部ほどは難民に渡ったらしいと書いてきたとある。このあたりの事情は資料がないので全くわからない。
余談になるが、以下早川版訳者あとがきによる。『動物農場』の出版計画は、はじめアメリカでも芳しくなかったが、冷戦と戦後の社会主義運動の盛り上がりが欧米諸国に危機感を呼んで、『動物農場』と『1984』が反共メッセージとして利用された。アメリカは『動物農場』の翻訳と出版に資金援助を行った。初の日本語訳は1949年大阪教育図書刊行の永島啓輔氏による版で、GHQによる外国文献翻訳禁止の解禁第1号だったという。スターリンが死んだのは昭和28年。このころのことは全部「昭和」で覚えているのはなぜだろう。学生だったがオーウェルなんて知らなかった。(2018/4)