最近東京オリンピックのおもてなし準備に通訳機として小型の機器がテレビのニュースなどで紹介されている。日本語を吹き込むと外国語の音声が出る、あるいはその逆。テキスト表記も出来るように機能説明があるが英文字だけだろうか。
NHKテレビで私が見たのは多分ボイストラ(VoiceTra)というスマホ用のアプリだろう。NICTと略称される国立研究機構が開発したAI技術を使っている27言語対応のプログラムだ。このアプリは無料でダウンロードして利用できる。
http://voicetra.nict.go.jp/
民間ではソースネクスト社が通訳機「ポケトーク(POCKETALK)」を発売している。63言語対応で、アプリではなく小型機器のセットである。音声と表記の両方の機能がある。
http://www.sourcenext.com/product/pocketalk/
パソコンではグーグルの自動翻訳が古いが、かなりの精度まで向上してきた。グーグルのは検索機能を発展させた技術だと思うが、要するに大量データの利用だ。翻訳の精度が良くなってきたのは、探索する範囲と量が増えたために使われる目的に沿った言葉が見つけやすくなったということだろう。だからこれからもますます良くなると期待される。ボイストラも無料で開放されるアプリで沢山の人が利用すればそれだけ精度も上がるというわけだ。
そのNITCのサイトに私にとって見逃せない成果が紹介されている。
上に紹介したURL記事の末尾に関連アプリが3点記載されている。
うち2点が聴覚障害者支援アプリなのだ。SpeechCanvas®と「こえとら」、特に前者は早速使ってみようと思う。これは電話ではないが会話の現場で私が困惑する事態を救ってくれるだろうと期待する。3つ目は自動翻訳の実験である。これも英語の勉強に使えると考えると楽しくなる。
http://speechcanvas.jp/
http://www.koetra.jp/
(3つ目の自動翻訳はTexTraで検索できる。この記事を書いているときはたまたまメンテナンスで参照できなかったので省略する。VoiceTraサポートページ末尾アイコンから起動されたい)
こうしていろいろ知ってみると、「みえる電話」アプリが広く使えるようになるのはそれほど遠くないように感じられる。ドコモだけが独占できる技術ではないかもしれない。オリンピックだとか、観光だとか華やかなイベントにはパラリンピックとかバリアフリーだとか身体的な障害に気を配らなくてはならない事柄がたくさんある。コミュニケーション障害を乗り越えるために使われる技術もいよいよ広く深くなることだろう。翻訳は考えようによっては一種の言語障害への対応策だ。リハビリのように訓練によって改善できるかもしれないし、支援器具も使える。コミュニケーション支援技術はおおいに発展してもらいたいものだ。
つぎにちょっと気になったことから考えたことを述べる。
上例とは別のサイトのポケトークの広告に次のような文があった。長い文章も翻訳できるという課題例である。
「残念ながら予約をキャンセルしないとならないのですが、キャンセル料がいくらになるか教えてもらえますか?」
この例文に対する翻訳文は表示されていない。例文の前節の意味は日本人ならわからなくはないが、なにかヘンだと感じる人が多いのではなかろうか。これを間違いだとあげつらうつもりはない。これが普通だと思って使う人もいるのだろうし、この文を作った人は日本人でないかもしれない。ここにもし課題に答える翻訳文が示されて対話が成立するならば、例文は普通に通用する日本文だと認められることになる。例文が規準からはみ出した文なら翻訳機能が働かないはずだ。文法規準や統語機能が一定の標準枠内に収まることで翻訳機能が働くように設計されるのが通常だと思う。
人間なら話し手が多少言い間違いをしても、聞くほうが人間であれば話し手の意図を察することで文の構造上の欠陥を補って理解しようとする。もし、その理解が話し手の意図と違うなら、そこに気がついた話し手は前の発言を訂正することで聞き手の理解を正すことが出来る。けれども翻訳機の構造は人間とは異なる。ここに課題とされた例文は人間がつくって人間に読ませるための画面に表示された像であって、その実際は日本語の文を細かく分解して電子的に組み上げられた電気信号の羅列にすぎない。普通に通用しない日本語文はこの段階ですでに拒否される信号なのかもしれないし、あるいはその信号を受け入れる側の仕組みにしたがって拒否されるだろう。このように考えると、なにかヘンだと感じられる課題文は拒否されるような翻訳機がのぞましい(?)ことになろう(規制のゆるい翻訳機が意図的に作られる可能性もある)。
言葉は時代とともに少しずつ使われ方が変わってくるにしても、ある時期には一定の枠のような社会的な規範があると考えられる。世代を通じて自然な言い方が伝えられるのだと思う。たまたま目についたのが上に示した翻訳例文であるが、これが一般的な言い方ではないなら翻訳を拒否する翻訳機があってよいと私は考える。翻訳機を利用して言葉のうわついた変化を防げるだろう。ひととき盛んに論議された「ラ抜きことば」もなんとはなしのうちにある方向に収斂していっているように思える。専門家のうちには口の構造、発音構造から見てラ抜きに進むのは合理的という意見もあったらしい。そうであるなら自然のままにおいてよいということだろう。
実は上に紹介したボイストラ(VoiceTra)で日本式の発音で吹き込み実験した方がブログに報告されているのを読んだが、英語話者に近い発音でない場合婉曲に通訳拒否される例が出ていた。http://gengo21.com/archives/3326
この筆者はこのことから翻訳機は言語教育に使えるとされていたが、私も外国人の日本語教育に使えばどうかなと考えている。それどころか作業現場での実地に使えば教科書の代わりになる。むかし、様々な現場に対応できる日本語教育をどうするか頭を悩ましたことを思い出して時代は変わってきたなとの思いが深い。(2018/4)