ある時パソコン上のネットで偶然「みえる電話」という記事を見かけた。NTTドコモが開発したアプリで電話の会話が文字化されて交信できるのだという。難聴のため声は聞こえても言葉の聞き取りがむずかしい私にとって文字通り耳よりの話だ。動画によるサービス紹介とデモンスト―レーションがある。双方の声をほぼリアルタイムで文字化してスマホ画面で見られることと、発声に問題ある人は文字入力してシステムが音声化して相手に伝えることも出来る。
私は知らなかったが2016年からモニターを募集してのトライアルサービスが続いている。「みえる電話」アプリをインストールして使うが、モニターに認定されるとアプリが無料で使える。市中のドコモ店では扱っていない。
https://www.nttdocomo.co.jp/service/mieru_denwa/index.html
すぐにでも利用したい思いであったが、モニターになるにはドコモと契約があってアンケートに答えるという条件がある。あいにく当方はドコモのスマホは使っていないので契約を切り換えなくてはならない。となると、機器代金の他に2年縛りや番号持ち越しなどでそれなりにお金がかかる。出費は覚悟するとしてそれに見合う利得はどうか。
近頃の私は聞こえが悪いためにおのずから電話を避けている。固定電話にかかってくる用件は妻に一切任せているし、自分の格安スマホで電話をかける機会はめったにない。かつて電話でよくやり取りした相手はもう彼岸に渡ったり、私と話すことを諦めたりして掛けては来ない。よくよくの場合にやむなく電話で話すことはないことはないだろうが、いつのことやら・・・。結局、得失を考えれば、契約の切り換え条件の良い時期を待ってもよかろう。
というわけで、メールでの問い合わせに間を置かず親切に応対説明してくれた運営事務局には感謝するが、ここはひとまず時機待ちとすることにした。
ところで、最近東京オリンピックのおもてなし準備に通訳機としてスマホ(のような機器)がテレビのニュースで紹介されている。日本語を吹き込むと画面に外国語が出る、あるいはその逆。また、ネットでは各国語用の通訳機が宣伝されている。これら商品も交信に音声だけでなく文字化機能がついているようである。ネット上ではかなり前からの機械翻訳が年々機能を向上しているようだ。
稼ぐ仕事、儲ける目的、集客の目標などにはこの種の機器は利益が共有されるから自然に発達する。「みえる電話」もドコモの専売ではなくなる日も遠くなさそうに思えるが、こちらの需要は難聴者や聾者に限られるなら普及は遅いだろう。というのは日本に特徴的な現象として、補聴器でさえ利用者は必要とする人に比べて使用率が低い。補聴器工業会による例示では自分が難聴と考える人は人口の13%程度と欧米と大差はないが、そのうち補聴器を使っている人の割合は11%ほどで欧米の三分の一から四分の一だそうである。理由は、自分の耳に合うように徹底的に調整を繰り返す必要があることを使用者が理解していないこと、それに対して販売側が売りっぱなしに終わっていることが一番の問題だろう。これは使用者の満足度を示す数値でも欧米の80%前後に対して日本では30%程度に留まっていることからでも分かる。機器の値段にしても2、3万円から4、50万円と精度に応じて開きがあるが、公的支援制度も利用価値が感じられないほど低額のうえ固定的で技術の進歩に見合っていない。したがって利用されないから知られていないことにつながっている。だから結論的には補聴器は役に立たないというイメージが一般化している。
このような地盤の上に最近急激に増えている高齢化現象では、75歳以上で急激に難聴者が増えている。難聴になると人は自然に周囲から孤立する傾向が目立ち、極端に言えば補聴器はいらない、一人住まいには耳が聞こえなくても構わないなどと考える状態になる。これも補聴器が普及しない大きな要因になっているだろう。人々はもっと自分の聴力に敏感になってほしいものだ。
値段が高いから普及しないという説もあるけれど、メガネを誂えるよりも抵抗が大きいのはなぜだろうか。20歳すぎれば人の聴力は落ち始めるといわれる。老眼に気が付かないでいて眼鏡屋さんにちょっとこれかけてみてと云われて、見え方の違いにびっくりするのが普通であるが、耳の場合も補聴器を試してみてやはり驚くのである。会話に不自由なくらい聞こえが悪くなれば補聴器の助けを借りるほうが身体のためにも合理的である。背後や左右に対する感覚を保つことは身の安全に通じる。健常者は耳の存在を普段意識しないのだろうと聞こえが悪くなった今ごろになって気がついた。
「みえる電話」の需要が大きくなるよう願っている。(2018/4)