2015年9月19日土曜日

随想 『阿川弘之全集』から

野ざらし

阿川弘之さんの全集を借りてきて拾い読みをしていた。あるエッセイに「野ざらし」という題が付いている。内容には「軍艦長門の生涯」を読みながらちょっと気になった人物のことが出ている。興味深くその小編を読み終えたが、「野ざらし」に関係する話はなにもない。私が「野ざらし」という言葉を聞いてすぐ思い出すのは落語の外題である。釣りに出かけて河原に転がっているサレコウベを見つけて供養してやる噺である。阿川さんも落語が好きだと私は勝手に決めつけていたから、きっとそうにちがいないと思いながら本を閉じた。別の日にその話題を文章にしようと考えて全集を繰ってみたがない。目次にも出ていない。いつも同時に何冊かの本を引っ張りだす癖と、近頃忘却力が凄まじく身についてきたことから、他の本を探したりして見つけるのに苦労した。最後は再び全集に戻って端から頁を繰ってやっと見つかった。目次の「あくび指南書」という表題の章に含まれる一遍が「野ざらし」であった。昭和56ー56年、1年間の新聞連載の話題が『あくび指南書』の表題で単行本にまとめられている(昭和56年4月毎日新聞社)。全集収録はその中からの自選21篇である。
そこでとりあえず、「あくび指南書」の章をはじめから読んでみる。はじめは「粗忽の使者」、これが絶妙に面白い。落語の台本にちかい。ご本人は古典落語が好きだから、連載の随筆のネタに落語の題をにらみながら、書くことを何か思いつこうという算段だった。そそっかしい人物に見立てた新聞社の担当者を相手に、こういう心づもりをしたのだと明かしている。これで著者の魂胆が判明したので、あらためて「野ざらし」に戻る。

折角録っておいたから見ろと息子さんがすすめるビデオをいやいや見る場面で始まる。戦争末期の「日本ニュース」、特攻隊出撃の場面である。本当は見たくないのだが、再生ボタンを押したら、果たして映像が現れると同時に不愉快になった。
息子さんと同じ年頃の若者たちが、敬礼をして飛行機の方へ駆けて行って、機上から手を振って次々と離陸してゆく。
運がよければ手柄をたてて生還出来るといふのと、出たら必ず死んでしまふといふのとでは、同じ「決死の覚悟」でもまるきりちがふ。彼らに「帰りの飛行」は無く、あとで分かったことだが見るべき戦果も亦ほとんど無かった。
涙が出て来た。ニュース映画のカメラマンがフィルムに収め、三十五年後それがテレビで放映されたのをもう一度ビデオに収めた二重三重のうつし絵であるけれども、文字とちがってあまりに生々しく、あまりに残酷で悲しく腹立たしい。
「馬鹿。お前が先に死ね。陸式の馬鹿。気に入らん」
「笑ふな、馬鹿。お前早く死ねったら」
著者は涙を流しながらブラウン管に罵っている。出撃の将兵に毒づいているのではない。画面に富永恭次中将の姿が映っているのだ。軍刀を下げ、口もとに豪傑風の笑みを浮かべ、襲撃直前の特攻隊員を激励してまわっている。

阿川弘之入門(その2)に書いておいたが、富永中将というのはキスカ守備隊が海軍側の要請で小銃を海へ投棄し、霧にまぎれて救出艦隊に急遽乗艦、全員奇蹟の内地生還をした際、「いやしくも御紋章のついた銃を海へ棄てて来るとは何ごとか」と激怒した人である。当時東條陸軍大臣(兼総理)の次官であった。


東條辞任後、第四航空軍司令官として、特攻隊を送り出す立場に立った。「死んでも武器を離すな」の富永中将にとって、必至必殺の特攻作戦は我が意を得たものだったかも知れないが、「そんならお前はどう身を処した。笑ふな。笑ひごとぢゃない。お前が先に死んでしまやいいんだ」
陸軍を罵ってゐるうちに軍艦マーチが鳴り出し、画面が変わって、また一人気に入らないのがあらはれた。海軍の神風特別攻撃隊を、第十三航空艦隊司令長官福留繁中将が見送ってゐる。福留中将はフィリピンで一度捕虜になった人である。多分やむを得ざる状況の下だったらうし、そのこと自体をいけないとは思はない。むしろ、日本の陸海軍は敵味方の捕虜の扱ひをもっと公明にはつきりさせておかなかったのがいけないと思ふ。思ふけれども、とにかくいくさの最中一旦ゲリラの捕虜になりながら、生きて送り還されて来た人だ。「おい、あんたには(海軍だとお前呼ばはりしないところが我ながら偏見甚しく、奇妙なり)、彼らの死出の出撃を見送る資格は無いはずだぜ。あんたそんな姿をニュースに写されて恥しいと思はないのか。どうなんだ、おい、福留長官」
息子がつくづく感にたへたやうに言った。「犬にテレビ見せると吠えるっていふけどサ、ビデオ・テープに向ってよくそれだけ泣いたりわめいたり出来るね」

怒りっぽいことではよく知られた阿川さんでなくとも、この富永という人物はとかくの評判が多く、いろいろなところで話題になっている愚劣極まる俗物である。私も悪しざまに言いたい方の人間だが、ときにはその遺族が気の毒になったりもする。著者がここでは筆の走りを抑えて数々の呆れた挿話には触れていないから私も書かないでおく。

「軍艦長門の生涯」にも「野ざらし」にも著者が書いてくれているが、戦争中にアメリカ海軍はVT信管というものを開発した。高角砲弾に装着する電子信管で、これを使うと、計算上目標が50倍の大きさに膨れ上がる。小型戦闘機を狙って、今日のジャンボ旅客機を狙い撃つのと同じことになると説明されるが、それだけ照準が楽で命中率がたかくなるエレクトロニクス原理の利用である。原爆並みの機密扱いにされていたから日本側は最後までVT信管の存在を知らなかった。道理で片っ端から撃ち落とされたわけである。なんでこんなに落とされるのか、原因がわからず、同じ死なせるなら体当たり、特攻作戦以外もう道はないと一部の人が思いつめた。しかし、著者の言葉を借りると、高速避退運動中の軍艦に飛行機をぶっつけるのは、自転車で立木に体当りするのとわけがちがう。

たといVT信管がなかったにしても、犠牲の割に効果があまり期待できない。「必至必中一機一艦を屠る」などというのは机上の空想に過ぎないと練達の飛行機乗りたちは知っていた。本来特攻攻撃は命令によらず志望者を募る建前であったから、打診されて辞退した人達も多かった。作戦としては外道だからやるべきでないという反対意見も多かったが、こういう事実は新聞やニュース映画に一言半句も表れなかったと著者は強く批判している。しかし世の大勢に押されて次第に美化され、心理的には明らかな強制のもとで、何千人もの若者が戦果もあげ得ずに死んでいった。

「野ざらし」という題の文章には以上のようなことが書いてあった。何かちょっと無理して、題に内容を合わせた感もしないではないと私は思った。突っ込んでいった若者たちは名前がわかっている限り、軍神と仰がれて靖国神社に祀られた。遺骨はないはずだが、あるいは空の箱か、紙切れぐらいは入っていたかもしれない。とすれば海の底に打ち棄てられているに違いない。それなら河原のサレコウベと同じじゃないか。遺族には失礼な気持ちがするが、阿川さんの「野ざらし」と題した考えに納得した。落語の噺とちがうところはこの題には阿川さんの大きな怒りが籠められている。

ついでに考えた。辰巳芳子さんの結婚生活は20日で終わった。戦死した彼は死にたくないと言いながら応召していったから靖国にはいないのだという。ここ(自宅)にいるのだそうだ(朝日新聞9月18日)。ものは考えようである。こちらは遺骨ではなく、魂のことを考えている。喜々として(いるように私にはみえる)靖国に詣る国会議員たち。遺族でないならばカタチだけのことをしているにすぎない。いまで言うパフォーマンス、気楽なものである。これはこれで日本人の心をないがしろにしていると私は思う。(2015/9)