2014年12月1日月曜日

ノンブル

あるときパソコンの会で新しく知り合った人から質問のメールが来た。目次に関することであったが、ノンブルという言葉が使ってある。ノンブルと聞いて思い出すのはフランス語の数ないし数字であるから、文脈から考えてもこれはページ番号の意味であろうと理解した。
そのことはそれでよかったのであるが、この人はなぜフランス語を持ち出したのか不思議に思ったものである。

それから1年ほどもたって先日丸谷才一のエッセイ本を読んでいたらノンブルが出てきた。それは書物の構成に関する話で、ノンブルはまさにページ番号の意味であることが文面から直ちに了解できた。そして使われている文章から、その部分は印刷や出版、造本などの分野に関係するところからノンブルは用語であることも理解できた。
用語は普通の人が普通のときに普通の話をする時には使わない言葉である。普通は特殊でないという意味だ。ならば先に質問してきた人はなぜノンブルを使ったか。ページ番号でよかったはずなのにという思いが残る。

思い立ってインターネットで検索しようとして「ノンブルとは」というキーワードに対応した事例が目に飛び込んできた。つまり検索語入力にノンブルとまで入力したら「とは」をつけたキーワードがメニューに表示されたのである。その二番目のIT用語辞典バイナリという記事見出しには、「ノンブルとは、出版やDTP、ワープロソフトなどにおいて用いられる用語で、文書のページ番号を表す数字のことである」と出ていた。

ここからは想像になるが、当の質問者はパソコンをいじるようになってワードの操作を覚え、目次を作ったりして多少専門分野に近付いた気分であったのかもしれない。そしてその人は何らかの事情から業界にはノンブルという用語があることを知っていたのであろう。
そこで、あらためてマイクロソフト・オフィス・ワードを開いてみると、そこには「ページ番号」という言葉が使われていた。普通の人はやはりこれでよろしいのだと納得した。

以上の文章を書いてから5年半ば過ぎて、偶然ノンブルに出会った。その記憶が新たなうちに以上の文章をこれまた偶然にファイルから開くことになって、時々経験するこのような芋蔓式関連の不思議さに改めて感銘を受けたりしている。同時に、当時質問を寄せてきた方は、あるいは印刷出版のみならず文学方面にも趣味造詣の深い方であったかも知れないと考え直し、わが身の無知さに恥じ入ったことであった。

ところで、このたびのノンブルは『内田百閒全集 第一巻』(講談社昭和46年)に付帯する「解題」の文中にあった。筆者は平山三郎氏、阿房列車シリーズに登場するヒマラヤ山系氏である。
さて、解題の冒頭に『冥途』が採りあげられ、「本文の各頁に頁数字、ノンブルがいつさい入つていないのである」という用例が出てくる。これはまさに校正とか編集とかの仕事に関連した用例であり、以前に見出したノンブルという言葉の意味理解を補強するものであった。こういう次第で用例の発見の報告は終わりではあるが、この部分の記事内容が百閒氏その人を彷彿とさせるほど興味深いと思われるので煩瑣を顧みず記録しておく。

 『冥途』は大正十一年、著者三十三歳の二月に刊行された第一創作集である。――四六版箱入。箱の表に、
         内田百閒氏著 
         野上臼川氏装
      冥途     東京・稲門堂書店版
とあり、その上に、臼川・野上豊一郎の模寫した奈良薬師寺の佛像臺座のキツネ圖が大きく刷り込まれてある。本を引出して見ると、濃い鼠色布装の表に同じキツネが空押しされ、背に書名があるだけで著者名はどこにも入つていない。およそ地味な、不愛想な本である。この本の奇態なところは本を披いてみると、さらにはつきりする。本文の各頁に頁数字、ノンブルがいつさい入つてゐないのである。從つて巻末を繰つても何頁の本か判らない。目次は、十八篇の表題が羅列してあるだけで、それらが何ページに載つてゐるかは皆目不分明な、ふしぎな本である。――これは、著者が特に指定してノンブルなしの本が作られたのであつて、おそらく前例がないだらう。かうした變つた本を作る事で最も困惑したのは製本屋だつたらしく、左右の綴ぢ目を誤つた亂丁本が多数出来、それが小賣店に竝んだのを著者が買ひ集めたりして、混亂した。 稲門堂版冥途は何部くらい刷つたのか、或る時、著者に訊いてみた。さア、あの時分の常識として考へると、多分、五百部か、せいぜい八百部くらゐぢやないかな、と、他人事を語る樣に、御返事は曖昧だつた。 五百部にしろ八百部にしろ、とにかく初版冥途は、翌年の大震火災で、紙型をふくめて殆んど焼盡したのである。                                                                              
(中略)
 何故、特に指定して頁数字(ノンブル)をつけない本を作ったか。その理由を説明して著者が云ふには――自分の書いたものを本當に讀者が讀んでくれるものならば、途中でやめにして、また後の残りを讀みつぐやうなことをされては、いやだから、それで、何頁まで讀んだといふ中途半端な讀み方や飛び飛びに讀まれないやうに、ノンブルを全部取ツちまつたんだ。――その頃としては非常に鮮新な考へだつたンだがねえ。
                        *
(後略)

ちなみに、この年、昭和四十六年四月二十日に内田百閒は急死した。平山三郎氏は、三月末に書いた全集第一巻の解題の末尾に訃だけを伝える追記を六月五日に遺している。


(2014/12/1)