2014年8月26日火曜日

旅の回想 流しの楽師たち ロマ


東欧4か国の世界遺産をめぐるグループ・ツアーに出かけたことがある。プラハ・ブラチスラバ・ブダペスト・ウィーンと回る。ウィーンとかプラハの名は知っていても、ブラチスラバなどという名前は頭になかったぐらい、このときの旅は馴染みのない地域であった。また、この4か国、チェコ・スロヴァキア・ハンガリー・オーストリアは、すべてハプスブルグ家が支配していたという歴史的事実もあらためて感懐をよんだ。旅行そのものは「世界遺産をめぐる」といううたい文句の通り、どの旅行案内書にもある風景や建物を見て回る物見遊山にすぎない。団体旅行ではこうなるのは仕方がない。オプションで行ったドナウベント地方というのは、西欧的な雰囲気から外れた鄙びた土地柄がなかなか良かったと思う。バックザック一つで回る旅ならいいが、こう年をとってしまうとこういう土地にはなかなか行けない。
さて、旅行を思い返せばいろいろあるが、食事時に現われた楽師達については、その後も何かにつけて思い出されるので、少し書いておきたい。

このときの添乗員が言うには夕食時に全部生演奏がついていますが、こんなことは滅多にありませんと。なるほど言葉に偽りはなかったが、登場したのは二、三人が組んだ楽師達、服装はほとんどややくたびれた普段着、日本でいうなればギターの流しみたいな感じ。生演奏と聞いて洒落たムードピアノのソロとか、弦楽クヮルテットなどを期待していれば馬鹿かといわれそう。結論を言えば、「夕食時の生演奏」では楽しいことは全くなかった。ないほうがよほどよろしい。

チェコのビアホールのは女性のアコーディオンとチューバ二人組。お国柄でいけばビアマグを挙げての合唱でもあれば様になろうが、ツァーの日本人では歌も出なければリクエストも出ない。相手も困って一曲いかがですかと回ってくるが皆さん黙々と飲み食いに忙しい。なにしろ「いえ、私は結構です」なんてことも言えない人ばかりだから、見ていていらいらする。結局登場したときに演奏した「ビア樽ポルカ」一つでほかのグループに行ってしまった。この女性達はチップももらえずじまいで気の毒した。
ひょっとしてわがグループの人たちはテーブルを回ってくる楽師達にリクエストして、チップを渡すという、暗黙の社会的取り決めに気がつかないのかもしれない。それともチップなど出さなくてもいいのかな。後述するハンガリーの例だとそうは思えないのだが。

チューバなんてブラスバンドでしか見ないものだから珍しかった。これはベースの代りを務めるわけだと分かった。「ビア樽ポルカ」は日本では戦後アンドリューズ・シスターズの歌で流行ったが、原曲はなんとチェコであったとは誰も知らなかったろうと思う。ただしビールにはまったく関係なしの「スコダ ラスキ(失われし恋)」(1934)という失恋の歌だそうだ。チェコに進駐したナチス・ドイツ兵が歌って、ドイツ語の「ロザムンデ」という歌になった。アメリカに渡って「ビア・バレル・ポルカ」として歌詞がついた(1939)。ヨーロッパではアメリカ軍が一帯に展開していたせいで英語とポピュラー曲が普及したようだが、この曲はお里帰りであったのだ。
アンドリューズ・シスターズ
チップの話を続ける。食卓で囲んだ小さなステージで演奏するピアノを含んだ男3人組があったが、このときはグループの女性客もだいぶ慣れて一緒に歌ったり、写真を撮ったりしてはしゃいでいたが、誰もチップは出さなかったようだ。こういうのは店を通じて添乗員で処理するのだろうか。チップがなければ彼らの実入りはないはずだろう。

不愉快な思いをしたのはブダペストの中年男3人組。誰もチップを出さないので端の席にいた私の横に親分格が来てヴァイオリンを弾きながら「アリガト、アリガト」とチップを催促する。ほかの客は黙ってうつむいて食べるだけ。演奏を聴きながら彼らの様子を見ていたのが失敗だったようだ。いつまでたっても動かず、明らかに強要であった。あいにくコインがなく、ありあわせた500フォリント(250円強)をポケットにねじ込んでやると、やおら引っ張り出して、ゆっくり引き伸ばしてわれわれお客みんなに見せた上、弦の間に挟んでようやく立ち去った。あのグループは、親分のしつこさとともに実にいやーな感じの人たちであった。そこで思い出したのが映画の一場面だ。『ヴェニスに死す』(伊1971)。執拗に繰りかえし演奏してチップをせびる一団。生暖かい空気とコレラ騒動の不安が観客にも伝わってくるような場面。音楽の効果がめいっぱい使われていた。あの一団の楽師達とブダペストの経験は似ている。
映画『ベニスに死す』より
ハタと思いあたったのはロマだ。昔はジプシーといわれた人たち。弾いているのはヴァイオリンだが、この場合はフィドルと呼ぶほうが似合いそうだ。日本語では「屋根の上のバイオリン弾き」となっているアメリカのミュージカル、原題は「Fiddler on the Roof」だ。これに登場するのは帝政ロシアのユダヤ教徒でロマではないが、同じ構造の楽器であっても弾く人たちや曲目の種類などで、所謂クラシックのバイオリン演奏とは違う。フィドルのほうがぴったりという感じがする。

で、ロマの話に戻ろう。現代では欧州一円に拡散したロマは、各国ともその制御に手を焼いているようだ。基本的に放浪生活のかれらは定住を嫌うらしい。経済的にも弱い人たち。シューマンの「流浪の民」という歌曲、高校時代には綺麗な合唱曲だと思っていたが、詩に歌われていたのはナイルのほとりからさすらいの旅に出る可哀想なジプシー達であったのだ。使われていた詩はロマがエジプトから流浪し始めたとの伝説がもとでジプシーと呼ばれた時代の作品。ドイツ語の原題を知ってみれば「ツィゴイナーレーベンZigeunerleben」、ツィゴイナーが今でいうロマだ。だから「流浪の民」の元の題は「ロマの暮らし」ということになる。サラサーテの「チゴイネルワイゼン」は「ロマのメロディー」だ。

4か国世界遺産の旅などと謳われているが、ヨーロッパの中でもロマ人口が多い地域。ブラチスラバでは街を行く数人かたまった人達を見て、ガイドさんは「あれはスリだから気をつけましょう」と言って、注意深く間隔をとっていた。一人が何やら話しかけてきて、受け答えを強いられる間にぐるりと囲まれて刃物でバッグの底を切り取って中身を持ち去るという手口が多いのだそうだ。何となく小汚い風体の人たちだから、慣れればすぐ分かる。楽師達もそうだとは言えないが犯罪者すれすれの生活であることは間違いなさそうだ。昔からのジプシーのイメージではフラメンコであり、馬車暮らしだった。現代では馬車が自動車に変わっているらしい。馬や馬車の取引が今は中古車になり、その延長で修理工も多いという。日本でも放浪職人には鋳掛け屋が多かったが、西洋にも同様の鋳掛け職人があるようだ。放浪しながら生計を立てなければならないとなると、職業の範囲は自ずから限られるだろう。だからロマと呼ばれる人たちにはダンサーや楽師などの芸人、修理屋、占い師などが話題になることが多い。犯罪者の発生も多いし、スリ、泥棒、誘拐もある。結局は嫌われる人たちということになり、ロマはどこでも疎外され、差別の対象になってしまう哀しい存在である。
世界遺産巡りが図らずもロマの存在を目の当たりに意識させられることになってしまった。

しかし、ロマといっても悪い人たちばかりではないのは当たり前だ。片親がロマ出身というのも有名人には多いようだ。熱心な研究者によって世界の有名人のリストも作られているようだ。
ジャズ・ギタリストでジャンゴ・ラインハルト(1910-1953)がいる。両親がロマでベルギー生まれ、フランスを中心に活躍した。ロマの音楽とジャズ・スウィングを混淆させたマヌーシュ・スウィング(マヌーシュはフランス語圏でのロマの呼び方)の楽曲を独特の奏法で演奏する。キャラバンの火災で大けがをした名残で指が不自由なためその技法も特殊になった。
チョコレートを題材にした風変わりな物語の映画『ショコラ』(米2000)ではジョニー・デップが水上生活のロマを演じるが、ジャンゴの曲『マイナー・スウィング』が印象的に使われる。映画にはロマという言葉は出てこないが、この曲が聞こえることで、あ、そうか、と思ったことを覚えている。

ジャンゴ・ラインハルト

東欧4か国めぐりはチェコを除いてドナウ巡りの旅でもあったが、ドナウ周辺にはロマが多い。ドナウの終点、ルーマニアはロマ人口が150万人はいるだろうといわれるほどロマが多く、問題も多い國のようだが、政府はロマは存在しないという立場だそうな。Wikipediaにも興味深いことが書いてあった。ここには書かない。(2014/8)