2014年8月8日金曜日

エッセイ "Over The Waves"

(お断り;この記事は2010年に書いた文章です)
子供の頃から聞き慣れた音楽の中にワルツというリズムがあります。いわゆる洋楽が盛んになった頃に始まっているのでしょうか。サーカスのジンタもそうでしょう。ジンタの語源は知りませんが不思議な言葉ではあります。そしてジンタといえば『美しき天然』です。私の耳にはラッパやクラリネットがメロディを奏でる楽隊の演奏やら明治の名残のようなバイオリンによる演奏などが残っています。この曲はワルツでした。
ふと思いついてYouTube で聴いてみました。ありました、ありました。『美しき天然』、紛れもないこの曲です。
どこにも書いてありませんが、初音クミというのが歌っているらしいのですが,私には分かりません。でも、そうだとしたらこれはごく最近の作り物ということになりますね。テンポも私が持っている感覚よりも遅く感じられます。
Wikipediaの『美しき天然』には、まず、「唱歌」とされていて1902(明治35)年成立となっています。楽譜には「ワルツのテンポで」と表示されているそうです。上に述べたYouTubeには日本人による最初のワルツだそうですとありました。
ついでにジンタについて探しましたら「英語で賢くなるサプリ」というブログに「ジンタッタ、ジンタッタ」という調子からジンタと呼ばれるようになったもので英語ではないなんて。このブロガーは書きぶりから言ってまともな人のようです。このジンタッタはワルツのテンポの擬音語ですね。

こんなことを書きながら調べていると、根が好きなほうですから、ついついYouTubeを漁って「東京行進曲」やら「東京ラプソディー」とか「夢淡き東京」など藤山一郎さんの曲へと移っていきます。
なかでも「東京ラプソディー」は私の愛唱曲だったのを思い出します。ただし学齢前の私です。見ると成立は昭和11年となっていますから3歳の時にできた歌です。家では童謡のレコードもいろいろ聴きましたがあまり歌った記憶がありません。けれども、「花咲き花散る宵も・・・」と歌っていたのだそうです。
「東京行進曲」は昭和4年で曲調も古いですが、歌詞に「ジャズで踊ってリキュルで更けて・・・」とあるように、当時でいう「ジャズ」という言葉が出てきます。大正から昭和初期までの束の間の自由な日本の象徴みたいな語感を持った言葉ですが、いまでいうのと大違いで流行歌からダンス音楽まで何でもジャズといわれていたようです。私の学生時代銀座にあった「テネシー」という「ジャズ喫茶」(と呼ばれていました)ではステージがあって鈴木章治のリズムエースや渡辺晋のシックスジョーズなどはいいとしても、ハワイアンのバッキー白片,大橋節夫のハニーアイランダースなども来ているのですからポピュラー音楽何でも「ジャズ」という日本語であったわけですね。
ちょっと「シックスジョーズ」でYouTubeを検索したら昭和28(1953)年録音という映像でOn the sunny side of the streetをやっていました。まさに私がテネシ-に通っていた頃です。いま聴くと「色あせた」という感じの音色ですが,当時は花形でした。
オスカーピーターソンがやってきて秋吉敏子さんを聴いたのもこの頃このお店でした。閑話休題。

きょうこの文を書き始めたのは戦前からワルツが盛んであったなぁという思いからです。その理由は私が一番好きなジャズ系統のニューオリンズジャズ、あるいはデキシーランドジャズではいわゆるtraditionalとされる曲目がよく演奏されます。『リンゴの木の下で』などはこれも戦前の日本でもジャズとしてよく演奏され、戦後もレコードなどが復活する前はハワイアンなどでよく演奏されました。私たちも高校の文化祭でやってました。
ニューオリンズジャズではOver The Wavesがよく取り上げられます。おなじみのメロディですが、なぜおなじみかというとこれも戦前のジャズみたいに日本でよく知られていたのです。私自身の記憶では我が家にあったウインナワルツなどと一緒になっています。『美しき青きドナウ』『ドナウ河の漣』『波濤を越えて』おまけに『金と銀』もなぜか一緒に記憶に出てきます。みなワルツです。これらが記憶としてなぜひとかたまりになっているのか訳を知りたいと思って調べるのですがそんなこと分かることはありません。
ただひとつ英文のwebsiteにこれらをみな同種のように考えている人たちが多いという指摘に出会ったことがありましたが、その書き手自身もそのように思っていたということでした。
結局私自身の混同は日本の流行のせいであろうということにしました。つまり大正から昭和にかけての頃にジャズで踊ってという歌詞で想像できるようにダンスがはやって,洋楽はダンス音楽として流行したのだろうということです。だからワルツなのです。フォックストロットももちろんあったでしょう。そしてタンゴです。ルンバは『南京豆売り』など知られていましたがステップはどうでしょうか。ジルバはまだありませんね。ほろ酔い気分でキャバレーやダンスホールで踊るにはワルツが心地よいということではなかったかと思うわけです。
そこで先ほどの曲目についてよく考えると、ドナウ川に関連するのは『美しき・・・』と『ドナウ河の漣』だけで『金と銀』は関係なし。

さて”Over The Waveswaveはどこの波かというに、これが作曲者がメキシコの人でした。
フベンティーノ・ロサス、26歳で亡くなった人だそうですが、バイオリン奏者でダンス音楽の作曲家として身を立てていたそうです。作者のイメージしたWaveがどういう波か分かりませんが、メキシコと海という関連も私には最近のBPの海底原油採油井の汚染ぐらいしか頭に浮かびません。作品は1884年。
調べていて分かってきたことはこの曲がメキシコの土俗性など全くなく、ワルトトイフェル(スケーターワルツ)やヨハン・シュトラウスを連想させるとかの感懐を人々に抱かせるということです。日本でも私が想像したように大ヒットしたとあります。ダンス音楽のワルツとしてのヒットでしょう。
けれども、なにかしらウイーン音楽とは違う味があるのかもしれません。管弦楽曲ではない生い立ちから来る何かがこの曲にはあって、時に編曲には大衆音楽的な要素も加味されるのかもしれないなどと思っています。
これがニューオリンズジャズで演奏される理由ではないかなと勝手な解釈をしているのですが。
ここに挙げたワルツはたとえば、Naxos Music Library では「グレートワルツ集」に揃って入っています。
さて、ニューオリンズジャズではどうかというに、いつのころからかGeorge Lewis(ジョージルイス)の定番みたいになってしまって、前はたくさん演奏があったと思うのですがいまなかなか探し出せません。ジョージ・ルイスは大阪のアマチュアバンド「ニューオリンズ ラスカルズ」のリーダー河合良一さんが崇敬していて,生前は親交もありました。いまは精神を後継するバンドと称しています。ボクもこの人の哀愁を帯びたような演奏が好きですし、またラスカルズもいかにも日本のバンドというサロン的ニューオリンズジャズが好きで長年聴いています。
で、ジョージ・ルイスの名とニューオリンズジャズの存在を一段と高めたのは1954年にオハイオ州立大学で催されたコンサートでした。ルイスがOver The Wavesを演奏しています。YouTubeでも見ることができますが、ここに私の録音したファイルを添えておきますから聴いてみてください。


  (2010/11/18記)