著者が父謙二氏(以下敬称略)が88歳から89歳にかけての折に、それまでの生涯を聞き取った内容で構成した作品である。本書の副題に「ある日本兵の戦争と戦後」とある。謙二は19歳で徴兵され、20歳からの4年間を捕虜としてシベリアで労働させられた。シベリア抑留という履歴は、引き揚げ間もなく肺結核を招き、5年間の療養生活を強制したばかりでなく、大企業への復職を妨げるという追い打ちをかけた。これが副題の意味である。著者が執筆にあたって企画した前史とでも言うべき部分には、祖父の代に田畑を失って零落した素封家の次男、雄次が明治の新天地、北海道に渡って以来の一家の苦闘の物語が付け加えられた。そこには謙二が生まれる前提として同じように移住して苦労する別の一家の物語が加わる。両家は戦前戦後をつうじて、腕一本で生きるすべを身につけた家長と妻が協働して次代の一家を育んで、謙二の物語につながる。不運続きの人たちだったが、辛くも謙二の後半の人生に陽があたるようになって、読者も救われる。農民、最下級兵士、自営商業という社会の下層から浮かび上がった、平凡な会社勤め人には望むべくもないような筋金入りの男が淡々と生きている情景が描かれて終わる様子は感動的であった。2015年の出版当時お元気な様子だったから、おそらくまだご存命だと思う。書名の「生きて帰ってきた男」には、続けて「~は、このように生きているぞ」と付け加えたい。
著者は生活史、社会史だけでなく、折々の時代について、社会制度、政策、統計的データなどを挟み込んでくれている。ときに著者の主観的な色合いも感じられるが、読者にとってよく理解できてありがたい。語り部が左右の政治色に染まらず、自分ながらの考え方を主張できる能力を持っているのは聞き取り作品にとって貴重であった。逆に、訊かれなければ何も言わないタイプの人物であるかも知れない。やはり聞き手あっての聞き取りだろう。
読後感をなんとか書こうとしたが、感情移入が強くなって手に余った。参考にあたってみたネット上の文章では、図書新聞の「すすむA」氏の評が、一部知らないことが述べられてあるが、概ね自分のと似ていると感じたので、URLを記しておく。http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/dokusya_display.php?toukouno=457
この評者は最後に「血縁意識」が厚いことを書いている。雄次の死の2年前、不自由な体の居場所を定めてくれようとする兄妹たちの段取りの中で、山形にいる謙二の異母姉のもとに預けられることになる。その異母姉とは雄次が先妻に死なれて、店も焼け、網走で再起するために旅館の主人の世話で里子に出した下の娘だ。乳飲み子だった娘が50年の歳月をおいて引きとりを申し出てくれた。「当時は親を大事にする結びつきは強かった」と著者が書き加えているから、50年の空白があったと推察できる。ここまで読んできて筆者は娘さんたちの真情に打たれた。雄次はこのあと静岡にいる上の娘さんのもとで79歳の生を終えた。
最終章にでている中国籍朝鮮人元日本兵の日本政府への補償要求裁判で共同原告になった行為は誰にでもできることではない。この意味で謙二は普通の人ではない、変わり者だ。ただ、謙二が法廷で読み上げた「意見陳述書」は自分の言葉で綴られているだけに素直に気持ちが理解できる。全面的に同感である。陳述書を裁判官たちの前で読み上げたことについての謙二の言葉が記録されている。
勝つとも思えなかったが、口頭弁論で20分使えるというので、言いたいことを言ってやった。むだな戦争に駆り出されて、むだな労役に就かされて、たくさんの仲間が死んだ。父も、おじいさんも、おばあさんも、戦争で老後のための財産が全部なくなり、さんざん苦労させられた。あんなことを裁判官にむかって言っても、むだかもしれないけれど、とにかく言いたいことを言ってやったそのとおりだ。法律論議はさておいても、これを国に言いたかったのだ。謙二氏が生きた時代の9割ほどを筆者も生きてきた。おじいさん、おばあさんの有り様も実によく似ている。半ば自分のことのように感じながら読ませてもらった。(2019/4)