2019年4月1日月曜日

国中平野ーー奈良盆地のこと

地域を指す言いかたにくんなかというのがあちこちの地方にある。文字に書くと国中または国仲であるが、もともとは口頭語のようだ。盆地をいう言葉だ。精神医学の中井久夫氏の文章に教わったのは奈良盆地についてである。生まれ故郷の奈良には、盆地の周辺部ばかりに遺跡があって、平野部にはほとんど見るべきものがないのを不思議に思ったとある。この平野部を氏は国中平野(くんなかへいや)とよぶ。
元来の「倭(やまと)」は磯城郡のあたりだけである。「東の野にかぎろいの立つ見えて……」というあのあたりを倭といい、国中平野は「大倭(おおやまと)」と言っていた。オオヤマトに「大和」の字を当てていたのが、そのうち全体としてのヤマトを指すようになった。大和神社だけはいまだにオオヤマト神社と呼んでいる(あそこは元来国津神である。つまりこの地域の神様だったものである。明治維新の時に祭神をかえさせられたのである)。[…]当時の支配者は奈良の南東部を中心、平野部を辺境と考えていたと推定してよかろう。[…]国中平野は辺境のまた辺境ということになる。
なぜ国中平野がそのように辺境とされたか、それには自然的理由があるだろうと氏は推定されている。初瀬川、竜田川が合流して大和川になるあたりはもともと湿地帯でマラリアがはびこっていたはずである。琵琶湖南部には20世紀後半までマラリアが残っていたくらいで、一般に日本の低湿地にはマラリアがあったと考えてよい。イタリアやネパールの村が丘の上にあるのは谷のマラリアを避けてのことである、と述べられてある。 私は以前、貧しい人は低地に住み、富裕階級は高地に住むと考えて、これは世界共通の傾向だろうと思っていた。私はその理由について深くは考えず、せいぜい日当たりや見晴らし、水はけ程度にしか思っていなかったが、中井氏は医学者らしくマラリアを持ち出されたので、私説にも一つの根拠ができた。 ここに引用した文章はあるシンポジウムでの発言に手を加えたものでごく軽いものである。私はそこから自分の関心を惹くことを拾っている。 

京都に都が移ったあとの奈良盆地は寺の荘園が多く、大名は出なかった。武士の侵入を防ぐための環濠集落が発展した。江戸時代には篤農・豪農から商業との結びつきが生まれた。ここでは換金作物を栽培することから商業がでてきたように書かれていてなるほどと思った。製薬会社はほとんど全部が当麻寺の荘園だった村の出身だと書かれているのは面白い。宋の国定処方薬をお坊さんに読ませてそこの百姓に薬草をつくらせ、百姓はそれを担いで堺へ売りに出た。やがて境に店を持ち、これが大阪の道修町に移される、とあった。薬屋ではないが社会人第一歩が道修町に始まった私にはその名が懐かしい。

氏は奈良盆地の東の山地から天理教の中山みき、平野部から中村直三が出たことに着目する。私はよく知らないが後者は篤農の農業指導者らしい。そして前者は世直し型、後者を立て直し型の指導者としてみればどうだろうか、といったていの考えを述べる。結論は立て直し型は盆地の考え方であったとする。盆地の中の平野部には水害が多いが、人々はそれにめげずに懸命に復興に励む。三年も頑張れば立ち直る、その繰り返しであると。地域の特徴をいえば河川下流の扇状地だ。酒匂川の扇状地で名を成した二宮尊徳を例に引いている。 盆地に育った考え方は元のように復興することを目標に頑張ってやり遂げるものの、出来上がったその先を考えないのだという。

こういう話から発展して、海に囲まれた日本も盆地のようなものだと考える。海という防壁がなくなった時のことを考えようとしないのではないかと危ぶむ。氏は別にこういうことを主張して一家の説を立てようというのではなく、精神のあり方を考えていて思いついたようだ。この考えを述べようとする際に、氏は「日本人は辺地に共振する」と書いた。共振とはどういう意味であるかの説明はない。何か精神的な影響を意味されたのだろうと想像する。心を寄せるとか離れがたい思いがするとかを考えてみれば、氏の意味されるところがわかるようにも思える。このように考えると辺地に住まう人々にとってそこはひとりでにフルサトになるであろう。「やまとはくにのまほろば」という表現に通じることになるのでなかろうか。「まほろば」は「すぐれたところ」を意味する古語である.

それはそれとして、平野部が湿地帯であったという話は古代の大和湖という淡水湖の存在につながることがわかった。これは中井氏の話と関係はない。いまわかっている大和湖の規模はそっくり国中平野に重なるだけでなく、探求家によれば地名などから古代日本人と中央アジアのつながりが考えられている。こういう話は証拠になる文物がないために学術的には問題にされないけれども夢がある。
 読んだ本:中井久夫『時のしずく』みすず書房(2005)所収、Ⅲ 「山と平野のはざま」(1995)より。

(2019/4)