ベルギーの蠅
この秋グループ・ツアーに参加してベルギーに行って来ました。バスでの移動が長時間になるときには途中で休憩があります。いわゆるトイレ休憩です。 あるガソリン・スタンドで休憩したとき、男子用の小便器で発見をしました。清潔なトイレで不快な匂いもほとんどしま せん。用を足そうとしてふと便器を覗き込むと蝿が一匹止まっています。こちらが行動を起こしても動かない、よく見ると それは絵でした。タイルか陶器か材質は確かめませんでしたが、要するに便器に印刷してあるのです。ずらりと並んだど の便器にも大きめの黒い蝿が一匹ずつ描いてあります。ここに披露するのは 少々不躾ですが写真を撮ってあるのでご紹介します。百聞は一見にしかず。 同行の人も「面白いですねぇ」「アイデアがいいなぁ」と感心して います。
そのあとベルギーのほかの場所でも見た記憶があります。 帰宅して写真の整理の必要上いろいろな人のブログも参考にしたりしますが、 ドイツやオランダの話としてこのトイレの蝿が登場します。発祥の地はアムステ ルダムのスキポール空港だとも書いてあります。理由や目的を煎じ詰めると清 潔に保つための工夫であると、つまりこの蝿を標的にすれば便器の外にこぼさ ないからだというのです。
ヨーロッパやイギリスの街を歩いて感じるのは、白人たちの足が長いことです。腰がかなり上についています。そして、その せいであることが歴然としているのが男性トイレの小便器の高さです。短足の日本人観光客はたいてい多少は苦労し て用を足しているはずです。このことを考えると、ようやくの思いでたどり着いたトイレで勢いよく放出したとき、高い位置 からなら思わず狙いをはずしてしまうことも十分ありえます。ようやっとの思いで漏斗の中に落とし込む態の日本人には あまり生じない現象でありましょう。
さて、便器に蝿の絵がある理由は分かったとして、トイレに蝿がいることから人はどんなことを連想するでしょうか。蝿 は汚いもの、汚いところにいる虫、便所には蝿がいるなど日本人ならたいてい刷り込まれた感覚です。ですからオランダ やベルギーのように、清潔を保持するために蝿を利用するなどとは考え付かないでしょう。
一見ユーモアがあるように見える便器の蝿の絵ですが、清潔を保つためという目的とは何かちぐはぐな感じがします。ト イレには蝿がいるものという常識がかの国々の人々にもあったがために生まれた発想ということも考えられます。そうであ れば、便器に蝿の絵があることは不快な思いをする人もいるかもしれません。いったいどういうことであのような絵が描か れることになったのか、ちょっと興味深い現象ではあります。 かつては往来に各自の家の屎尿をぶちまけて過ごしていた人たち、糞だらけのぬかるみを歩くことからハイヒールの発 想が生まれたとか、そのままの靴で家に入ってベッドに入るまで靴は脱がないなどなど。きっと彼らは四六時中蝿と共 存していたに違いない。臭気芬芬のパリから逃げ出したのはどの皇帝でしたっけ。モンテーニュにもパリの臭気に触れた 文章があるようです。ま、こんなことをも考えながらこの秋の旅行を思い出しています。
ゲントのからし(mustard)
ベルギーのゲントという町でマスタード(西洋からし)を 買いました。ベルギーで 17 年生活している日本人女 性のガイドさんがその町の名品として教えてくれたのです。教わらなければ営業しているかどうかも分からないような店で す。もっともそれは当日に限って店の表を工事していたからのようです。あとでインターネットで探してみると表に向けて 商品も陳列してあるし、古風なサインも軒を飾っています。
店の名は Yve Tierenteyn Yerlent 、どう読むのか分かりません。現在は 1890 年から2代目の家が継いでいるそうで す。 からしは 1 種類だけ、瓶の大きさを指定するとマダムが奥にある樽から掬って 詰めてくれます。つまり量り売りです。本来は陶器に紺青の絵と店名が入った容 器に入れてコルクで栓をするのですが、飛行機の荷物室では気圧が変化する ため栓が抜けて漏れ出してしまいます。ですからマダムは私たちにははじめから 瓶のサイズを選ぶように言ったようです。トロ~っと流れる程度のやわらかさです。 保存は冷蔵庫でするように注意してくれました。
無事に持ち帰って、味わいながらつくづくと瓶を眺めました。ラベルには店の名と 住所とロゴが白地に黒く印刷してあって、1790年とありますから200年を超す老舗ということになります。日本なら寛政 2 年創業というところです。ゲントの 1790 年はフランス革命の翌年で、ナポレオンがこ のあたりを占領したといいます。つまりフランス領になったわけです。それまではハプスブ ルグ家のネーデルランドでした。ですから瓶のラベルの書体はオーストリア風の書体が 使われているそうです。製法は当時のままだそうですが、ナポレオンの侵入とともに兵 隊が製法を伝えたとも、あるいはマスタードで名高いフランスのディジョン(Dijon)で働 いていた当地の住民が持ち帰ったとも、店の創始についてはいくつか説があるらしいで す。店のロゴになっている日本の花王のマークのような顔についていわれを知りたいのですが、まだ分かりません。
さて、近頃日本では消費期限や賞味期限の表示について規則違反がさかんに咎め立てされていますが、ゲントの からしの瓶には「Keep Cool」とタイプされた手作り紙片が張ってあるだけです。これはもちろん観光客向けの保存につ いての助言であって日本のような法律とは違うようです。ゲントの店では週に 2 回造りこむことになっているので、いつも 製造後 3 日以内の製品を売っています。冷蔵庫で保管して 3 ヶ月日持ちするとはニューヨーク・タイムズのサイトで得 た情報ですが、こういう商品は地元では銘々自分の舌で味を確かめながら消費するのですから、政府による取り決め に頼る必要はないのが当然でしょう。 日本で問題になった伊勢の「赤福」や崎陽軒のシューマイなどの表示違反は規則あるがための違反であって、品物 を賞味する上ではなんら問題にする必要はないと思うのですがどうでしょうか。生ものにカビが生えるとかした場合に、 食べてよいか悪いかなどは本来買い手が判断すべきことでしょう。まして材料の表示順など賞味することとは無関係な ことではないでしょうか。 ただ、ゲントのマスタードは世界中でここでしか買えない商品で、卸はおろか出店もしない、まさに売り手も買い手も 良識と常識で長く続いている店という思いがします。
オランダ語のメニュー
ブルージュの街では昼食を各自で摂る事になっていました。そ の前にレースの店を探したりしていたために 1 時半近くになって しまいました。日本語のメニューもあると教わっていたあたりの店は早くも掃除など始めたので、広場から少し離れた、 一日中やっている風情の店に入ってみました。ベルギーはどこでもオランダ語(このあたりのはフラマン語と呼ばれます)、 フランス語だけでなく英語も通用すると聞いていたので、言葉の障害など忘れていたのですが、メニューを見てギョッ! オランダ語しか書いてないのです。ありゃ困ったなぁと思いながら、じっと読めない文字面を眺めていると、オムレツが読め た。しめしめこれにしよう、何のオムレツだかが次に書いてある。トマトが読めた。妻はすかさずそれにすると言います。そ れじゃぁ、自分は読めないヤツをと思って Kaasとあるのを頼んでみたら、若いウエイター君はチーズだねと念を押してくれ ました。そうだ、カースだよなんて分かった振りして注文したのでした。内心では、そうかカースがチーズかとほっとしました。 その前にビールを頼んだのでしたが、銘柄も知らないし、量は 20 とか 40 とか数字があるだけ、身振り手振りで小ジョッ キぐらいのをもらって正解でしたが、ウエイターも必死で緊張しています。はじめメニューをもらったあたりで隣の席のばあ 様がウエイターにパトリックと呼びかけていたのを聞いていたので、まずビールを持ってきたときにサンキュー、パトリックとや ってみました。彼一瞬ビックリしてこっちの顔をまじまじと見つめてから、ああ、隣の伯母さんのを聞いたのかと、とたんにニ コニコ顔になって、さっきまでの緊張はどこへやら、うまいか、とか何とかいっぺんに親しくなったのは面白い経験でした。
(2019/4)