2017年11月7日火曜日

雑感 映画『クレアモント・ホテル』

久しぶりに映画を見た。レコーダーにのこっているタイトルの中から選んだ一つ、『クレアモント・ホテル』(2005年)。米英合作扱いではあるが、原作も俳優もイギリス映画、監督がアメリカ人。

長年連れ添った最愛の夫に先立たれたパルフリー夫人は雑誌で見つけたロンドンの居住用ホテルにやってくる。恋人であり、妻であり、母であった生活から解放された残りの人生を楽しもうと期待に胸膨らませてやってきたのだ。だが、着いてみるとどうも様子が違う。ええい、ままよ、万事受け入れての日常がはじまる。

相客つまりご近所さんは家族に見放されて住み込んでいる風変わりなご老人ばかり、単調な日々に何かが起こるのを待っている。公文書館に勤めているという孫に電話してみるがいつも留守番電話。ある日歩道でころんだ彼女を部屋で見ていた若者に助けられ、お礼に夕食に招待する。作家志望の若者はホテルの住人にとっては願ってもない見世物になる。夫人は窮余の一策で彼を偽物の孫に仕立てたことから奇妙な友情物語がはじまる。

若者は友人の留守中の部屋を借りて毎日タイプライターを叩く貧乏暮らし、夫人の人生を聞きながら作品に仕立てることを思いつく。物語は進んで、どんな映画が好きだったか、で、『逢びき』(1945)が話題になるが若者は当然見たことがない。レンタルビデオ屋で見つけたが、棚に先に手を伸ばしたのは若い女性。譲り合いから話が決まりプレイヤーのない彼は彼女の部屋で見ることになった。こちらのカップルについて話はお決まりの筋を追ってコマ写で進む。近頃若者が訪ねて来なくなった夫人に突然面会人があらわれて、住人一同目をみはる。公文書館があらわれたのだ………。

落ち着いた調子で進行する物語は人をそらさないうまい作りだ。脚本の良さがでているのだろうと思った。原作はエリザベス・テイラ―。ハリウッド女優ではない、1912年生まれで75年に亡くなっている過去の人だが、イギリスでの文名は高く日本人にはおなじみのジェーン・オースティンにも比べられるほど、かの国ではよく知られているそうだ。なるほど古い人の作品はわれら古い人間の心に直接伝わる。
「ホテル・クレアモントのパルフリー夫人」というのが原著の題だ。1971年の作品。映画の封切りは2005年だが、日本では2010年12月4日、岩波ホールが初日となっている。劇場プログラムを探しても見当たらない。おそらくその頃見に行ったのだろう。
車の幅に対する感覚が鈍くなって運転に危険を覚えて車を手放した。あとで気がついたが、これも難聴のせいだ。愛車とのお別れの写真の日付が2011年になっている。まだ耳がいまほど悪くないころだから、音楽もふつうに聞こえていた。映画の中でローズマリー・クルーニーが歌う "For all we know" が聞こえるはずだし、若者ルードことルードウィッヒもギターを手にして口ずさむ。向かい合っている夫人の目が潤む。でも実際にはこの曲は、夫人の良き時代ではなく、原作執筆の頃の流行だ。
1970年公開のアメリカ映画『Lovers and Other Stranger(邦題:「ふたりの誓い」)』の挿入歌で、歌手 ペトラ・クラークがアカデミー歌曲賞を受けている。71年にカバーしたカーペンターズがミリオンセラーズの大ヒットとなった。いずれにしろ今の筆者には音楽はただの音の響きでしかない。字幕だけが頼りの映画鑑賞(?)だから若者の口ずさむ歌詞などわかるはずはない。それでもこの映画はいい映画だ。

ホテルの住人の中で夫人は際立って上品なしっかり者風につくってある。80歳も過ぎたらどの人も似た感じになるかと思っていたが、そうでもない。パルフリー夫人の気持ちの持ちようが違うという設定だろうか。一人で前向きに生きて行こうとの気骨だろう。
原著に翻訳はないが、アマゾンのキンドルで原作のはじめの部分がお試しで読める仕組みになっている。そこで発見した。パルフリー氏は植民地行政官だったという設定、それもビルマだ。作者の友人の批評家が役つくりにヒントを出した思い出を序文で語っている。現地の土着の人々の前では、新婚の若奥様でも「わたしは英国女性よ」という気概をみせるイメージが必要だと。なるほど、そう考えれば、ひときわ印象的な女性につくられているわけがわかる。
それはそれとして、パルフリー夫人を演じた俳優はジョーン・プロウライト、なんとローレンス・オリヴィエの3人目の夫人、いまや未亡人だそうだ。これは情報通の人のブログで知った。
劇中で熱弁を振るってプロポーズする老オズボーン氏はロバート・ラング、これはオリヴィエの仲間だとか。1934年生まれ。2004年11月、本作完成の2週間前に亡くなったと聞けば、なんだか劇が進行中みたいな気分になる。皆さんなかなか芸達者の俳優さんばかりで楽しめる。
印象的だったのはベルボーイのサマーズを演じたティモシー・ベイトソン。首なしさんのような背が曲がった体形、いつも口の中でモゴモゴ言っている鈍重な感じ。パルフリー夫人が入口の階段でころんだときは、取り囲んだ人たちを尻目にマネジャーに向って「救急車をはやくッ!」、びっくりするような大声ではっきりと叫んだのには笑わされた。達者な性格俳優、内に滑稽味を帯びた役を得意とするとか。1926年生まれだから80歳を目前にしたお芝居だ。2009年に亡くなっている。

ところで、このパルフリー夫人、朝食にはご持参のお手製ママレードを召し上がる。ほかのママレードではだめ。そこで思い出すのは大英帝国にはママレードにするオレンジも、それどころか砂糖すら生産できないということ。それが裕福な階級に属する人たちの朝食に必須の食品になったのはバレンシアからのオレンジとカリブ海植民地のおかげだ。サトウキビのプランテーションには奴隷労働が必要だった。いまどきホテルが個人用に食品を預かってくれるサービスがあるかどうか知らないが、古き良き時代のイギリスの伝統がのぞく一場面、テーブルの大瓶に入ったママレードが印象に残る。

良き時代と言えばパルフリー夫人の思い出の地に若者のカップルと三人で出かける。今や日本でも知られているらしいが、ビューリューの城と公園が出てくる。故地の物語は知らないがきれいなところだ。この映画の楽しみの一つだ。

インターネットでいろいろ個人的な感想を探ってみたが、なるほどと思えたのはアメリカ人の元校長先生の受け止め方。オスカーには無縁の映画だが、撃ち合い、殺人、車の追っかけっこ、ビルの屋上から屋上へジャンプする人間などなど、そんなアクション・シーンは一つもない、いや待て、パルフリー夫人が転ぶ場面がひとつある、ルードに出逢うきっかけだ…。とあって、ひたすらビューティフル、なんど見ても素敵だと書く。この人は聖書の講座も持っているような人だ。70歳を越した老人。
こういう静かな空気が流れる作品はアメリカでは得難いかもしれない。とくに老齢の人には気持ちが落ち着く、ゆったりした気分になる。古いモラルに合うとでも言えばいいか。『逢びき』の話が登場するのだから、まだ人々が自分の行いに恥ずかしいという感情が強くあったころの気分に合うとでも言えようか。若い人は別の感想を持つのは当たり前だけれども、ガサガサする世に棲む老人にはうれしい清涼剤だ。ときどき繰り返し見るのがおすすめ。108分。
言い忘れたけど、パルフリー夫人の偽のお孫さんはイカスネェ。ルパート・フレンド。
筆者のDVDは機器不調で作成できていない。YouTubeの予告編を借りることにする。
「クレアモント・ホテル」岩波ホール 予告編
(2017/11)