正確に言えばこの本は翻訳書である。原著は著者の堀田氏が英語で執筆してアメリカで2013年に出版した。それを著者自身が日本語に訳した。大幅な削除や加筆はしていないという。原題は『Japan 1941 Countdown to Infamy』。
日本流にいえば、昭和16年12月8日日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃した。日本政府の伝達技術のまずさのために外交交渉の打ち切りの通告が行われるよりも早く基地が雷撃攻撃されてアメリカ海軍は将兵と艦船に大損害を被った。宣戦の通告はなされなかった。攻撃された当日のアメリカは12月7日、日曜日だった。翌月曜日にルーズベルト大統領は議会でスピーチを行って日本の行動をだまし討ちと非難し対日宣戦をした。この時に大統領が使った言葉がinfamyであるので、以後12月7日がThe day of Infamyと国民に記憶された。日本語で屈辱の日と訳されるこの言葉は、ともすればアメリカにとって不意打ちされた悔しい日であるかのように誤解されているが違う。infamyは全くたちの悪い悪意をいう語で、The day of Infamyはいうなれば「悪意にまみれた日」であって人の感情を直接指すのではなく、その日付がそのように意味づけられていることを表す。著者の堀田氏は「不名誉に汚された日」としている。いうまでもなく不名誉で破廉恥だったのは日本のそこに至るまでの姿勢と行動であって、それに対するアメリカの見方が表れているのである。
ルーズベルト大統領のこのスピーチによって戦争参加に反対だったアメリカ大衆が一挙に愛国者に変わっていった。合言葉は例の「リメンバー・パールハーバー」である。同名の楽曲が大ヒットして、スピーチと共に入ったCDも市販されている。
著者がこの本を書くことになった契機は、アメリカ国民の間で、なにかというと引き合いに出されるリメンバー・パールハーバーという言葉が、それがいったい何だったのか、わからなくなってきているというアメリカの現実があることや、高校時代に渡米して、なぜ日本が真珠湾攻撃をしたのか説明できなかったこと、また、現在の日本人の間でも当時の当事者たちについて、どれだけのことが知られているか疑問に思えることなどが挙げられている。著者自身が理解を深めてアメリカ人に説明するために書いた本でもある。複雑な経過をたどった開戦事情が非常にわかりやすく述べられていることが読んでみてよくわかった。近衛文麿、松岡洋右、東條英機など人柄と言動が上手に描かれていて、小説的な風合いもある。統帥権の問題もうまく書いたなと感心した。
表題の「決意なき」とか原題の「countdown」とかの言葉が言い表しているように「こんな勝ち目のない戦をなぜ始めたのだろうか」ということは真珠湾を語る時に必ず出てくる疑問である。「どうせやるなら…」、「こうなってしまっては…」、あるいは百条委員会に臨む石原慎太郎元東京都知事のように「座して死を待つ…」とか、戦国時代このかた切羽詰まったときにいつも出てくるこういう物言いが1941年後半に政治の奥深い場所で何度も交わされたことだろうが、これは「いちかぱちか」の賭けである。東條が「人生一度は清水の舞台から飛び降りる覚悟がいる」と言うように、指導者たちが最後の一手に打って出たのも自覚を持っておこなった選択なのだ。沈着な政治分析家であった山本五十六は「かかる成算なき戦争は為すべきにあらず」と軍令部に警告していたが、半面では、ばくち好きの戦略家だったのは歴史の大きな皮肉だったと著者はいう。彼がいなければ真珠湾攻撃はなかったかもしれない。それでも日本は開戦に向かって動いただろうが「窮地に追い込まれて避けられなかった」とは言えない。この本は、それでは誰が、そして何が日本を導いていったのかを探ろうとしている。決められない人たちが、空気に反対できなくて…という風な結論にも見えるが、追い込まれるようになった原因が自分たちの対支方針や南方政策にあったことに気が付かなかった、あるいは棚上げする人たちであった。
集団で物事を決める際に、たとえ表面的にでも合意することを好む性質は日本人の傾向だが、これを文化としてしまうわけにはいかないだろう。副題の「現代日本の起源」が示唆しているように、著者は最近の福島原発事故、新国立競技場建設などの問題に至る道のりや事後処理の経緯などに、1941年の開戦前夜における政策決定にまつわる諸問題と同質のものを見ている。指導者の当事者意識や責任意識が著しく欠如する様相があまりにもよく似ている。けれども、現代の日本人は信条にしろ表現にしろ、当時とは比べものにならないほどの自由が許されているのだから、その自由に付随する責任からも指導者任せにはできないことを自覚しようと提案している。巻末に挙げられている参照図書と引用に使われた図書の数には驚かされる。約半世紀に及ぶ欧州と日本と太平洋にまたがる国際関係史から焦点を絞ってまとめ上げた手腕に深甚の敬意を表します。 (2017/3)
日本流にいえば、昭和16年12月8日日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃した。日本政府の伝達技術のまずさのために外交交渉の打ち切りの通告が行われるよりも早く基地が雷撃攻撃されてアメリカ海軍は将兵と艦船に大損害を被った。宣戦の通告はなされなかった。攻撃された当日のアメリカは12月7日、日曜日だった。翌月曜日にルーズベルト大統領は議会でスピーチを行って日本の行動をだまし討ちと非難し対日宣戦をした。この時に大統領が使った言葉がinfamyであるので、以後12月7日がThe day of Infamyと国民に記憶された。日本語で屈辱の日と訳されるこの言葉は、ともすればアメリカにとって不意打ちされた悔しい日であるかのように誤解されているが違う。infamyは全くたちの悪い悪意をいう語で、The day of Infamyはいうなれば「悪意にまみれた日」であって人の感情を直接指すのではなく、その日付がそのように意味づけられていることを表す。著者の堀田氏は「不名誉に汚された日」としている。いうまでもなく不名誉で破廉恥だったのは日本のそこに至るまでの姿勢と行動であって、それに対するアメリカの見方が表れているのである。
ルーズベルト大統領のこのスピーチによって戦争参加に反対だったアメリカ大衆が一挙に愛国者に変わっていった。合言葉は例の「リメンバー・パールハーバー」である。同名の楽曲が大ヒットして、スピーチと共に入ったCDも市販されている。
著者がこの本を書くことになった契機は、アメリカ国民の間で、なにかというと引き合いに出されるリメンバー・パールハーバーという言葉が、それがいったい何だったのか、わからなくなってきているというアメリカの現実があることや、高校時代に渡米して、なぜ日本が真珠湾攻撃をしたのか説明できなかったこと、また、現在の日本人の間でも当時の当事者たちについて、どれだけのことが知られているか疑問に思えることなどが挙げられている。著者自身が理解を深めてアメリカ人に説明するために書いた本でもある。複雑な経過をたどった開戦事情が非常にわかりやすく述べられていることが読んでみてよくわかった。近衛文麿、松岡洋右、東條英機など人柄と言動が上手に描かれていて、小説的な風合いもある。統帥権の問題もうまく書いたなと感心した。
何よりも、政策作成機関が正式に分割されていたことが問題だった。憲法の下で、軍は民事政府とは独立した形で、天皇に助言するということを認められていた。一般に「統帥権の独立」として知られるこの特権は、簡単に言ってしまえば、日本が、完全に矛盾している外交政策を同時に持つことができるということだった。(30ページ)作品の焦点が1941年春から開戦までの8か月に合わされ、そこに至るまでの原因要素となった1920-30年代の出来事は背景としてスケッチのように触れられている構成がわかりやすさに貢献している。著者はウイキペディアに45歳と紹介されているが、文章の日本語表現がきわめて口語的であるのも年代の功だろうし、これまでのこの種の題材での評論的著述と大いに違っていると思う。英語と日本語の表現の違いが著者を戸惑わせた名残はわずかな校正漏れらしい個所にみられるが取り上げてうんぬんするほどではない。
表題の「決意なき」とか原題の「countdown」とかの言葉が言い表しているように「こんな勝ち目のない戦をなぜ始めたのだろうか」ということは真珠湾を語る時に必ず出てくる疑問である。「どうせやるなら…」、「こうなってしまっては…」、あるいは百条委員会に臨む石原慎太郎元東京都知事のように「座して死を待つ…」とか、戦国時代このかた切羽詰まったときにいつも出てくるこういう物言いが1941年後半に政治の奥深い場所で何度も交わされたことだろうが、これは「いちかぱちか」の賭けである。東條が「人生一度は清水の舞台から飛び降りる覚悟がいる」と言うように、指導者たちが最後の一手に打って出たのも自覚を持っておこなった選択なのだ。沈着な政治分析家であった山本五十六は「かかる成算なき戦争は為すべきにあらず」と軍令部に警告していたが、半面では、ばくち好きの戦略家だったのは歴史の大きな皮肉だったと著者はいう。彼がいなければ真珠湾攻撃はなかったかもしれない。それでも日本は開戦に向かって動いただろうが「窮地に追い込まれて避けられなかった」とは言えない。この本は、それでは誰が、そして何が日本を導いていったのかを探ろうとしている。決められない人たちが、空気に反対できなくて…という風な結論にも見えるが、追い込まれるようになった原因が自分たちの対支方針や南方政策にあったことに気が付かなかった、あるいは棚上げする人たちであった。
集団で物事を決める際に、たとえ表面的にでも合意することを好む性質は日本人の傾向だが、これを文化としてしまうわけにはいかないだろう。副題の「現代日本の起源」が示唆しているように、著者は最近の福島原発事故、新国立競技場建設などの問題に至る道のりや事後処理の経緯などに、1941年の開戦前夜における政策決定にまつわる諸問題と同質のものを見ている。指導者の当事者意識や責任意識が著しく欠如する様相があまりにもよく似ている。けれども、現代の日本人は信条にしろ表現にしろ、当時とは比べものにならないほどの自由が許されているのだから、その自由に付随する責任からも指導者任せにはできないことを自覚しようと提案している。巻末に挙げられている参照図書と引用に使われた図書の数には驚かされる。約半世紀に及ぶ欧州と日本と太平洋にまたがる国際関係史から焦点を絞ってまとめ上げた手腕に深甚の敬意を表します。 (2017/3)