2024年2月10日土曜日

『日本精神史 近代編 上』を読んでみる

朝日新聞に紹介されていたのに気をそそられて読んでみた。下巻のほうがよく親しんだ書き手が多いので先に読みたかったが、あいにく図書館では貸出中だった。著者は、すでに江戸期までを上下巻の二冊に編んでいて、新たに近代編を同じ手法で引き継いだという。その探求の手法は、美術と思想と文学の三領域にわたる文物や文献を手がかりに、そこに陰に陽に示された精神のありさまをことばにするやりかたである 。著者は敗戦翌年の1946年に小学校入学という世代である。身近な体験は歴史と時代の流れとさまざまに交錯するが、「体験を客観化できるような広い視座のもとで時代の精神に形を浮かび上がらせたい」と述べている。その著者より一回り早く生まれている読者の私は、本書の行間に想像を巡らせたり、記憶を辿ったりしながら読み進むが、著者の知識にはもとより及ばない。新しく知ることのほうが多く、知っているはずの事柄にもあらためて教えられることが多いという経験をした。文章が易しいのが魅力だ。萩原朔太郎についての場合など、当方が詩に不案内のために難しく感じることはあっても全体的に読みやすい。この著者はヘーゲルをやさしく説くことで知られているそうである。脳が弱ってきたいまの私が読んだことを蓄積するためには、繰り返して読むことが必要になるが、この本は分厚い。上巻は540ページあるから読み返すのも大儀ではある。
最初に登場するのは画家の高橋由一、この人の名はおぼろげに思い出した。油彩画の『鮭』の人だ。明治維新のときにすでに40歳、武芸にも秀でていたが病弱のため幼い頃からの画才で身を立てる。洋製石版画を見て「絵がなにからなにまで真にせまっている上に、なんともいえぬ味わいがあるのを発見し」て洋画習学を志して幕府洋書調所画学局に入る。油絵の絵具や絵筆の何一つ揃わない頃、唐絵や大和絵の道具などで工夫した。由一自身の言葉に、西洋の画法は[真をうつすこと」(「写真」)を本質とする、真を写す洋画は国家社会に役立つなどとある。この国家社会に役立つというのは師の司馬江漢を見習ったのだと著者は説明する。それは、何をどう描くかにある。著者は洋画の写真性をリアリズムの語に置き換える。絵を描くことにリアリズムを求める点で由一は司馬江漢の忠実な弟子だった。 
「思想が豊かであって、描かれていないもののおもしろさまで想像できるような妙境に達していなければ、愛するに値しないし、後世に残す価値がない。筆の運びが緻密でも、なにをどう描くかがきちんと考えられていないものは俗っぽく下品な絵であって、筆の跡が粗略でも、なにをどう描くかが考え抜かれた絵は品が良く格調が高い」。

 これらは由一が油絵の価値と魅力をどのように捉えていたかを示す文言を著者が現代文に訳した文である(『日本近代思想大系17 美術』岩波書店1989年195ページ参照)。

で、その由一の精神のさまを著者は『豆腐』と『鮭』の二つの静物画に照らして追跡している。本書にはこの二作のモノクロ写真が示されて著者の解説があるがここでは割愛する。「表現のジャンルはちがうが、坪内逍遥も、正岡子規も「実」を写し「生」を写すのに全神経を集中して世界と向き合い、おのれの表現と向き合い、どこまでも続く実験と探求の道を歩まねばならなかった。一歩一歩の過程の集積によってしか出来上がらぬリアリズムの世界は、理念が定まればあとは勢いで行けるというものではまったくなかった(30ページ)。その都度新しい経験を積まなくてはならなかったというわけだ。由一のことばに「絵というものは精神のなす仕事なのだ」(岩波前掲書173ページ)というのもある。求道の精神だ。

現在の読者にはインターネットで絵を見ることができる便宜がある。美術館ゃオークションの見本などで色彩まで見ることができるのはありがたい。どうしても見つからない作品、たとえば村上華岳『晩照帰鴉図』、本書に写真もない。こういうのは、著者が細部にわたって説明しているからには美術全集などで見られるのであろう。

第一章 「近代の始まり」には、もうひとつ『米欧回覧実記』を題材においている。私にとっては30年ほど前に日本語の語彙をさぐるのに利用したり、掲載の銅版画の風景をいまに求めてスイスを旅行したりした懐かしい書物である。私は岩波文庫で読んだが、内容に興味をもった4歳下の友人は現代文の版でしか読めないと言った。いま戦乱に荒らされているウクライナの広大な農地は、この書物での車窓に見えるロシアの風景なのかもしれない。

何でも見てやろう精神の記録とでも言えそうな『米欧回覧実記』は、リアリズムが新しい時代を切り開こうとする人びとに共有された時代精神にほかならなかった。岩倉大使一行に随行した、のちの歴史学者、久米邦武の編纂による記録は何もかもが克明だ。かつて私が一部を利用した銅版画は300枚以上もの各地の写真を銅板に彫って挿絵にしたものだそうだ。

明治初期に結成された岩倉使節団は、政治権力者や知的エリートをもって任じる人物を多数ふくむにもかかわらず、海の向こうから押しよせる西洋文明にたいして、その力強さ、その広がりの大きさと奥深さにたいする驚きと戸惑いをもちつづけ、旅の途中でも記録の編修に携わる時期においても、文明に学ぶ姿勢は強まりこそすれ衰えることはなかった。学びの難しさ、ゆたかさ、楽しさが強く実感されているかぎり、人びとの上に立っているという意識は背後に退き、むしろ、自分たちの経験した事柄を人びとにきちんと伝え、人びととともに学んでいこうとする姿勢こそが全面に出てきたのだと思う。(44ページ)

と著者は書くが、現在の我が国の政治家と自称する人たちに是非学んでいただきたいものだ。さらにまた著者は、「西洋各国の外交は、表向きは親睦と公平の形を取るが、裏ではつねに相手の権謀を疑っている。[…中略…]ヨーロッパの国々が戦争中にめぐらす権謀にはあらゆる嘘が入りこんでいる。」(文庫三、116ページ)と批判のことばを引用しながらも、これによって読者は驚くことはないし、不愉快になることも溜飲の下がるおもいをすることもなく、冷静に事態を受けとめることができる。書き手に学ぶ姿勢が保たれているためだ。学ぶ姿勢が全編をつらぬいていることが、この啓蒙書にたぐいまれな知的爽快さをあたえていると思う。」(45ページ)と締めくくっている。

さて、このような学ぶ姿勢でいられる時代は長くは続かなかった。やがて日本人は日清・日露の戦争と国家主権の確立と地政学的な領土問題に直面する。福沢諭吉は啓蒙家として大きな足跡を残してはいるが、文明を楽観的に展望し、個人の学ぶ力の養成を説く姿勢はいざ帝国主義のもとに大陸進攻がうたわれる頃になると、その主張も国策に沿って変化する。

このあたりの問題について著者は、「なによりの問題は、個としての人間一人一人を、独自の思考と意志と感情をもつゆたかな主体的存在としてとらええない人間観の貧しさにあると思う」と鋭い。新しい世界とは、文明が進歩する社会にあって個人もともに進歩するものと楽観的だったようだ。

近代の原理とは、共同体に包摂されてきた個人を、独自の意味と価値をもつ一存在として打ち立てることだったのである、とは著者のことばである。共同体の中で仲間と一緒に過ごしてきた自分が、ほんとに自分が満足しているか、他にやりたいこともあるのではないかなどと思いめぐらすとき、自分に目覚めるなどという。独自の意味と価値をもつ一存在とは、目覚めた自分のことである。こうなると周囲と難なく打ち解けていた自分が変わってしまう。近代の原理とは自分と周囲との対立や矛盾のことだ。共同体と自己との矛盾は現代でもところに応じた形になって世界中で生じる。人間をこういう生き物だと思ってしまえばそれまでであろうが、人はなんとかしてその矛盾を乗り超えようとする。どうも福沢先生はこのあたりで行き詰まることを想像しなかったみたいだ。

近代の原理が日本の社会に根付くのはいまでもむずかしいが、福沢が富国強兵や殖産興業、さらに海外侵略に快感を覚えたのは、そういう時代に生きた人の限界だったのだろう、ということを私は教わった。個と集団の矛盾という問題は、いつも新しくて解決しないのは、最近の日々の社会的出来事で感じることだが、同じ事象が起きていても福沢の時代には人びとは、そのおかしさを感じとることができなかったにちがいない。人間観の貧しさとはそういうことだろう。

福沢の説く啓蒙思想は時代が進むと、富国強兵や海外進出を推奨するものへ変質した。精神史は読んで字のとおり歴史であるが、時代時代の精神はその時どきの人びとの活動状態にあらわれる。人それぞれにその時どう生きたのか、記録が大事にされてこそ真実が解る。話がとぶが、現在という時代の日本の精神史はどういうふうに描かれるだろうか。片っ端から記録が消されるいまは、暗闇を前にしたたそがれの時代みたいだ。

上巻は第十章まであり、韓国併合や大逆事件という国の右傾化、鴎外と漱石、柳田国男の民俗と柳宗悦の民芸、斎藤茂吉、宮沢賢治など、どこを読んでも私にはおもしろいし、著者の書きぶりはやさしくとも繰り返し読んで自分のことばでの表現にしてみる楽しみもある。あとに下巻も控えているが、読み通すまでが大変だ。

読んだ本:長谷川 宏『日本精神史 近代編(上)』2023年 講談社

(2024/2)