2023年10月2日月曜日

読後感想  辻原登『村の名前』

 辻原登については前回当ブログの『闇の奥』(2010年)


のほかいくつか読んでいるが、芥川賞を受けたのは一体どんな作品だろうかというのが本作に近づいた契機だった。「文學界」19906月号に発表され、同年第103回芥川賞を受賞している。この作品も現実と幻想のあわいをゆく物語でありながら読者をうまく案内する手腕はさすがであると感じた。舞台を中国奥地に設定して桃源郷が出てきたのでまたかという感じではあったが、こちらの方が初出であり、『闇の奥』のほうが二番煎じである。

日本商社の青年社員橘が畳表をつくる藺草(いぐさ)を求めて中年のビルマ戦線経験者である畳販売業者とともに中国奥地に向かうとの設定である。

行きつく先は奥地の桃源県桃花源村と出ているが、現実の地図で湖南省に実在する。香港経由で広州まで1日半、その後予定した空路が故障で列車に変えて17時間、更に奥地目指してトヨタのヴァンで目的地に着くという強行行程だ。ネットで目的地を探っているうち桃源郷のモデル『湖南省桃花源村』が私の故郷です」という投稿が出てきた。地図で見た通り湖南省常徳市の郊外、現在でも上海経由で飛行機乗り継ぎとバス5時間で1日半かかると書いている。桃源郷というのは陶淵明の創作詩『桃花源記』がもとになっているが、常徳市の他にも桃源郷の名を持つ地名が別の省にもいくつかあるらしい。繰り返すが、『村の名前』は常徳市郊外の桃花源村に題材をとっている。現在の桃花源村は豪華な観光地になっている模様で写真も多いから、小説の読者はとりあえず現実地域の探索はよして、作品に没頭して主人公たちの旅程と気候の苦難を味わうことが肝心である。その後で現在の現地状況を知ってみると作者が文章の裏に秘めた事情が透けて見えるような気がする。

貧しい村に踏み込むと終始あとをつけてきている公安がすかさず立ち入り禁止を申し渡す。夜間に宿泊所で騒ぎが起きたのは殺人事件で、パトカーが来たと思ったのは県の公安だと教えられる。これらのことの裏には常に中央政府の圧力が一部人民にかかっている事情が読み取れる。現在わかりやすいモデルはウィグル自治区を考えればいいだろう。似たようなことが桃花源村で起こっていて、作者は上手に幻想ででもあるかのように書き記していると筆者は類推した。

作品の中で論理的に無理があるかのように見える箇所は、いつのまにか相手との言葉の壁がなくなっている場面であろう。これは遂に近づき得て親しく話を交わせるようになった相手との場合に起きる状況だ。チョムスキーの唱えるように自然文法がなせる状況だと思えば不思議ではなくなる。まして主人公はカタコトの中国語が話せて、一方広大な中国奥地では様々な中国語が交わされている状況があるから、同じ中国人の間でも話し言葉が通じないのは日常的である。

物語の終わりに向けて強引な妥協案が持ち出される。日中ホテル建設協議書にサインを迫られる。藺草の件は任せろと言わんばかりだ。ここでサインをしなければ無事に帰国できる保証はないという状況に追い込まれる。ここで読者は、というより筆者は現在のインターネット上の旅行案内に豪華なホテルが多数紹介されている状況に思い当たるのだ。ついで持ち出された藺草契約書に橘青年は辛うじて、製品見本照合の上、との一項を書き加えて署名した。翌朝エンジン音がして迎えの車が到着するところで物語は終わる。

本作の執筆当時、中国や桃花源村の状況についてどれだけ作者が知っていたものか全くわからないが、後に『翔べ麒麟』など題材を中国にとった作品などがある作者には、それなりの情報があったと考えてよかろう。一方、芥川賞選評の中にはこういう裏事情に関することは一切見られない。評者や編集者の中には知っていても表面には出さない慎重さがあったのかもしれない。筆者は大逆事件に題材をとった『許されざる者』で作者の思想傾向を知り得ていたため、作品中の端々からここに記したような作品背景を勝手に想像したまでである。結論として本作は芥川賞にふさわしい出来栄えであるとされたことに異論はない。

この度本作を読んだ電子本には『村の名前』のもとに『犬かけて』という別の作品が併載されているが、筆者の興味が今ひとつなので感想は記さない。

読んだ本:文春ウェブ文庫版『村の名前』2002年     (2023/10)