著者の姓の珍しさに惹かれて近づいた本。駒場教養学部現役教授だった頃には、テキストの読みにたいする厳しさを、学生たちは教師への最高位評価の「大鬼」を捧げることでこたえたという。著者の姓は「こうのし」とお読みする。
出版されてはや20年、この間、学界の研究にも新しい知見が数多くあっただろうから、本書に述べられた言説はもはや古くなっているかもしれない。しかし、1700年も前の時代の文献について教わるに当たって、読者たる筆者にとってはなんであれ新しい知見であることに変わりはない。
さて読みはじめて戸惑ったのは易しい言葉遣いであるのに理解が難しいことだった。記紀二書のそれぞれの成り立ちを追う過程が説明される文章を、実に緻密に読まなくては趣旨が会得できないという、ひとえに読み手に負わされた課題に立ち向かわされた。けれども、西洋哲学を説く日本語文章の難解さなどとはまったくちがう愉しさがあったことは特記できる。
記紀、あるいは記紀神話という言い方でどちらも同じ神話をもつと思われている。『古事記』と『日本書紀』は当然に別個の書物であって、それぞれがもつ世界観によって異なる物語がつくられている。これが神野志博士の説く基本前提である。たとえば、『古事記』上ッ巻と『日本書紀』巻一・巻二の神話物語をくらべる場合の一例。『古事記』ではイザナミは死んで黄泉の国へ行ってしまう。黄泉の国から逃げ帰ったイザナキは禊(みそぎ)して穢れを祓う最終段階で、天照大御神、月讀命、建速須佐之男命の三貴神を得る。
『日本書紀』ではイザナミは死ぬことはなく、黄泉の国もない。二神が共同して、大八州に続いて山川草木を生み、さらに日の神、月の神、ヒルコ、スサノオまで生む。日の神は大日孁貴(オホヒルメノムチ)と名づけられ、その霊異を褒められて天界を統べるようにと天上に送られた。スサノオはその無道のゆえに二神は根の国に追放してしまった。
天孫降臨に例をとればアマテラスの役割はまったく別物として語られている。『日本書紀』第九段に、天照大神の子、アマノオシホミミノミコトがタカミムスヒノミコトの娘タクハタチヂヒメを娶ってニニギノミコトをうまれた、とある。アマテラスの登場はこれだけであって、以後何もしない。地上平定を意図してニニギを送り出すのはタカミムスヒである。更にタカミムスヒが発意しただけでは地上世界の君主となることは保障されない。天の世界に属するだけでは条件不足で、地上においてタカミムスヒの発意を実現するためには、降った神とその子孫による経営が必要だった。よって五代のち(*)のカムヤマトイワレビコ、つまり神武天皇の働きがヤマトにあって天下を治めることになった。『古事記』で降臨したニニギがはじめから葦原中国を支配するよう決められていたのとは違う(*タカムスヒータクハタチヂヒメーニニギーヒコホホデミーウガヤフキアエズーカムヤマトイワレビコ)。『日本書記』では降った神たちが自力で天皇への道を開いた。これを著者は「経営」と評する。
著者、神野志隆光氏は『古事記』『日本書記』をそれぞれの世界像(コスモロジー)によってつくられたと説く。『古事記』はムスヒの、『日本書紀』は陰陽のコスモロジーだという。ムスヒは「万物を生成する根源的霊力(エネルギー)を意味する」。ムスヒの神は『古事記』の核心をなす。ムスヒ二神と記述されるのは高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)と神産巣日神(カムムスヒノカミ)だ。要所要所で他の神の仕事を助けに出現している。天地はすでに成り立ち、高天原という天の世界にムスヒをはじめとする神々が出現するところから『古事記』は始まる。『日本書記』が陰陽のコスモロジーだというのは、天地が分かれ、イザナキ・イザナミにいたる神々が出現する第一段から第十一段まで徹底して陰陽の原理すなわち男神女神の共同によって天皇の世界が成り立った物語であるからだ。ちなみに『日本書記』には高天原はない。
記紀はそれぞれ、断片的にあったかもしれない伝承を世界観にしたがって別個に構成してできている。であるのに、二つの神話を同一であるかのように考える習慣から理解に混乱が生じる。一例を、著者は『万葉集』の読み方で、柿本人麻呂の草壁皇子挽歌(巻2・167)にみる。草壁皇子が天武天皇の崩御のあと、皇太子でありながら即位することが叶わずして早世したことを歌の意味に込めている部分の解釈である。
天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分かち 分かちし時に 天照らす 日女(ひるめ)の命 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合いの極み 知らしめす 神の命(みこと)と 天雲の 八重かき分けて 神下し いませまつりし高照らす 日の皇子は 飛ぶ鳥の 浄みの宮に 神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神上がり 上がりいましぬ (後略)これは前半部分である。「神下」した「日の皇子」が「神上」がった、という。「日の皇子」は誰かというに、上からの続きでは天孫降臨のニニギとも、下への続きからは天武天皇とも考えそうになる。著者は、万葉集注釈家が記紀に、ニニギが降臨したとあるのを動かせない前提にして解釈しようとするとして批判する(142-8ページ)。そして、素直に読めば天武天皇が降臨したのだと断言する。
神々が集まって神の領分を分けたとき、天は日女の命、地上は神の命が統治するのだと決まって、神降ろして行かせ奉った高照らす日の皇子が飛鳥浄御原宮に神として御殿を構えられ…と読む。素直に人麻呂が歌う通りに読めという、厳しいテキスト理解を強いる。
既に書いたが、天武天皇が降臨したのだ。「すべての神々が関わった定めに根拠づけられて、世界のある限り貫かれる秩序を実現する存在として、天武天皇があらわれる」。先立つ天皇たちは存在したけれども、天武天皇こそ、正統な、永続する秩序のはじまりをになうという。「柿本人麻呂は天武天皇を始祖として神話化したというべきなのである」。
『日本書記』天武2年8月25日条に、新羅の弔喪使(前の天皇の弔いの使い)を受けず、賀騰極使(新天皇の即位の賀の使い)だけを受け入れたとある。対外的に、前王朝と断絶した新王朝であることを明らかに表明したのだ、と文献(秋間俊夫1976)を参照している。また天武が歴史上はじめて「天皇」と称したとの文献(東野治之1977)も参照している。だから天武天皇は始祖と言える。
このように著者は『古事記』『日本書記」に現れた神話にこだわることなく、人麻呂の歌を素直に読むことを教えてくれる。ただし、この歌の途中にわずかに引っかかる部分があるという。すんなりと読み下せたはずの文脈に、何かつじつまの合わない箇所があることにわれわれも気がつく。「途中に落差をつけて重なっている、二段式の滑り台を滑降するような」と卓抜な比喩で説明した研究者(粂川光樹「試論・人麻呂の時間」1973)を紹介しながら、このような遡っては辿れない文脈は、古代の歌の口承的性格として理解することができようと記している。
著者は古代の歌の口承的性格と書くが、筆者はこれを古代に限らないと考えている。口頭で長い話を伝える時に、ときとしていま口の端に乗せているのとは別のアイデアが閃くことがある。いつの間にか話が別の軌条に移っていると気がつく経験は誰もがあると思う。口から出てゆく言葉は単線に乗っているが、脳の中では複線が走っている。口頭によるコミュニケーションの特徴だろうと思う。歌には抑揚と拍子の調子が伴うから、こういう特徴が発生しやすいだろうと思う。そのために、口頭で読み下すときには抵抗を感じない箇所も、テキストではつながりが悪いということも起こり得る。この人麻呂の挽歌の前半の終わりから後半に移る箇所にはそういうことが認められる。よって筆者は著者の説明を少し広げて、ここに掲げた前半につづく「わが大君」が歌の前後半をつなぐ働きをしていると解したいが叱られるであろうか。
…神上がり 上がりいましむ 我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴からむと…
さきに記したように、著者は、人麻呂の挽歌をもニニギが降臨したかのように説明する万葉注釈があると批判する。注釈家が、記紀の成立は人麻呂歌より20年以上も後であるにかかわらず、人麻呂も記紀が基づくのと同じ神話を踏まえて歌ったと見るからだ、としている。言い換えれば、ニニギ伝説は記紀以前にも知られていたのかもしれないが、そうであるとしても論拠が何もなく単に注釈家がもつ刷り込みをもとに論じていると批判するのだ。著者の立場で言えば、『古事記』と『日本書記』は異なる世界の神話であるから、そこに「同じ神話」を見ようとすることがすでに無効であるということである。
そういうことよりも、著者がこの人麻呂の挽歌で強調するのは、上に記したように人麻呂はこの歌で、天武天皇を神にしてしまったことである。記紀を二つに分けて考えることで、この考察が可能になった。そして著者はこのことを人麻呂による新たな神話であるとしている。これも含めて多元的な神話を見るべきであろうと主張する。
長くなるのでここには触れないが、本書で著者は「祭祀と神事」「二つの神話」の一元化などが『古事記』と『日本書記』の合成などで作為的に行われてきた歴史を文献に拠って明らかにする。章立てでは、本居宣長を最初に置いて、『古事記伝』によって古典としての『古事記』の確立を果たしたと評価する。それは「古昔より世間おしなべて、只此書紀をのみ、人たふとび用」いる中世の状況を宣長は転換したと見るからである。次いで遡って古代神話を論じ、順次、天武期の中国を模倣した国家創始、平安期の六度に及ぶ「日本書記講筵」などによる書紀作り変え、中世の神道・仏教・儒教をあわせて論じる中心に置かれる書紀、明治憲法での古事記神話による記紀一元化をそれぞれ簡潔に括って、天皇神話がつくられてきた様子を論じている。『日本書記』はこのように利用されてきたのだとあらためて思い知る。新天皇即位や大嘗祭儀式などをひかえている昨今の状況から一段と興味がそそられる。気がつけば、本書の副題は「天皇神話の歴史」であった。(2019/8)