2018年6月19日火曜日

読書閑談 本を選ぶ ペリー提督日本遠征記(その1)

今回はいわば失敗談である。買い置いた本を読み始めたところ、いろいろな欠点がわかったので同じ内容で別の本を読むことにするという話である。だから本を選ぶと書いては見たが、読みたい内容を読みやすく自然な日本語で書かれている本を選ぶことについて書こうというわけである。


『ペルリ提督日本遠征記』を読み始めた。読み始めた動機は終活、身の回り整理の一環である。この頃は遺品整理のチラシがよく入る。どこかでコチラの様子を窺っているのだろうかと疑いたくなるのは僻目か。

いかにも古そうに見える岩波文庫のかたまりが本箱にずっと眠っていた。今どきの文庫本は表紙の外にきれいなカバーが付いているがこれは違う。4冊のうち3冊にはパラフィン紙のカバー、1冊はむきだしで、むかし懐かしいデザインの表紙である。買ってからかれこれ30年ほどにもなろうか。神田の古書店で4冊一括、ン千円かだった。すでに絶版だったらしい。
パラパラと面白そうなところを開けて読んでみる。漢字は旧字体、仮名遣いも旧式、全体の日本語も古めかしい。活字が小さい、印刷が薄い、紙質も良くない。ページの四辺から焼けてきていて茶色になっている。ページを静かにめくらないと紙が破れるのでなくて壊れるような感じがする。(一)から(四)までの、これは(一)についてである。4冊それぞれの発行年がバラバラ、(一)が一番古い。奥付には昭和23年第1刷、昭和35年第4刷発行とある。これは物としての本の古さを表している。
訳者は土屋喬雄(1896(明治29)年ー1988(昭和63)年)、玉城肇(1902(明治35)年ー1980(昭和55)年)のお二人、経済史の学者さんだ。あとで紹介する訳者解説にあるが、岩波文庫に入ったもとの訳稿は昭和10(1935)年の弘文荘刊行のものだという。昭和20年に文庫に入れるに際しても伏せ字をもとに戻すほかは、ほとんどそのままということだから、手元の岩波版の日本語は戦前のもの、訳者両氏が39歳と33歳のときの言葉ということになる。
これでは古めかしいのも仕方ないと思いながら少しずつ読んでいたが、どうにも気になること、つまり訳語がヘンだ。ヘンの理由の一つは今使われていない漢語らしき言葉、たとえば「不慎」。いまひとつは誤訳または日本語の誤用、「牧師が心貧しく、有徳で云々」という例。牧師が心貧しかったら、お話にならないではないかという疑問にとりつかれる。この二つの例で躓いた。
翻訳上の疑念を調べるには原文がいるが、これはEPubを利用した。これならフォントサイズも自由に変えられて読むのが楽である。欠点はスキャナの読み取り間違いがあることだが、とにかくこれで疑念を解明できる見当はついた。失礼な言い草ではあるが、岩波本の訳語と編集が雑だということがわかった。
それではもっと優れたな邦訳本はないか。ペリーの日本遠征記でほかの邦訳本を当たってみると、法政大学出版局から1953年に出ているが、これは信頼できそうではあるもののすでに古書しかない。新しいのは角川ソフィア文庫の上・下、2014年刊がある。これが図書館にあったので借りてきた。さきに岩波版について述べた欠点が一切解消されている感じで非常に読みやすい。何を苦労して欠陥品で読む必要があろうかという次第になった。それでも、わが岩波版は直ちにゴミ扱いになるのではなくて参照資料として役に立つ。何よりも訳者の苦労が偲ばれる著作だけに、読者としては簡単には袖にするわけにはゆかない。早い話が訳者解説に記されたアメリカでの原著出版状況や版本の構成など、昭和10年ごろの日本におけるこの種調査の不自由さとあわせて理解できた。当時全訳としたが、後述するようにアメリカでの全3巻の刊行のうちの第1巻だけの全訳であると述べられてあるのは、現在の他社版も同じだ。


さて、新しい訳本を見ることができて、それは良かったのだが、この角川ソフィア文庫本にも元の版があることが付記されてあった。2009年に万来社から刊行されている。そうであったとしても当方としては遠征記を読むという作業に関しては不便が解決済みだから、もはやどうでもよいはずのことである。ところが、ネット検索でこの万来社を追っているとき、アメリカの「ペリー提督遠征記」全3巻の完全翻訳版が存在することを知ったのだ。それは大変にすごい仕事で、新しい技術を駆使しての出版は、学術資料として非常に意義深い業績になっている。オフィス宮崎という日本語、外国語相互翻訳の文化事業を進めている会社だった。参考までにそのサイトを紹介しておく。まことに美麗な画像がある。
アメリカ原本の遠征記は第1巻が遠征にかかわる物語で第2、3巻は資料的な内容で日本の自然環境、生物種類、水路図など多岐にわたる。これら資料は専門分野で歓迎されて利用されているという。全3巻でのお値段が15万円にもなってしまったため、一般読者用に第1巻だけを万来社版で出版したとのことである。ついでにおまけ情報が付いた。サイトでオフィス宮崎の制作ストーリーを読んでいると、抄訳が1912年に出ていると書いてある。ならば明治45年だ。ペリー遠征記のわが国での翻訳は、このあたりが一番古いのかもしれない。アメリカ初版1856年から56年後である。
オフィス宮崎制作ストーリー『ペリー艦隊日本遠征記』http://www.officemiyazaki.com/jpep/60

最後に岩波版(一)の冒頭に付けられた解説のうち、ここでしか得られそうにないアメリカ版本と弘文荘版についての情報を記録しておく。字体および仮名遣いは現在のものを使用する。
なお「解説」の筆者は文面から玉城氏とわかるが、続いて「重版に際して」の言辞もあり、こちらは無署名ながら同じ筆者とうかがわれる。前者は昭和20年11月、後者は昭和28年6月の日付があり、前者にはマッカーサー将軍が民主主義日本の黎明を告げる人となろうとしているときに刊行することに深い感慨を覚えるとしているのに対し、後者ではその後の歴史の推移は必ずしも同氏の予言を裏書きしていないようだと暗に怒りを込めた文になっている。戦前最後の数年間、このお二人ともに相当の苦難に遭われた様子も想像できることを付言する。「重版に際して」の文章には、同年5月にペルリ来航百年祭が下田をはじめ各地で催されたとあって訳者の感慨が伝わってくる。
この記録は合衆国の第33議会第2会期中に特殊刊行物第97として、1856年春に印刷に取りかかり、合衆国印刷局において数十冊を紙表紙仮綴四巻として出版したが、その後、ワシントンの一印刷業者によって刊行されることになった。この遠征記にはいろいろな異本があって、訳者(玉城)が、かつて諸版本の巻数につき「書物展望」(昭和10年6月)に疑問を提出して以来、わが国学会の論争を集め、諸大家先輩からいろいろと教えられたのであるが、結局元老院 Senate 版と衆議院版 House of Representative 版との二種があり、前者には更に水路図を別冊とする四冊本と、これを別冊とせず、第2巻に合綴した三冊本との二種あり、後者はほとんどすべて三冊本であるという結論に達した。しかして最も完全なペルリ遠征記は、元老院版の四冊本であるということになった。この結論に達するまでには、昭和10年から昭和13年までを要し、この研究に参加されてご教示を賜った人びとは坂西志保女史(当時、合衆国議会図書館在勤)、幸田成友博士、川田久長氏等であった。本書は、右の遠征記の第1巻(所謂本記)の全訳である。他の付録第1巻(自然科学および諸種の報告)、同第2巻(天文学上の観測)、第3巻(水路図)は翻訳していない。これまでに、この遠征記の抄訳、部分訳等二三種刊行されているが、いずれも満足なものではない。私たちは昭和10年に初めて、本記の全訳を弘文荘から上下二巻として刊行した。彩色版、凸版も、原書のまま全部挿入し、最も珍奇とされている「下田の公衆浴場の図」(原書でも除いてある版が多い)も挿入した。幸いに私共の訳書は研究家から大いに称賛の辞を頂戴したが、これは500部の限定版であったために、あまり流布しないでしまった。(後略)

というわけで、今回は出版物としての「ペリー提督遠征記」のことに尽きる。(2018/6)