2017年12月30日土曜日

スピーチバナナ——「聞こえ」について・難聴と認知症

スピーチバナナは知らなかった。聞こえの話だ。人が話すときの音声を聴力検査の図に当てはめるとバナナに似た形に表現される。次の図が一つのモデルだ。
シニア安心相談室のサイトから
図の黄色の部分が人の音声の範囲を示す、つまりスピーチバナナだ。縦軸は音の強弱をデシベル(db)で表し、上に行くほど弱くなる。横軸は音の高低を周波数ヘルツ(Hz)で表す。右のほうが高い。日本語の場合はアイウエオ(母音)が低音、サ行音や若い女性の声が高音になる。

図のピンクの部分が難聴者一般の傾向を表しているが、高い音が聞こえにくいことが示されている。

この図では黄色部分に含まれない音に対する聞こえ具合も示されている。犬が吠える音や大きな歌声の絵がある。比較的に低くて強い音だ。鳥の声などは高くて弱い、つまり耳の遠い人には聞こえにくい。人の声以外は自然音、あるいは話の邪魔になるのは雑音と呼ばれる。
先日補聴器センターで聴力を測ってもらったが、左右ほとんど同じで見事に黄色部分から外れる結果であった。補聴器は聞こえない音を補強してくれる装置だ。人間の耳は実をいうと体外の音を脳に伝える役目をするだけで、音を認識するのは脳であって耳ではない。聞こえにくい現象は耳の細胞が不調になるために起こる。鼓膜の奥にある有毛細胞の毛がなくなると音が受け入れられなくなる。年齢とともに高音部を受け持つ毛から消えてゆき、再生はしない。補聴器は耳が受け止めない音を拾うための集音と拡声の役目をする。つまり小さな声と高い声を大きく聞こえるようにする機能がある。人間の脳は雑音の中での会話であっても必要な話声を認識する機能があるが、補聴器はあらゆる音を拾って拡大するだけだ。そのため聞こえない声を聴く目的の補聴器であっても、不要な音も同時に大きくなって耳に入る。本人にとってはうるさいだけで役に立たない。向かい合っている人との会話も周りの人がしゃべっている声も、全部一緒に耳に入ってくる。何が何だかどの人の声も雑音に変わって苛立つばかりになってしまう。この点はまだ技術ができていない。相当改善できた補聴器もあるようだがまだ値段が一般的でない。両耳で百万円と聞いている。それでいてまだ十分ではないはずだ。今のところ難聴者はまめに補聴器を整備してもらうことと、話しかける健聴者の協力に頼るしかない。
そうはいっても補聴器なしで聞こえないのを我慢しながら日常を過ごすのは、ストレスにもなるし、人と話をしなくなることから脳のコミュニケーション機能が衰えてくる。つまりこれは認知症の始まりである。脳の活性を保つことが認知症の予防になる。体全体の血流をよくすれば脳の血流もよくなるから、運動が認知症予防に推奨される。そのことと脳のコミュニケーション能力を維持することとは別物だろうと考える。ただ黙々と筋トレや体操をするだけでは足りないと思われる。人との交流と会話がいちばん、文字を書いたり料理をしたりするのもよい。孤独死に高齢男性の一人暮らしが非常に多いのは当然の結果を示しているのであろうし、その手前に認知症がある。聞こえが悪くなるのは、その程度と年齢が人さまざまであるから一概に言えない。はやいうちから聞こえの問題に敏感になることと、耳を大切に使う心掛けが必要だ。ヘッドフォンは快適ではあるが大音量は絶対にいけないし、長時間の使用も細胞の損耗につながる。耳が悪くなって、はじめていかに世間の人たちが聞こえに関する知識がないか痛切に感じている。(2017/12)