2017年6月11日日曜日

『1491』を読んで(1)オルメカ人頭像、あるいはコロンブス以前のこと

ここのところひと月かふた月か、大きな石頭に悩まされている。イシアタマではない。セキトウ、つまり石でできた頭のこと。巨石美術です。堀田善衛さんの「『ねんげん』」のこと」という短編小説を読んだときに出逢った。「ねんげん」は中国か朝鮮半島の人が日本語で人間と言うときにでる訛がそのように聞こえるのだという。物語のはじめに中米美術館の展示会場で大きな石の周りをウロウロする場面がある。巨大な石でできた頭にタガがはめられていることから作者は人間の思考が統制される状態を連想する。タガは箍であるが、いまはこんな漢字を書いても誰も読んでくれない。桶を見ることもめったにない時代だ。桶にはまっている竹の輪がタガだ。タガがはずれると桶はばらばらになる。思想を締め付けているタガが外れると、国家がばらばらになるという妄想が古い政治屋にはあったらしい。いまさかんに言われている共謀罪にも関係する。こんな話を書くはずではなかった。巨石美術だ。中米文明だ。

文章で見ただけでは具体像が浮かびにくい。インターネットだ。ありましたぁ。たくさんの画像の石頭の細部はいろいろあるので堀田さんの見たらしいようなのをここに出しておく。「オルメカ」というwikipediaにある画像だ。メキシコの東海岸にたくさん発掘されている。高さが2,3メートルほどもあるというから大きなものだ。1939年発掘当時の写真が当時の驚きを想像しやすい。スミソニアン協会の考古学者、マシュー・W・スターリングがメキシコ、ベラクルス州のトレス・サポーテスという村に頭頂部分だけ土からのぞいていたが大きすぎて80年もの間放置されていた石頭を発掘した。
この写真はその時の様子を写したもので、その後も探検と発掘が続けられた。いずれもいくつもの大きなマウンド(丘)に囲まれた遺跡だった。石像の目的も輸送方法も不明だが、とりあえず遺跡の人々をオルメカと名づけた。オルメカ人の存在が確認できる最古の年代は、紀元前1800年ごろだそうだ。現在では湾岸地方に17基ほど見つかっているという(図参照)。
いずれも湿地帯の森のなかにあって探検も容易でないらしいが、一般的に中南米の森は単純に原生林と決めつけては誤りであることが多いそうだ。いったんは拓けた土地が森に埋もれてしまったらしい。原因はおそらく気候変動によって大規模の都市が崩壊したことにあるらしく、今後の研究によって発見が相次いでどんどん歴史が変貌すると考えられる。
ところで、このcolossal head(英語ではこう言えばオルメカの巨石人頭像を意味する)に表現された顔つきが問題である。人類学者Ivan van Sertimaはオルメカ人頭像をアフリカ人かアジア人だという。そしてコロンブス以前にはアメリカ大陸にはアフロ・フェニキア人がおおぜい先住していたとの説を強調する。この学者はアフリカ主義の人なのだ。しかしその提唱する学説はアメリカの人類学の主流派には賛同されていない。それでも、ブラジル・カピバラ遺跡ではアフリカ系の人類頭蓋骨が見つかった例も出ているというからまだまだわからない。
アフロ・フェニキア人とは筆者には聞き慣れない用語であるが、フェニキア人をカルタゴ系の人と解釈しておく。ならば、北アフリカ・地中海の交易民族だ。オルメカ人頭像の話を追ってゆくと、人種論争を聞かされることになろうし、差別問題も絡む。あるいは中南米一帯の歴史の書き換えに付き合わされるかもしれない。どちらにしても石頭は文字通りイシアタマになってしまって当方の脳が働かなる。何を考えればいいかわからなくなる。だから、きょうのところは巨石人頭像というものの珍しさだけを話題にして、あとはゆっくり歴史なり人類学なりの成り行きを眺めることにしよう。
実はここまで書くまでに、私は随分と多くの断片的な知識を持つことができた。北米先住民がモンゴロイドであることについても、どのような経路で来たか。そりゃあベーリング海峡を渡って来たんだろ、といっても、そのあと南下するに大氷原があったそうなのだ。零下何十度という氷原には植生も動物も見られないから人間は食い物がない。後に偶然氷のない回廊ができた数百年ほどの間に人も動物も北米の端っこまで来たのだそうだ。1万数千年前の話。
黄色い塗りつぶしはベーリング陸橋、Lはローレンタイド氷床、Cはコルディエラ氷床。1万3000年前ごろには上図のように2つに分かれ、「無氷回廊」と呼ばれる氷に覆われない領域が出現したことから、通行可能になったと推測されています(赤い矢印)。
青い矢印のように、氷床を回避した北太平洋岸ルートを提案する研究者もいます。
https://ecolumn.net/beringia.htm
これが南米のことになると氷の代わりに森がある。幾つもの都市が出来ては埋もれることが繰り返されているので、先住民もその前の住民が一度は拓いた場所に知らずに住んだりする。綿やトウモロコシの開発などの先進技術もあった。いっせいに人がいなくなるのは伝染病だ。95%以上もがいなくなるから怖ろしい。あまりにも知識が少なかったところへ、新しいことが一度に出てこられると、メモリーが不足する。仕方がないから眠る。というわけで、このところ読書はさっぱり進まなかった。
それにしても、世界的に見ても学問や技術の進展は急であり、歴史も評価もどんどん変わる。歴史だけでなくすべての科学は同じことだ。これでは新知識を得るとは一時しのぎにすぎないのかな。それでも知ることは楽しいから、ま、いいか。
開いてみた本:『1491』チャールズ・マン著 布施由紀子訳、2007、日本放送出版協会、ほか。
インターネットではメキシコ国立人類学博物館がおもしろい。参観者が写真をたくさん撮ってくれている。
(2017/6)