作品の表題だけを見て、これは詩人についての話柄であろう、であれば自分には難しいだろうとの思い込みで今まで読んでいなかった。ジブリ学術ライブラリー『堀田善衞 時代と人間』という音声ディスクで「自作について」というのを聞いたところ、著者自身が自伝的小説だと話していた。
それまで著者の生い立ちについてはごく断片的にしか知らなかったので、そういうことなら読まずばなるまいということになったわけだが、完全に惹き込まれてしまった。
若き日の詩人たちの中には著者も含まれる。時間の経過にしたがって少年、若者、男として立ち現れる著者の生活、体験がフィクションを混じえて描かれるが、主題は時代のもたらしていた環境である。簡単に言ってしまえば世相だ。著者はあとがきに言っているが、「この作品の影の主人公は、いや白日の輝光のなかに躍り出ている主人公は、当時の日本帝国そのものであったかもしれない。従って、この作品は国家の横暴に対する怒りの文学であったかもしれない」。更にいう。「現代の若い読者諸氏には、近代日本というものが、如何なる時期を内包していたものであったかを知ってもらうためにも、筆者はこの作品を諸氏の手に渡したいと思っている、と言うことを許して頂きたい。かの戦争における膨大な犠牲の果てに克ち取られた、現在程度の自由を守りつづけるためにも……」。単行本になった1968年の著者50歳の発言である。
作品の舞台は実家の回漕問屋が手仕舞った幼年の頃への回想を除いては、満州事変勃発の1931年、中学入学から1944年に召集令状を受け取るまでの期間である。この間の記憶を50歳のときに文章化したわけであるが、そこに至るまでの新たな25年間にこの作家が体験したこと、考えたことなどのさまざまもまた文章の中に溶け込んでいるはずである。ここにいうさまざまのなかには、敗戦前後の上海を中心とした中国経験、アジア・アフリカ作家会議への10回を重ねる参加そのほかを通じての世界的な人的交流と経験など、他の日本人作家にはない思考が含まれている。その上での上記「あとがき」への発言である。
作品から直接読者の胸に強くひびくもの、筆者の場合は大学修業年限の短縮とそれに続く徴兵のこと、それに思想取締という権力の暴力である。
雨の日の神宮球場での学徒出陣壮行会という図柄は、敗戦後度々報道されてお馴染みであるが、若者は直接目にした。修業年限は毎年短縮され9月卒業、12月入隊となった。何ゆえの年限短縮か、戦線拡大のためではなく、「死」による兵員の不足であった。次に来るのは徴兵年齢の引き下げであったろうと考えると筆者はゾッとする。作品に登場する詩人たちはゾッとするまもなく召集された。
俗に兵隊は一銭五厘の命と軽んじられた。はがき一枚の安いものだと。けれど召集令状ははがきでは来ない。いわゆる赤紙であって、役場の兵事係が直接各戸に持って来るのが普通だった。
男が帰郷して令状を見ると、薄い赤色だった。命を差し出せと命令した天皇の名も印璽もないと怒る。堀田さんは本文の間に召集令状のカットを載せている。濃い赤でなく薄い赤だったというのは年々染料不足をきたしていたからだと調べてみて筆者は知った。こんな情けない状況で戦争するとは、とここでも思う。
思想というのは外からは見えない。人間の頭のなかにあるものだ。取り締まるには外から見て判断できるものでするしかない。本や書類という物か本人の行動で判断して捕まえて、頭の中身を自白させようとする。自白しないと拷問責め苦になる。取り締まる根拠は法律であろうが、法律を運用するのは人間だ。人間は信用ならない。そもそもが思想に右も左もないわけだから権力が気に入るかいらないかでことの始末が決められる。
作品の当時は学生狩りというのがあったはずだ。働きもせずブラブラしているのはぶち込んでおけ。作品の若者も突然下宿から留置場に入れられた。二週間取り調べもなく置いておかれてから「もういいぞ」釈放された。映画館でニュースを見ると満州国皇帝来日とやっていたので、ああこれだったのかと、留め置かれた理由がわかった。
予防拘禁というのもあった。留置場から出されても、もう少し居ろとかいわれて予防拘禁所に入れられて雑役などやらされる。これには法の定めはない、根拠なしである。
刑事や特高に目をつけられると逃げようがない。若者は留守中に部屋に入って持ち物を調べられた。アパートの管理人が元警察関係者だった。いたるところに彼らの協力者がいた。いまでいうGPSの代わりの人間がうようよいたのだ。まことに怖ろしい世の中だった。いまも余り変わっていない。何が「共謀法」だ。
いちどは法学部政治学科に入った少年は、初めて六法全書というものを開いてみて、条文を目にした。これは文章じゃない、こんなものを読んで暮らすことはできないと感じた。さっさと文学部に転じてフランス文学科に入った。堀田善衞という作家が生まれたひとつの契機だ。
憂鬱な時代を背景にいろいろな物の見方や暮らしのあり方を教えてもらった。15歳も年上の人たちに時代、旧制大学の学生生活は筆者の学生時代からみれば大人の世界だ。変わらないのは上に述べた戦争と思想統制のことだろう。
戦争で死ぬとはいうものの、実は殺されて死ぬのだ、普通に死ぬということとは明らかに意味が違うことを教わった。堀田さんは今の時代の人たちにこの記憶を受け渡したいと言っている。それからすでに新たな50年が過ぎた。堀田さんの正確だけれども少し難しめの文章ではあるが、時を超えて読み続けられたいと思う。
『若き日の詩人たちの肖像』初出は河出書房『文芸』1966年1月号―1968年5月号、28回連載(67年7月号は休載)。1968年9月新潮社刊。今回は筑摩書房『堀田善衞全集7』(1993年)で読んだ。
(2017/5)