2015年5月1日金曜日

内田百閒 「短夜」

内田百閒 「短夜」(大正十一年『冥途』稲門堂書店刊 所収)

単行本『冥途』は前年、雑誌に連載された短編十八編を
内田百閒最初の刊行本扉頁
まとめた第一創作集である。内田百閒は夏目漱石門下にあって漱石の最晩年に文字遣いについて議論したことから漱石原稿の校正を引き受けるようになり、漱石没後には岩波の全集の校正に当たった。それまでは自分の作品を発表することはなかった。『冥途』所収の作品は、雑誌の要請に応じて書いたのではなく、それまでに書き溜めていたものであったらしいが、刊行翌年の大震災で製版所が焼けたため紙型と残部は焼尽した。
著者の奇抜な発想からノンブル(頁番号)を打たない製版をしたため乱丁発生などで業界が混乱したと伝えられる(当ブログ2014/12参照)。
震災という不運のため十分な部数が読者を得るに至らなかったことを惜しみながら、芥川龍之介は一連の作品を高く評価している。「悉く夢を書いたものである。漱石先生の「夢十夜」のやうに、夢に假託した話ではない。見た儘に書いた夢の話である」。文壇離れのした心持ちがする、作者が文壇の空気を吸っていたら到底あんな夢の話は書かなかったろう、書いてもあんな具合には出来なかったろうと述べている。芥川は自分には書けない趣の作品として半ば悔しがっているのである。

十八篇どれを読んでも面白いのであるが、筆者は「件」とか「豹」などが好きである。前者は自分が牛の化け物みたいな件(くだん)という変てこな生き物になっていて、人々に約束が果たせず苦悶する話、後者は豹に追いかけられて、ふと振り返ると大勢の人の中にその豹が笑っていたという話。いずれも、なに、それ、と言いたくなるような滑稽味もある。ここでは「短夜」について簡単に述べる。

「私は狐のばける所を見届けようと思つて、うちを出た」という書き出しで始まる。暗い晩、土手を歩いて行く。何の気なしに後ろを見ると大きな蛍が五六十匹一列になつてすうと流れる。おやと思うと消えた。大きな池の傍に腰掛けてでいると、向こうの藪から大きな狐が出てきて、水辺でいろいろな所作をする。真っ暗な中で狐だけはつきり見える。ぽちゃんと音がした方を見ると、暗い池の中に大きな鯉が二匹泳いでいるのが見える。変だなと思うと消えた。いつの間にか池の縁に若い女が立っている。丸髷に結った美しい顔をしているが目鼻立ちはわからない。女はしゃがんで、そのへんの樹の葉や草の葉を集めて押し丸めている、と見る間に赤ん坊を抱いている。田舎風の可愛らしい神さんが赤ん坊を抱いて土手の上に上がってすたすた歩いてゆく。手頃な棒きれを拾って後をつける。

どんどん行くと小さな家に行き着いた。女は「お母さん、只今」と言って戸を叩いている。ごとごと音がして戸が開き、女は中にはいり戸が閉まる音がした。そのとき、飛び出して行って閉まりかけた戸口に立ちふさがって叫ぶ。「その女は狐だ」。戸の内側で小さな婆さんがびっくりしている。婆さんは、これはうちの嫁だ、お前は何用あってきたか、と怒る。こっちは狐が化けるところを一部始終見てきたのだ。青松葉で燻せば正体がわかると言っても聞かない。女が悔しがって青松葉を持ち出してきたので、火をつけて煙の中に赤ん坊を突っ込んだら、すぐに死んでしまった。女は気絶してしまった。色々手を尽くすが赤ん坊は生き返らないし、女も正気にならない。困ったことになった。

と、大勢の声がして舟が着いたようで、どやどやと男たちが集まってきた。
中にお坊さんがいて、事情説明すると、手際よく処置をつけてくれた。心の底から有り難く思って、
ふとその顔を見ると恐ろしく大きな眼鏡を鼻の先に掛けているのでびっくりした。
我が身は坊さんに預けられた。今夜はひとまず寺まで来てくれと言われて急な山道を歩いて大きな寺に行った。途中後ろを振り向いてはならぬぞ、と言われたのが恐ろしくて足がすくんだ。寺の本堂で如来様の前に座らされて頭を剃られた。死んだ赤ん坊のために念仏しろと言われて念仏鉦と打ち鳴らしをあてがわれた。住職がいなくなり、鉦を叩いて念仏しながら心の底から幼い魂の冥福を祈り続けていた。そのうち不意に短夜が明け離れて黄色い朝日がぎらぎらと輝いて辺りを照りつけたとき、ふと気がついて辺りを見回した。


そこには柱も幢幡も如来様も念佛鉦もなかつた。禿山の天邉の、赭土のざらざらと散らかっている凹みに私は一人坐り込んで、手には枯木の枝を持ってゐた。膝の前の、念佛鉦のあつた邉りに、瓦のかけらが一枚あった。その外にはなんにもなかった。髪の毛を嚙み挘られた頭の地が、ぴりぴりと痛んで来た。私は驚いて起ち上がったけれども、どちらへ歩いていいのだか、方角もたたなかつた。

このように物語は終わる。読後の気分は物語だけが空中にぽっかり浮いているような感じがした。
昔話でも芝居でも狐が化けるというのは、たいてい人になるのであって、一匹が一人になる。この物語では、女、婆さん、坊さんが登場して、狐を見に行った主人公に口をきく。がやがやと大勢の男達も登場する。これはどういうことか、狐が眷属一統を動員したのだろうか。女が行き着いた家はいつもある家なのか、幻か。これは覚めてからもう一度行ってみればわかるはずだ。

はじめ歩き始めた道は、土手やら池のあたりの描写は百間の岡山の生家の近所の川のようだ。何かで同じような土手の描写を読んだことがある。筆名のもとになった百間川かもしれない。しかし、これは実景のようであってもすでにそうではない、夢の中と思ってもよいだろう。蛍や鯉の不思議も現れているのだ。
首尾よく狐が化けるところを見届けたから満足して帰るのかと思ったら違った。その儘女の後をつけてゆくのである。ここまでの主人公は見物人だ。

どうしてこうなるんだ。狐の女の後をつけてきたのに。見紛うはずはない。赤ん坊は樹の葉じゃなかった。婆さんにそいつは狐だといった途端に傍観者は当事者になってしまった。まずいことになったもんだ。
坊さんの裁きが見事だった。この家の者までが狐に誑かされては気の毒だという親切心からしたことでこの男に悪気はない。わしが代わって謝るから許してやれ、とは狐らしくもない言葉ではないか。我が身は坊さんに預けられた。寺に連れてゆかれて頭を剃られた、実は噛みむしられたとはあとで知ったこと。念仏を唱えながら死んだ赤ん坊の冥福を祈る気持ちになったとは、殊勝なことだ。あとで考えると、あの時の気持ちはなんだったのだろう。身も心も狐の世界に浸りきっていたわけだ。うまくやったなぁ、この狐。

芥川は一連の作品を、夢そのものを見たままに書いたものだという。それは通常の作家がするように色々手を加えるということをしていない純粋さを述べたわけだ。百間は純粋さを表すために言葉を磨いた。夢の中で味わう奇妙で複雑な感情を何とかして表し伝えようとした作品の一つがこの「短夜」だろう。自分の目の前にあるものを自分の目で見るということは、実は難しい事なのだとゲーテは言っているそうであるが、この事を目指して粒々辛苦を重ねたのが日本の俳諧道であるそうだ。内田百閒は早くから句作の修行を積んでいる。
今回の「短夜」は『内田百閒全集第一巻』(講談社昭和46年)。高橋義孝氏の同書あとがき「百間文学への招待」と平山三郎氏の解題を参照した。
『冥途』の装丁に薬師寺仏像の台座の狐図が使用されていたとのことだが、そのいわれを知りたいものだ。
(2014/5)