2015年2月28日土曜日

このごろはデジタル読書


10年前、マンションに移った時、収納場所に見合う
kindle for PC
だけの量に本を減らした。原則として図書館で借りられそうなのは家に置かないことにした。しかし、これは新たな図書館を利用するにあたっての事前調査ができていなかったために、移転後に何度か悔しい思いをした。やむなく興味をもつ範囲をすこしずつ変更することで、つまりあるもので間に合わせるということで今日まで来た。
かつては少々遠くとも大学図書館も利用したが、いまや杖に頼る身になってしまっては町の図書館だけが頼りである。こうなると資料的に利用する蔵書がない不自由さを感じることになる。本棚にある本は単に読むだけではなく、資料として使えるということを遅まきながら得心したが後の祭りであった。

現在の自分の読書のしかたをみると、インターネットの存在が非常に大きい。百科事典であり、辞書であり、地図帳であり、とにかく便利である。検索機能を利用してなんでも問い合わせる。日常の読書にはパソコンが必需品となった。ついには本そのものの代わりになってきた。電子本とかe-bookとかいうので読む。これまた便利なので図書館の蔵書が全て電子本になってほしいなどと、欲望は燃え盛る一方である。というわけで、身の丈にあった範囲で今式の読書をしている日常をちょっとメモしておく気になった。

筆者はテレビの広告、CMと呼ばれるものが大嫌いである。同様にインターネットの画面に出る広告も嫌いである。時には用のある広告もあるが、基本的になにか知りたいときにはこちらから問いかけるたてまえだ。
元来が天の邪鬼なので世の中で話題になっているものにはたいていそっぽを向く。それから漫画は四コマ時代のものまでしか見ない。いじわるばあさんのファンである。というわけで読書の範囲は狭くないと思っているが傾向はかなり限られているようだ。マンション生活になってから、原則として本を買わないし、歩くのに難がある今は神保町にも近寄らない。

本を探すにあたっては、図書館で手にとって見るのが最も手っとりばやいとは思うが、図書館も手狭になると倉庫的な書棚に置かれるものが増えて、館内のパソコンで検索して本を指定して出してきてもらうということが増えた。だから家を出る前に図書館の蔵書を検索して置き場所を確認し、倉庫から出してもらう本は所定事項をメモして持参する。貸出中のものには予約する。貸出の準備ができるとメールで知らせてくれる。

最新の探書法は、まずパソコンでアマゾンに当たる。筆者の場合アマゾンに目当ての本があれば、その本がわが町の図書館にあるかどうかが即座に判明するようになっている。
その秘策の秘密は「その本図書館にあります」というプログラムでGoogle Chromeの拡張機能だ。

Webサイトを見るブラウザはInternet explorerから離れて久しい。検索エンジンは早くからGoogleにしていた。というわけでインターネットに関して筆者の話題はもっぱらGoogle chromeが舞台である。

ちなみに我がマンションは光ケーブルが届いていて各戸内のハブで各部屋に取り出し口がある。筆者はそれを無線LANにしているからPCやWiFi端末をどの部屋でも自在に使える。スマホを持たないから外出先で接続はしない。

そこで「その本図書館にあります」に話が戻すと、このプログラムはchromeウエブストアから無料でダウンロードできる。利用したい図書館は2箇所登録できる。Amazonで本を選ぶと、所蔵が検出された図書館名が表示される。
さらに本の所在をもっと広く探索するにはカーリルというプログラムがある。例えば県内図書館を全部あたって本があれば町の図書館を通じて借りられる。大学図書館や県外の公共図書館であっても実際に借り出す方策があれば、捜索範囲は全国に広げられる。カーリルは岐阜県中津川市に本社があって全国の図書館をオープンデータでつないでしまったという若い社長さんが開発したスグレモノである。「その本図書館にあります」もじつはAmazonがカーリルの機能を利用しているのだ。

    ここまでは紙の本のことだが、電子本ならもっと手に入れやすい。青空文庫とkindle本を利用している。外国の大学などにもe-bookがよくあるが、たまたま行き会うことがあるだけで、まだうまく探す方策は知らない。ミシガン大学など日本語図書も豊富らしいから魅力がある。筆者は常に無料本優先である。

青空文庫はインターネット上の電子図書館だ。著作権の消滅した作品と著者が許諾した作品を、テキスト形式とHTMLまたはXHTML形式で公開している。こう書くと難しそうであるが、実際は読みたい作品名をクリックして自分のパソコンにダウンロードする。ダウンロードも昔と違ってほぼ自動的に読める形にまでなる。
筆者はGoogle Chromeに拡張機能の縦読みソフトを入れてあるのでHTMLまたはXHTMLファイル名をクリックするだけでモニター画面に作品が展開されてすぐ読める。保存は頻繁に出し入れする場合をのぞいて不要だろうと思う。
KindleはAmazonが売り出している電子本リーダー端末機、筆者は最近Kindle Paperwhiteというタイプの端末を購入した。kindle本はAmazonから自分の端末にダウンロードすることで購入できる。端末にダウンロードしても保存はクラウドであるので自分のPCの記憶容量は心配しなくてよい。また、この2月からは端末にダウンロードしたファイルをPCでも読めるようになった。Kindle for PCというのを無料でダウンロードすればよい。こうすることで大きな画面で読書が出来る利点がある。別のPCにもダウンロードすれば、そちらでも読むことが出来る。読み終わって削除すればPCや端末からクラウド保存に変わり、いつでもダウンロードして使える。

青空文庫は全点無料である。kindle本は無料と有料がある。現在無料の殆どは青空文庫を親本にした作品だ。
無料の単品をある点数まとめた作家別作品集や特定作家の全集は99円とか200円で販売している。全集を買っても一どきに読めるわけではないから、単品で0円の作品を楽しむだけでも結構時間がかかる。安い安いと嬉しがって数百点買うより一点一点ゆっくり買うのが良いだろうと考えている。
kindle本全体を見ればベストセラー本や若い人向けのコミックや劇画の作品が多いようにみえる。筆者は古い作品を読むことが多いのでほとんど無料になる。洋書が安いのも魅力だが簡単に読破できない。しかし端末には辞書が付いているので便利だ、辞書を引いた単語がまとめられて自分の単語帳になるから、復習することで語学の勉強になる。文字サイズの変更もできるからPCで読めば大きな文字で快適である。
自分の端末にはライブラリがあって、購入した作品が一覧できる。
著作の立場からは作品が無料で売られては印税はどうなるのだと気になるが、新刊書にも紙の本の広告に電子書籍もあると添え書きしてあるのがあったので、その辺はうまく仕切られているものと見える。

筆者のKindle Paperwhiteの大きさは11.5cmx16.5cmほどであるが、元来携帯性を考慮したサイズだろうと思う。Kindle本がPCで読めるようになったのはごく最近であって、それ以前は携帯式端末のリーダーやスマホやタブレットが販売の狙いだったのだろう。筆者は本の置き場所なども含めて紙の本よりkindle本の有利性をとって購入に踏み切ったのであるがほとんど同時にPCで読めるようになったのは幸運だった。

引っ越す前から本棚で眠っている本がたくさんある。買置きの積ん読だ。近頃は終活などということがいわれる。自分がいなくなれば遺品整理というのがあるだろう。読んでやらないと本が可哀想だ。ということで再びの関心を呼び起こす工夫もしている。ネットサーフィンをしていると、何らかの関連事項や著者の名前や参考図書として手元で眠っている本の名が出たりもする。それにしてもパソコンがないとこういう訳にはいかない。
パソコンがあれば図書館まで足を運べなくなったり、施設に入ったりしても本を読めるだろうと考えている。あとは眼と脳が問題だ。

パソコンを利用するようになった経緯を振りかえってみると、ワープロの代替であった。世の中から急速にワープロが消えていきそうな気配に気がついて、パソコンにワープロ用のソフトを入れて使うように代わったのだった。だから、その頃のパソコンは書く道具として使っていたわけである。インターネットが出現してからのパソコンは検索機能の効果が格段に飛躍した。こうなるとパソコンは書く道具から調べる道具として使われることが多くなる。無職の生活にはワードやエクセルの機能は大して需要がない。
高齢者にパソコンを勧めるのはいいが、インターネット環境で画面を楽しむだけでは、いわゆるボケ防止にはならないだろうと思う。パソコンは能動的に使うほうがよい。
紙の本しかなかったころからインプットとアウトプットということがよく言われてきた。書くことによって見たり読んだりしたことがよく理解できるようになるという理屈だ。文章を何行か読んで、それを写す作業をしてみると、その内容があらためて納得できることがよくある。南方熊楠がよい手本だ。

熊楠さんで思い出した。昔の本には難しい漢字が多い。歴史的仮名づかいなどは読むのに困らないが、康煕字典から迷い出てきたような漢字や、明治のころの当て字みたいなのが一番困る。kindle本はだいたいが新字新仮名になっているから大いに助かるが、もとの漢字や文章が必要なこともあるのだ。青空文庫の基本姿勢は底本どおりということなので、旧漢字、旧かなの底本を入力する人がいれば出来るということだが、すべてボランティアの選択に任せているのだろうか。新漢字、新仮名になおして入力したい作業者が多いようだ。それよりも出版社が旧漢字本を新漢字新仮名で文庫本にして売り出すのが多いためでもある。言葉に関心のある筆者にとっては、旧漢字がほしいときもあるのですがねぇ。ま、ぼちぼちいきましょう。
(2015/2)