旧陸軍の揚陸舟艇ダイハツ インターネット画像から。 |
先の戦争中、小学6年生のころだから昭和19年だ。わが住まいの近くを歌声をあげながら駆け足で過ぎる兵隊さんの集団を度々目にした。上半身はカーキ色のシャツ姿だったから訓練とか日課だったのだろう。たしか「われらが精鋭あかつき部隊…」というふうな歌を歌いながらだった。ずっと後年の戦後のいつごろか、それは暁部隊という集団だったことを知った。大岡昇平『レイテ戦記』の索引などで船舶工兵隊という名もあることを知り、あの駆け足の兵隊たちもフィリピンに送られたのだなぁとの感慨をもった。旧帝国陸軍には船舶運輸部という機構があって本部を宇品に置き、戦時には船舶司令部となる。それに所属する部隊の略称が暁部隊であった。
昨年12月朝日新聞に大佛次郎賞の発表があり、受賞作の本書があの暁部隊のことだと知ってすぐ図書館に予約した。あにはからんや、すでに予約10件…この2月末に やっと順番が来て一気に読んだ。脳についての読書から一転、無慙というも愚か、呆れ果てた負け戦の物語である。大東亜戦争というものの実態はすでにあれこれと知ってはいるが、話としてはこれほどバカバカしいものはなく、無意味に殺された人たちを悼む言葉も虚しいだけである。
けれどもこの作品は物語として面白いだけでなく、著者が掘り起こした記録の価値の重みと記録した人たちの精神の清冽さ、それに内容に含まれる教訓の重みには圧倒される。作品評価の席では満場一致で受賞決定したというが納得できる。著者堀川氏の名をはじめて知ったが、前作『狼の義』(未読)では大佛次郎の作品をたくさん読み込んだと知って大佛ファンの私には嬉しいことであった。
大東亜戦争が戦後呼び方が改められて太平洋戦争となった。主たる相手のアメリカと戦う場が広い太平洋であるにもかかわらず、終始戦争を牽引した帝国陸軍には船がなかったという不思議がこの作品の主題といってもよいだろう。それがやむにやまれず運輸部をもうけて役目を背負う人たちを集めた。運輸部の名称からはいまの総合商社の運輸部を連想するが本作を読めばそれと同じ働きをしたことがわかる。そこに働く人たちの中から個人の特性が生かされる職務や技能職、研究所などが生まれてくる。
内国の平水面で動き回った手漕ぎ船が高波の打ち寄せる海岸で荷揚げに活躍するエンジン駆動の双胴型の舟艇に変容する。業務に特化した人から秀でた技術者が生まれる。アメリカ海兵隊の上陸用舟艇や揚陸船の船型や前開き扉の形は明らかに暁部隊の技術者の発想に始まっている。ドイツに技術見学に出張した技師はロータリーエンジンの設計図を持ち帰って、戦後マツダのロータリーエンジン車製造につながった。大型船舶の建造技術や形態は自動車専用船に生きた。ペリー提督が米中航路に中継給炭港を求めてやってきたように、宇品の運輸部は物流拠点と中継地を中国沿岸に設けることから始めた。物流の発想は陸軍上層部の硬い頭からは生まれるはずはない。派閥人事に階級制度とタテ社会などの壁を壊してつながりを持った人たちで運輸部は活動できた。この物語には教訓が満ちみちている。争いがあるところには技術は花咲かないし物流は損なわれる。原子爆弾完成の瞬間も科学者たちは止めようとしたが、すでに軍部が知ってしまっていた(パール・バック『神の火を制御せよ』)。閑話休題。
本作を読んで考えさせられることは多いが、なかでも運輸部に徴用された民間人の処遇が気になる。高級船員のほかは人間扱いされていない。敵の砲火、上空からの攻撃に輸送船も、荷役中の人間も無防備だった。潜水艦を見張る双眼鏡さえもらえなかったという。それでいて身分保障は何もなかった。
危険に身を曝し、兵員以上の重労働にもかかわらず、その身分を保障する国家的処遇に欠けていることは不合理極まる状態だ、とは、田尻昌次元司令官の残している言葉であるが(「海上労働の特殊性」147ページ)、昭和13年に陸軍省は大手船会社の高級船員に限って「船会社からの申告」によって軍属にすることを定めた。しかし、圧倒的に数の多い一般船員、漁船員、雑船の乗組員、港湾労働者らについては、昭和28年にようやく障害年金や遺族年金、弔慰金などの支給対象となった。だが、これも支給は本人または遺族による「申告」が基本だそうだ。受給資格者に情報が伝わらなければそれまでのこと、もともと実数がわからない無名の人々なのだ。支給決定は朗報のようでいて、言葉の空回りに過ぎない。
今も昔も日本人は変わっていないように思えるけれど、8月6日のヒロシマで終わるこの物語、すべてのことが生まれる前の歴史であるこの本の読者諸氏には、もしかして理解しにくいところもあるのではないかと危ぶむ。これを題材にして語り部をつとめる読者がでてくるといいななどと思う。
巻末に多数の参考文献が記載されている。大いに参考にするべしである。