2021年2月25日木曜日

『コモンの再生』内田樹著、を読んで

内田樹『コモンの再生』(文藝春秋 2020)の新聞広告を見たとき、頭をよぎったのはブラウン神父の物語「The Blue Cross」のある情景だった。

映画『シェーン』(1953)

フランボーを追ってハムステッド・ヒースを目指すヴァランタンと二人の刑事が、狭くて日の当たらない道を縫うように通り抜けると、突然誰もいない空き地に出た、という場面である。そこは公園と訳されていたが、原文ではcommon(コモン)なのだ。草っぱらであり、共有地である。日本では里山の入会地などなら珍しくはないが、市中の共有空き地はまず見当たらないかもしれない。

内田樹という人は直接には存じ上げないがウィキペディアには武道家という肩書がはじめに書いてある。あちこちの大学で教授職をもち、専門はフランス思想とかと紹介されているが、社会的に広く発言もされているからファンも多いようだ。この書物は出版社の編集者と時事百般について語り合ったうちから内田の発言をまとめてできている。2020東京五輪が迫る中でコロナ禍を迎えて対策に突発的な政策を振りかざしつつ退陣していった安倍内閣に取り残された世情が背景である。だから話題も自然に東京オリンピックから始まっていて、内田の発言に出てきた「コロナの再生」が書物のタイトルになった。

1964年のオリンピックでは日本中が盛り上がったかのように言われるが、子どもたちにとってはそうではなかった。遊び場がなくなったのだ。大田区の多摩川べりの工場街でも家の前には原っぱが広がっていたし、荻窪の祖父母の家の近くの雑木林にはお気に入りの散歩道があった。その雑木林がなくなって環八になったのはショックだった。世間ではそれまで土地に手を付ける気力も失っていた人々が、オリンピックで地価が上がり始めると皆結構な財産家になって、自分の土地を囲い始めた。子どもが出入り自由だった「コモン」が私有化されて鉄条網で囲い込まれた。「私有地につき立入禁止」。みんな貧乏だったけれども互いに助け合って暮らしていた「共和的な貧しさ」(関川夏央)が崩れ、貧富の差が現れてきた。豊かになるにも遅速があり、よそより早く豊かになった家は羨望と嫉妬の「邪眼」を避けて塀を作り門戸を閉ざした。内田にとって東京五輪は、遊び場がなくなったことと、テレビを見せてもらっていた隣家が閉ざされたことの記憶とともにあるという。

ここで内田が使った「コモン」はカッコ書きが示すように英語でいう意味とは違う。英語ではコモンに対照する語にエンクロージャーがある。共有地や共同で利用されていた土地を私有化したのがエンクロージャー(囲い込み)であり、この制度が行われるようになって大地主と小作農、富裕農家と貧窮農民、そして産業革命期には賃金労働者が大量に発生する。この書物では内田先生に「ホームステッド法」というアメリカの制度を教わった。なんとこれが映画『シェーン』の背景なのだそうだ。知らなかったのは私だけではないとみえて、ご存じないかもしれないが、と挿入句がついているので妙に安心した。

5年間国有地に定住して開墾すれば64ヘクタールの土地を無償でくれるという法律で、西部開拓に利用された。64ヘクタールは19万3600坪だそうだから、へぇと感心するだけで広さの実感がない。1840年代のことだそうだ。おかげでヨーロッパから何百万の人々が渡米して西部は一挙に開拓された。こういう事態を背景にして作られた映画が『シェーン』(1953)だったというのである。

あらためて調べてみた。homesteadには家屋敷つき農家の意味があり、アメリカ・カナダでの用法には移民へ移譲される自作農場とある。これが法律の名になると1862年にリンカーンが署名して発効したThe Homestead Actだ。法律というものは良くも悪くも働く。西部の乾燥地帯では土地争いに水争いがつきまとう。『シェーン』の物語の背景になったのは1890年代のワイオミング州にあったジョンソン郡戦争だそうだ。大牧場主が水源確保のために開拓農民を追い払って広い土地を確保するのに法律を利用した。善良な農民と悪徳牧場主という図式が出来上がるわけだ。大学生だった私も西部劇は好きだったが、アラン・ラッド扮するシェーンよりも殺し屋を演じたジャック・パランスがカッコいいと喜んでいたものだ。ちなみに彼は両親がウクライナからの移民だったそうで2006年に87歳で亡くなっている。

映画では、農家にとどまることになったシェーンが「私有地につき~」の囲いの柵作りを手伝う場面があったそうだが、覚えていない。多分それが牧場主との喧嘩のきっかけだったのだろう。内田は、『シェーン』というのは、土地はコモンなのか私物なのかという原理的な重い主題を提示している深い映画なのですと教えてくれる。

イギリスでもアメリカでも囲い込み、つまりコモンの私有化は土地を効率よく発展させることで資本主義にとっての正解だった。遊び場を失った内田の東京五輪は「コモンの喪失」に始まった。しかし近年はどうかと見れば、「コモンの再生」が始まっているのでないかと彼は考える。高齢化、過疎化、空き家、耕作放擲地が増えている。空き家も所有者不明の土地も役所は勝手に手を出せなくて困っている。そこで彼は「逆ホームステッド法」を適用してはどうかと提案する。例えば一定期間所有権の申立のない土地家屋は公有にする。そのうえで無住の家に5年住むとか、荒れた農地を一定期間作農するとかすれば払い下げる。土地は一定期間誰かが管理するべきではあっても私物にしてはならないと主張する。

フランス人がミシシッピー川を下って船から見える一帯全部が俺の土地だと宣言した上でルイ14世に進呈したルイジアナも、ナポレオン戦争の戦費調達のためにアメリカに売られた。代金は1500万ドル、平方キロあたり15セントだった。こんなふざけた売り買いが行われる土地というものはいったい何なのだろう。土地は私有財産というのはまるっきり虚構ではないのかと問う。その主張の仕方は何やらあやふやに聞こえるけれども、土地は私有財産と考えるのは間違っていると私もそう思う。何かもっとうまい言い方はないものかと考えている。『コモンの再生』と題されたこの書物の前半には、「公共」に対する日本人の考え方について種々の切り口から述べられている。コモンはカール・マルクスのコミュニズムの語源でもある。これを共産主義としたのは誰だったのか。内田は「共産」という言葉は日常生活にはないという。ただ内田は、立て万国の労働者というほどの大きな事を考えているのではない、お互いに助け合う「ご近所共同体」があればいいなと話しているのだという。それなら、いまあちこちでぼつぼつ出てきているのではないかと私は思う。(2021/2)