2016年6月29日水曜日

読書感想『シンガポールの光と影 この國の映画監督たち』(2015)盛田 茂著 インターブックス

よんどころない事情からこの本を読むことになった。入院などもあって長い時間がたってしまった。この國を離れたのは40年も昔なので、あらためて勉強しようと『リー・クワンユー回顧録上下』(2000年)も読んだ。これはたいそう役に立ったし、いい勉強になった。出版からすでに15年以上経ったが推薦できる書物だと思う。

この本の眼目となるメディアの規制はリー氏の儒教信奉の思いが基本である。著者はアジア的価値観と書いているがリー氏は「フォーリン・アフェアーズ」とのインタビューでわざわざ儒教的価値観とことわっている。アジアにはヒンズーもイスラムもあるからだ。さらに、「シンガポールは儒教社会であり、個人の権利より共同体の利益を優先する」と明言している。

著者は10年間にわたって14人の監督にインタビューした。國の生い立ちから現在の映画状況までを調べ、問題点に注目し、インタビューの結果を合わせて本書を書いた。記述は映画そのものより社会背景に関する部分が多い。映画の本ではなく政治の本だ。2部構成で1部に歴史と政府の管掌機関、2部に検閲制度の解説と作品が紹介される。本稿では国産映画の再生に簡略に触れて、検閲制度の実態を二、三の監督と作品を通じて述べることにする。楽しい本ではなく、読みづらくて難しい。登場する映画作品は見たこともないし説明も少ない。聴覚に故障がある筆者は映画を見ない生活を送っている。紹介された作品をせめてDVDで見るのが著者に対する礼儀かとも思うがお許しいただきたい。
著者がレイティングを付記していない作品も多いが一般上映が許されているGと解釈する。上映時間と原題は筆者が補記した。

発明された草創期から輸入されてきた映画だが、国産映画となると、地場産業としての市場にはマレー人と中国人しか観客はいなかった。歴史が進んで半島の連邦から追い出されて独立共和国になったあと市場も映画資本も消えてしまった。国産映画は1990年代までの10年以上の間には一本も生まれなかった。
本書に紹介されて、いま活躍している映画監督たちは1965年生まれを最年長としていわゆる若手になる。この人達は何らかの学歴の途中で映画技術を身につけてきた。ビデオ制作をおぼえてアマチュア大会などで腕を競った。競技会では賞金が出るのだ。
自前の映画産業が芽生えたのは1983年のアマチュア大会からだとされる。地域ごとにあるコミュニティ・センターで、公的組織の人民協会(People’s Association)とアマチュア・ビデオ・クラブが共催して大会は成功した。こういう大会の経験を重ねて、シンガポール国際フィルム・フェスティバルのような大きなイベント団体も育ってきた。賞金も増えてきた。ようやく政府からも資金支援が出るように時代が変わってきた。芸術文化政策が手薄ではないかとの反省が生じてきたのだ。いま政府内ではこれまでの産業優先と芸術文化、当面の重点をどちらに置くべきか二つの流派の議論が盛んだという。

監督たちは少ない資金でつくれる短編で研鑽を積んで、実力が認められて長編制作に進むのが多い。一般興行施設で公開するような長編まではなかなか手が届きにくいから、現状は短編から中編、長編さまざまである。
ところで、この国ではすべての映画は検閲を受けなくてはならない。映画法(Films Act 1981)があって検閲の結果は映画の内容によって年齢別の枠に仕分けされる。レイティング・システムという。さらに内容の表現程度にしたがって一応の基準となるガイドラインが公表されている。監督たちは制作段階で狙いを定める観客層を想定してレイティングの的をしぼる。

レイティング・システムには次の6種類のカテゴリーがある。
G すべての年齢層が鑑賞できる
PG 成人保護者の助言や指導が適当
PG13 13歳未満の鑑賞には成人保護者の助言や指導が適当
NC16 16歳未満の鑑賞禁止
M18 18歳未満の鑑賞禁止
R21 21歳未満の鑑賞禁止

検閲を申請してもレイティングされない作品がある。NAR(Not Allowed for All Rating)とよばれ、一般公開禁止である。国益または社会道徳を損なうとみなされる場合に適用される。
R21の場合は住宅地における劇場公開とDVD販売が禁止されている。こうなると制作資金の回収ができなくなるため、次の作品が作れない。監督はせめてM18 になるよう筋書きや演出に工夫する。

各カテゴリーにそれぞれに許容される表現の程度が例示されているが明確なものではない。業界ではゴルフ競技になぞらえてOBマーカーとよばれるそうだが、許容範囲をどこまで広げられるかが監督の知恵にかかっている。
表現が問題になる項目は、暴力、性表現、ヌード、粗野な言語表現や卑語、麻薬及び薬物乱用、ホラーである。
映画法自体には明記されていないが、法の精神は「西洋の過度な自由主義が、アジアの伝統価値観を崩壊させ、モラル低下をもたらすのではないかと危惧する」文化大臣の発言に残る。
検閲を実施するのはメディア開発庁(MDA)に所属する検閲委員会(BFC)であり、所轄は情報・コミュニケーション省(MCI)である。

レイティング・システムで最近話題になったのは『To Singapore with Love』(2013年、70分)というドキュメンタリー作品。監督はタン・ピンピン、1969年生まれの女性である。

1960-80年代に治安維持法から逃れ、現在マレーシア、タイ、英国に居住する政治亡命者に監督自ら聞き手となって今の暮らしぶりや故国への思いを探る。MDAは「治安当局の正当な行動を歪めて描いているから、国家の安全保障と国益を弱体化させる作品」だとして2014年9月「NAR(国内上映禁止、配給禁止)にした。
監督は「2015年に分離・独立50周年(SG50)を迎えるに当たり、過去について論議を尽くすのは極めて重要だ。MDAがその機会を喪失させたことに失望した」として再審査申請したが11月12日に却下された。再審査が終わらないうちにMCI大臣もリー・シェンロン首相も、共産主義者と戦った人々の名誉を汚す作品だと強硬だった。
著者盛田氏は他にもタイ南部に逃れて居住する共産主義者へのインタビュー映画がいくつかあって、それらは「PG」や「NC16」指定で済んでいるのに本作が「NAR」なのはどうしてか、とこの疑問について次のように解説する。この作品には「冷凍庫作戦」(1963)や、「スペクトラム作戦」(1987)によって海外に亡命し、PAPと作戦の決定者リー・クワンユーをいまなお糾弾する人々が登場している。SG50に合わせて「建国の父」を神格化しようと画策していた政府にとって、この作品はあまりに刺激的すぎたのだ、と。

タン・ピンピン監督は17歳の折、テレビで「スペクトラム作戦」の逮捕者の一人がマルクス主義者の謀議について告白したのを見てショックを受けた。国家の個人への抑圧と個人の自らの正当化で頼みにできるのは何かを考えるようになったという。『悲情城市』を見たのが監督志望のきっかけだともいう。常に批判精神を失わずにいる一方で、政府委員を委嘱されたり次代の育成に関わったりもしている、バランスの取れた人物との評がある。他の作品を見てみよう。

『お墓の引っ越し』(2002)22分、ドキュメンタリー、PG、原題Moving House
政府が主導する都市再開発の下で、先祖代々の墓を掘り返してあらためて火葬し、HDB住宅そっくりの施設に遺骨を祀らなければならなくなった5万5千世帯の悲しみを、チュー家のホーム・ビデオ形式で描いた作品。タン監督は学生時代に実家で経験した先祖の墓の掘り起こしをビデオに撮った。このホーム・ビデオを基に大学院の終了作品としたのが本作だとのこと。家族は政策の被害者であっても一方で進歩・発展への共犯者だとも言える。『アジア的価値』に生じた矛盾と著者はいう。作品が訴える問題は同じ心情を共有する観客の心を強く打つだろう。

『シンガポール・ガガ』(2005)、55分、PG、ドキュメンタリー、原題Singapore GaGa
場末の猥雑な街路や広場で、独特のパフォーマンスを繰り広げている人々を写し撮った音響による実験的作品。50年間公演を続けている腹話術師、サンダル履きでタップダンスしながらハーモニカを吹く大道芸人、自作の歌を歌ってティッシューを売る車椅子おばさんなどが登場する。私立のイスラム宗教学校の学生が運動会で公認言語でないアラビア語で歌い、声援がマレー語、アラビア語、英語をコードスイッチしながら流れる。この場面は画一的言語政策に対する批判が込められていただけに、監督は公安局の事情聴取を受けることになった。
この國には英国から受け継いだ治安維持法が現存し、裁判なしで拘引できる。だから公安局が事情聴取したと聞くと誰しもビクッとする。タン氏はSFCの助成金は基準が明確でないので。その都度試している。アラビア語は心配だったが認可された、と言っていたそうであるが、著者はこれを交渉によるOBマーカーの拡大を図るチャレンジ精神と賞賛している。同時にシンガポール航空機内の上映や観光キャンペーンでの利用を認めるなどの政府への協力姿勢も見せている。この辺りは、政府も監督も両方が実利を求める現実主義であることを強く感じる。
著者はこの映画は「政府の公的言辞である多様性の欺瞞を浮き彫りにした作品」と述べているが、「多様性」を国民統合の理念と謳いながら実は野放しには出来ない政治の矛盾を問うているという意味だろうか、説明がほしい。ネットで見ると「これこそシンガポールだ」的な賛辞が多く寄せられているから、タン監督の狙いは当たって政府が喜ぶ愛国心、郷土愛を表した映画だと言える。

エリック・クー監督 1965年生まれ。
資産家の家庭に育ったが、映画制作に関しては親譲りの事業手腕だろうか、制作資金はすべて自前で調達している。シドニー美術学校で映画撮影学を学んで帰国後は映画祭の賞金と投資者を募って7本の短編を制作した。海外で好評の作品も国内では厳しく審査され上映禁止やらR21に指定された。その一方で政府の映画施策に提案し、映画委員会(SFC)創設を建白して実現させ政府助成の道を開く、あるいは作品を通じて国威発揚するなど貢献活動も多い。

『ミーポックマン』(1995)105分、R21ただしM18に指定変更(2005)、原題Mee Pok Man。
クー氏の長編デビュー作。売春婦が横行し、福建語を話すギャングが暗躍する地区でフィッシュボール麺を売る青年の疎外感と、憧れていた売春婦への死姦暗示描写を暗示するこの作品は、クリーン・シティを標榜する政府への痛烈な批判だとしてR21に指定されたが、10年後にM18に指定変更された。著者によればこの変更は、政府観光局(STB)のキャンペーンと関連して警察国家の汚名をそそぎ、シンガポールのイメージ・アップに寄与させる目的があったという。これではよくわからないが、クー氏の貢献活動の実績がかなり効いたようでM18となれば観客数とDVD売上が多くなることが期待できる。

『一緒にいて』(2005)、93分、M18 原題「Be With Me」
「シンガポールのヘレン・ケラーと称されるテレサ・ポーリン・チャンという実在の人物を通し、愛の意義を強調しながらも。政府の「アジア的価値」の欺瞞性を批判した作品である。女学生同士のキスシーンを挿入し、同性愛に対するOBマーカーの拡大も試みられている(著者)」。
物語の結末が片方の自殺に終わるそうだが、著者によれば、これが希望をもたらす結末であれば、確実にR21、さもなくばカットは免れなかった。さらにMDAの宣伝ポスター取り下げ要求に応じる一方でM18指定を交渉して獲得したと書いている。
上例の『ミーポックマン』でも見られるようにレイティングの自在さがわかる。

『12階』(1997)100分、PG、英語題名「12 Storeys」
「経済成長と物質的豊かさを唯一の成功指標とする政府批判と、国民の八割以上が居住する公営住宅(HDB)に暮らす人々の、荒涼とした疎外感を抉り出した作品」(著者)。監督は自己検閲と非難されてもPGを狙うことを目論み、複雑且つ省略的表現によって検閲を混乱させることに成功したのだそうだ。これは明確に規定違反を指摘できないように演出したことを指す。

この作品で監督は国家芸術評議会が設置した「映画部門人的資源委員会」の識者メンバーに委嘱され、青年芸術家章を得た。ほかにも各種の貢献賞やら委員委嘱を受けて政府との協同関係ができてゆく。根底には政府の国威発揚感覚が見える。

監督と作品について例示はこれぐらいに止めておくが、2部の章立てはその儘この國の課題を表している。すなわち歴史再評価、言語の問題、宗教と民族、教育と階層の固定化、徴兵制度、LGBT、少子高齢化。これらを題材にとった映画は国民再統合の目的に照らせば、すべて政府またはPAPの哲学にしたがって規制される。反面、国民の間には不満がある。経済的に大きく成長したこの國をこれからどのように舵取りしてゆくか、映画監督たちも真剣に考えているからこそ、レイティングに対抗しているのだ。映画そのものには日本人の関心を引く魅力は大きくないが、炙りだされている問題は日本の課題でもある。(2016/6)