2016年3月1日火曜日

宮沢賢治「なめとこ山の熊」

マタギのことが新聞に出ていた(朝日新聞夕刊2016年2月19日)。記事は連載物で「煮込みをたどって」というタイトル、全国各地の煮込み料理を紹介するのが主題である。秋田地方のクマ鍋の紹介がマタギ料理として出ていた。クマ鍋には関心はわかなかったが、マタギの家族が経営する旅館で提供されたということが耳新しく、現代のマタギ像を思わせる。マタギの存在は古くから知られているが、いまなおそういう人達がいるのは何とも不思議な感じがした。記事は秋田県阿仁集落で取材、いまは北秋田市だなどといわれると話の身も蓋もないような気もするが、いまも山深い処であることには変わりなさそうだ。
 外はしんしんと雪が降っている。宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」を思い出した。猟師の小(こ)十郎は熊にむかって言っていた。 「てめえも熊に生まれたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれなよ」 生きるため、あるいは身を守るため、殺し、殺される関係にもなるが、人とクマは自然界の中で共存してきた。神が住まう山から命を頂くという崇高な意味を、クマ鍋から考えさせられる。
このような文章で記事は結ばれている。

「なめとこ山の熊」は自然の中で熊と人間が生きるか死ぬか、あるいは文字通り、食うか食われるかの境界にいる存在として描かれ、猟師小十郎も自然と一体化して熊の言葉がわかるようになっている。熊を殺すことによって辛うじて生業が立っている小十郎にたいして、ある熊は2年間の猶予を願い出て、約束通りの期限に小十郎の眼前で自死する。小十郎の最後は老いを感じながらも出かけた日、撃ちそこなった熊に倒されて死ぬ。冬の星空の下で凍った小十郎の死体を囲んで熊たちがじっと弔いでもするかのように座っている。頭上に天空が回って時が過ぎゆく情景を写して物語は終わる。
ありえないことだと思いながらもなにか心に響く物語である。

小森陽一氏の講義によれば小十郎が追い込まれている生計の困難が拠ってきた社会の構造的な問題や経済の理屈、果ては鉄砲にまつわる日本のみならず世界的な変動など物質的な人間の歴史と、星にまつわる思想的、宗教的な東西の哲学的思考にまで話が及ぶ。話が広がりすぎてせっかくの幻想的な童話から得た感動が乱されてしまう感じがするが、嘘が語られているわけではない、すべて人間の歴史の真実である。そのことはさておいて、新聞を読んだ時の感想に戻る。

旅館の主人はこの地で代々続くマタギ一家の跡取りの松橋利彦さん(52)と紹介されている。マタギは狩猟民とされるが、それだけではなく、「乱獲を防ぎ、どんな恵みも一番役に立つときだけいただくという神との契約を何百年も守ってきた」伝統のある人達との説明もある。
一方の「なめとこ山の熊」に登場する小十郎はマタギとは書かれていないが、描かれた様子からはマタギであろうと思う。作品の初出は1934(昭和九)年であるが、研究者によると、執筆は1927(昭和二)年とされている。物語の背景時代は大正の頃かと思われる。

ネットでWikipediaを参照すると、小十郎のモデルは、賢治が農林学校時代に跋渉した実在の「なめとこ山」を含む花巻地方で唯一マタギの家であった松橋和三郎(1852 - 1930)とその息子勝治(1893 - 1968)であるという説が紹介されている。たまたま新聞に紹介された旅館の主人が同姓だということかもしれない。ただしモデルがあったということで、童話に登場する人物がその人というわけではない。

小十郎の生業は熊の毛皮と熊の胆を町の荒物屋に売って僅かな現金を手に入れるために熊を撃つ猟師だ。強欲な荒物屋の主人は足元を見透かして買い叩く。高価な熊の胆を使うこともできないで息子夫婦を赤痢で死なせた。僅かにヒエがとれるだけの土地も、山仕事をする入会地も政府施策に奪われてしまった。九十歳になる老母と小さな孫二人を抱えながら心ならずも猟師をしている。熊を殺すのは嫌だ。心の中では済まないと思いながらも、他に暮らしの途がない。毛皮と胆が売れなければ一家が飢えるのだ。だから物語の最後に小十郎の凍った死体を前にして、たくさん輪になった熊たちがひれふして小十郎を悼む場が設定されてはいても、読者は残された老母と二人の孫はどうなるのだろうと気になる。気になったところでどうしようもなく最期を想像するだけ辛い。

これが小十郎というマタギの暮らしだとすれば、旅館を営んで観光客にクマ鍋を提供する現代のマタギとは随分な差があると感じる。営利の方策も確立され、冷凍のクマ肉は「道の駅」でも売られ、毛皮と熊の胆の販路も入札で決められるという。「自然から命をいただく」という言葉だけは同じだが格段の差がある。その格差の大きさに驚くが、童話による感動に引きずられて小十郎への愛惜と旅館経営のマタギを比べるのは意味がない。時代の差もさることながら、そもそも小十郎は創作された人物像なのだ。近代化の矛盾を浮き出させるためにその暮らし向きが作られたきらいもある。元はマタギではないかもしれない。物語は事実と架空がない混ぜになっている。このとおり気の毒な境遇にあった人たちも居ただろうから、冷たく読み捨てるわけにもいくまい。
童話は童話としてその詩や幻想を愉しめばよい。話の端々から日本の近代化の裏にある矛盾を理解するのもいいだろうが、小森氏の講義に引きずられないように読む方がいい。

「なめとこ山の熊」にも賢治童話に特有の星空の描写があり、二十八宿の一、胃宿が出てくる。「胃」には「コキエ」とヨミガナがふってあるが、これは和名だそうで穀物を貯蔵する倉庫の意だという解説があった。熊の胆の「イ」という音にかけてクマたちと小十郎をつなぐ象徴としてあるのだと思うが、ならば和名で出す意図がわからない。花巻辺ではそのように呼んでいたということだろうと思う。賢治の星好きには困らされる。「なめとこ山の熊」は青空文庫で読んだ。(2016/3)